未来への報償⑤
「わーかってる。あの日、お前を蹴り飛ばしたわんが言うことじゃないってこともな!……けど、ずっと引っ掛かってたんだ」
平古場は下げていた視線を木手へと向けて、小さく微笑んだ。
「今日ぬ試合は、あの試合よりもでーじ楽しそうだった。やーらしい試合だったさぁ」
「……」
「だから、いいんだよ。やーはそれで」
平古場のその言葉と笑顔を見て思った。いつの間にか、ひたむきな強さの証である平古場の笑顔が、心の支えになっていたことを。平古場の笑う顔が眩しくて、何度も瞬きを繰り返す。そうしないと、気持ちが零れてしまいそうだった。
「……どうして、君なんだ」
進むべき道を見失いそうになるたびに、見つけてくれたのは平古場だった。
自分自身へと心を引き戻してくれるのは、いつだって平古場だった。
どうして、平古場だったんだろう。
「えーしろう?ちゃーした?」
俯いてしまった木手に心配そうな声がかかる。顔を上げさせようと頬に添えられた手が暖かい。平古場の手に従うように視線をあげれば、予想よりも近くに平古場の瞳があった。不思議そうで、でも木手の世話をするのが楽しいという色が込められた瞳。悔しくて、困らせてやりたくて、木手は思った通りの言葉を口にした。
「君が一番知っているでしょう、私が惨めで無様だってこと。君があの夜に言ったんだ、惨めな姿だってね」
「……?」
首を傾げた平古場に、少しだけ胸がすっきりとする。
「君がそうやって私にかまうから、君のことを好きになってしまった。……同姓に恋愛感情を持つなんて、惨めな姿でしょう?」
目を見開く平古場の姿が面白く、そしてこんな突然の告白をする自身が滑稽で、思わず笑ってしまった。
好きになってどうなる?
何一つ報われない、何も得られない。無駄な感情だ。無駄だと分かっているのに、この感情は消えることはなかった。
「こんなこと言って気持ち悪いだけでしょうね。私だってこんな感情欲しくなかった。けれど、消えないんです。勝利を求めるのと同じで、君を求める感情が消えない」
どうすればいい。どうすれば、君へと向うこの感情が消える?
どうして、君なんだ。
木手は口は笑っているのに、今にも泣き出しそうな悲痛な顔をしていた。
突然の告白に、平古場はひたすら混乱していた。木手が平古場を好きだと言っている。信じられない思いで木手の言葉を聞いていたが、思いつめた表情から嘘ではないことは分かった。
「惨めだとか言わないでくれ」
伝える言葉なんて一つしかないのに、それだけで木手が信じてくれるか不安だった。
「だったら、わんはもっとずっと前から惨めな姿を永四郎にさらしてる」
けれど、今ならきっと隣に立てる気がした。この関係がこの先どう変わるか分からないけれど、きっとここが二人の分岐点になるはずだから。
「わんだって、永四郎のことしちゅんやっさ!」
「は、何をいって……」
「嘘じゃない。無駄な感情なんかじゃない。わんはずっと、ずっとしちゅんだった」
「……こんな無駄な感情なのに?」
木手の声が震えている。こんな結果を予想していなかったのだろう。
「また、無駄だっていうのか。もしかして後悔すると思ってるのか?なら、わんが絶対に後悔させない。だから、わんと付き合ってほしい」
木手の掌を両手で包み込むように握る。真っ直ぐで真剣な瞳で木手を見つめた。
信じてほしい。木手を好きだという気持ちを。ただ、その思いだけを込めてその瞳と向き合った。どれだけの時間が流れたのか分からないけれど、木手の低い声が小さく平古場へと届いた。
「なら、本気だということを証明して見せて下さい」
「……証明?」
「そうです。私が好きというならキスしてください。君ならお手の物でしょう」
聞き捨てならない言葉が最後に聞こえたが、それよりもキスしろという木手に困惑した。勿論、嫌だからではない。こんなに簡単に許してしまうことに対してだ。
聞き返したかったが、木手の威圧感ある視線に本気なんだと悟った。だから、まどろっこしいことは考えずに行動に移すことにした。もし、殴られたら殴られた時に考えればいい。
「……やーが言ったんだからな、目つぶれ」
「お断りします。それだと君、誤魔化すかもしれないでしょう」
「しねーよ!……あー、もういい。好きにしろ」
「ええ、好きにします」
これからキスしようとする会話なのだろうかと、あまりの色気のなさに脱力してしまった。けれど、いざ向き合えば緊張して手が震えそうになる。木手は宣言通り、目を開けたままにしておくつもりらしく、何だか悔しくて平古場も目を開けたまま顔をゆっくりと近づけた。
平古場はベットに乗り上げた体勢で、木手は座ったそのままの姿勢で。頬をひとつ撫でて、ゆっくりと唇を触れ合わせる。その時、木手から消毒薬の匂いがして、それが平古場の胸をいっそう苦しくさせた。
最初から最後まで、二人は視線を逸らさず、見つめあったままだった。
「……えーしろう。しちゅん」
顔の怪我をしている箇所に口付けをしながら、平古場は飽きることなく言葉を紡ぐ。
木手は平古場の背中にそっと手を回し、静かにそれを受け入れた。
* * *
木手の怪我も回復して、練習に参加が許された。ただ今日はあいにくの雨で、室内練習を各自が黙々とこなしている。平古場も今日の練習を全ておえて、雨のふる外を眺めていた。
練習後はさすがに暑くて、涼む為に少しだけ外にでようと、雨が避けられる場所へと移動してきていた。そこに、通りがかった木手が同じように外へとでてくる。
あれから二人の関係が、飛躍的に進んだかといえばまったくそんなことはない。練習の時も、お互い仲間でライバルなのは変わらないからだ。けれど、こうして二人だけの時間を過ごすことは多くなった。特に何かをするわけではないが、二人でこうして過ごすだけで心穏やかになれる。それが何よりも嬉しかった。
「練習はもう終ったのですか?」
「ああ。つかれた~」
「まったく、そんな格好でいつまでもいたら風邪を引きますよ」
「あー……、なら風呂にでもいくかぁ。永四郎も一緒にいくやっし!」
「……私はあとで行きます」
「……?」
この頃、風呂に誘っても一緒に行く機会がめっきり減ってしまったことに対して不思議に感じつつも、平古場はそれ以上は深く追及することはなかった。それに安堵して小さく溜め息を零す。木手としても風呂ぐらいと思うが、別に入れるならそのほうがよかった。平古場がこの感情に気がつくまでは、このままでいようと考えていると、ふと目の前に金色の髪が映った。
その後に、唇に暖かな感触が触れた。驚いて仰け反ると、平古場が悪戯が成功した子供のような顔をしていた。眉間に皺をよせて抗議しようとする前に、口の前に人差し指を持ってきた。
「やー、また溜め息ついてるな」
意外な言葉に、木手は目を軽く目を見開いて平古場の顔を見つめる。笑いながら顔を近づけて、木手にだけ聞こえる声で囁く。
「今度、まーた溜め息ついたら、わんがさっきみたいに塞いでやる」
平古場はニヤリと笑った後に、風呂に行ってくるとその場を颯爽と後にした。