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Rain stops

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 再会した砂漠の村で、飛行機で震えながら、熱く抱き合う夜、ともに目覚めた朝、眠る瞬間、笑って、泣いて、最後の消える瞬間さえ……。
 オレを呼ぶ士郎の記憶が次々と湧き起こる。
 士郎を抱きしめた手が震える。
 力がこもりすぎてなのか、うれしさからなのかわからない。
 ただ、もうこの存在を離しはしないと、それだけは、はっきりしている。
「っ……、……士郎……」
 呼べなかった名前。ずっと、胸の内にしまっていた名前。
 オレを想って涙を流してくれる存在の、大切な名を呼ぶことができる……。
 背中に回された手が、温かく優しい。
 士郎を両腕で抱きしめることができる。消えていくあの感覚がずっと拭えなかった。今やっと、それが消えていった。
「待ってたんだ、いつか、アーチャーが来るはずだって、ずっと、待ってた」
「士郎……」
 涙を流した夜も、面影を追ってため息をこぼした夕暮れも、この腕の中の太陽の温もりに薄れていく。
(太陽は一つだけだった……)
 繰り返し昇る太陽に、新しいものなどなかった。
 陸が士郎の残してくれた太陽だと思っていたが、勘違いだった。オレの太陽は士郎だけだったのだと、今頃になって気づいた……。
「ア、アーチャー、ちょ、っと、苦、しい……」
「あ、ああ、すまない……」
 どうしようもなく力をこめすぎていたようだ。
 窒息寸前の士郎を抱きしめる腕を緩め、少し身体を離す。
 温もりが離れていく。その冷えていく感覚が嫌だった。
「あ、あの、さ……、ど、どうやって、ここに……?」
 身体が離れてしまい、それでも触れていたくて、士郎の頬を両手で包む。
(ああ、キスがしたい。このまま押し倒したい。だが、こんな砂埃の中は嫌だ。できれば布団が……。
 いや、ここには建物もないのだ、布団どころか、風を遮る物すら全くない。突き刺さる剣など役にも立たない。
 まったく、どういう了見だ。なぜ、剣の丘なのだ。他に何かなかったのか? せめてテントでもあれば良かったものを……)
 頭の中でウダウダといろんな考えが巡る。当然、士郎の言葉など解する余裕はなかった。
「アーチャー?」
 頬を軽く指先で叩かれ、ハッとする。士郎の顔が間近にある。
(近い……)
 琥珀色の瞳がオレを映す。
 眩暈がする、どうして、こいつはこんなにも無防備なのかと、ため息をつきたくなる。
(士郎はもう、したくはないのだろうか?)
 あの情動は、消える期限があったからだろうか。
(ならば、もう、オレとは……)
 そう思うと気落ちしてしまう。こんなロクでもないことを考えているのは、オレだけなのだろうかと、気が滅入ってくる。
(オレは愛していると気づいた、士郎も少なからずオレを想ってくれている。オレを待っていたと言ったのだ。ならば、いいのではないか?)
 自分に問うてみるが、答えが出せない。答えは士郎が握っている。
「士郎」
「うん?」
 呼べば答えてくれる。
(ああ、そうだ、オレはまだ、伝えていない……)
 士郎に答えをもらう以前に、オレはまだ、何一つ士郎に伝えていないということに気づいた。間近の琥珀色の瞳を見つめ返す。
「士郎、言えなかったことが……、ある。……泣かせてしまうから、言わなかった」
「う、うん……」
 オレの緊張を感じ取ったのか、士郎も心なしか身構えている。
「士郎を愛している。今までも、これからも、ずっと」
 驚きに満ちた琥珀色の瞳が潤んで、こぼれ落ちていく大粒の涙。
(やはり、泣かせてしまった……)
 けれど、あの頃に言えば、こんな表情は見られなかった。
「俺もだよ、アーチャー……」
 涙を流しながら言った士郎は、笑顔だった。切なさも、焦燥も、苦しみも、悲しみもない、心からの笑顔。
 もう二度と離すまいと、再び抱きしめた腕に力をこめた。
「だから、苦しいって……」
 背中を軽く士郎に叩かれ、腕を緩める。
(こんなじゃれ合いが、また、できる……)
 うれしくて少し笑うと、士郎も笑いながら、涙を拭って顔を上げる。鼻先が触れた。
(もう、我慢がきかない……)
 唇が微かに触れる。
「アーチャー……」
 甘い声でオレを優しく呼んで、士郎の瞼は伏せられた。
 キスひとつにすら、戸惑わなければならない。
 だが、もう一度、はじめられるのだ、士郎とともに。
 乾いた風が吹く剣の丘に座り込んだまま、オレたちは初めて経験するように、口づけを交わした。



***

「士郎と会えたよね? アーチャー」
 陸は苔むした大岩を見上げて呟く。
 ――確証があったのであろう?
 内なるものの声に、陸は頷いた。
「うん。あったけどさ、神様の領域って、おれには、わかんないことだから」
 ――では、覗いてみるとしよう。
「え?」
 内なるものが、陸の背後にすっと現れ、浮いたまま大岩に顔だけを突き入れた。
「イ、イザナミ、その格好……」
 思わず吹き出してしまいそうな格好の、陸の内なるもの――黄泉の女神はすぐに顔を大岩から抜き出す。
 ――このような様子じゃ。
 陸の額に指先を、つ、と当ててくる。
 途端に陸の脳裏にその光景が見えた。
 荒野のような場所で、土の上に座り込んで、額をくっつけて笑い合う、二人の姿。
「あの頃みたいだ……」
 士郎がまだ消える前、衛宮邸にいた時の二人の姿と同じ光景。
「よかった」
 陸はホッとしてイザナミに笑顔を向ける。
「ありがと」
 ――礼には及ばぬ。
 スッと姿を消したイザナミに、思い出したように陸は訊く。
「イザナミは入らなくてよかったの? なんなら一緒におれ、送るよ?」
 ――よい。妾は陸に憑いておるのじゃ。それに、陸の手を借りずとも入れる。
 きっぱりとした答えに、陸は笑みをこぼす。
「そっか。じゃあ、おれといてくれるんだね」
 ――是非もなし。妾は、陸を選り抜いたのじゃ。否と言うても離れはせぬ。
「へへ、ありがと、イザナミ」
 帰ろうとして崖の上に立つと、夕焼けの海が見えた。茜に染まる空が、ため息をつくほど、きれいだと陸は思う。
「士郎、アーチャー、今まで、ありがとう」
 大岩を振り返って言うと、涙が頬を滑り落ちた。
「変だな、泣くつもりなんて、なかったのに……」
 式神たちが心配そうに、陸の周りをうろうろする。狭い石段を下りながら、式神を小声で宥める。
「だーいじょうぶだって、おれには、みんながいるんだから!」
 不意に、ほわ、と温かい空気に包まれて目を瞠る。
(士郎の結界の中みたいだ……)
 大岩を振り返った。
「ありがと、士郎。大丈夫だよ、おれ」
 すん、と鼻をすすり、
「アーチャーと、幸せにね!」
 陸は別れを告げた。おそらくもう、姿さえ見ることも叶わない二人に。
「たまにはここに、遊びに来るから!」
 大岩に笑顔を向けて、陸は急な階段を下りる。
 藍に落ちつつある空を見上げて、もう一度、大岩を振り返り、大きく手を振った。



 降り続いた雨はやんだ。
 雲間からは太陽が覗く。
 アーチャーの見つめていた雨の庭には、清々しい初夏の風が吹き、新緑の葉に残った露が、陽光に煌めく。
 青い空には太陽が輝いている。
 毎年雨だった士郎の消えた日は、アーチャーを送った次の年、晴れた。
作品名:Rain stops 作家名:さやけ