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DOODLES

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 とりあえず、周囲に見えるもの。アスファルト一面に広がる、捨てられたチラシの雪景色。シケたコンビニ。シケた証明写真撮影機。シケた郵便ポスト。シケた美容院に、シケたスナック。唯一その中で辛うじてサンジの目標に叶うものと言えば、スナックくらいか。しかしサンジはスナックで果たしてメシを扱っているのか、それに住み込みで働かせてもらえるのかどうかを知らない。実のところその店で出している食い物といえばコンビニでひと袋100円の袋菓子くらいで、無論住み込み従業員など募集していない。
 どちらかと言えば世間知らずなサンジだったが、なんとはなしにそんな雰囲気を感じ取り、スナックは諦めることにした。女の子たちとの出会いは捨てがたかったが。
「あらぁ綺麗な金髪さん」
「どうもありがとうマダム」
「ハイカラだこと」
「良い1日を!」
 駅から出てきた、ミカンの袋を抱えた老婦人に一礼。どうもこのあたりはシケている――というか、老いている、というか。駅前にある店々のほかは、年季の入った日本家屋ばかりだ。
 サンジがこの土地を見定めんとキョロキョロしていたそのとき、ピュウ、と強い風が吹いた。春一番というやつだろうか。冷たい身を切り裂くようなそれに乗ってやってきたのは、ひしゃげた空き缶と、たくさん散らばっている紙くずうちの1枚、安っぽいチラシ。後者は突風と同じスピードと勢いでサンジの顔面に襲い掛かる。
「ぶッ……あー、クソ!」
 べり、と空いた片手でチラシを剥ぎ取った。
「ちくしょう! すぐに捨てられるようなクソチラシ配りやがって!」
 丸めて捨ててやろう、としたところで、サンジは真っ白いそれに書かれた文字に目を奪われた。
『寮母募集! 賄い、清掃業など。住み込み可。GL大学寮自治会』
 ……これだ!
 サンジは、高校の進路指導室で読んだ、『調理師になりたい!』の15ページ6行目を思い出していた。『調理師免許取得資格…中学校卒業以上の学歴+学校、病院、寮などの給食施設、飲食店、惣菜製造業、魚介類販売業での2年以上の調理経験』。
 寮。そうだ、寮だ!
 しかも大学生寮だ。女子大生のオネーサマ方が蠢く、学生寮だ!
 サンジは思わず片手で拳を作り、それを上空に突き上げた。これだ、これしかない。俺は、寮母さんになるぞ!



「ナミー! 階段の下から2段目、抜けてるから気ィ付けろよー」
「どうも。5秒前そこに足突っ込んだとこよ」
「……そりゃ、あー、お大事に」
「次は治療費請求するわよ」
「俺のせいか!?」
 ふくらはぎの蚯蚓腫れをさすりながら、ナミはテーブルに置きっぱなしだった朝食代わりのコーヒーを一気に飲み干した。すきっ腹にカフェインはかなりきついけれど、今手の届く範囲にある固形の食物は生のタマネギくらいだから仕方がない。もう暫くはマトモな朝食、いや食事を摂ってもいない。彼女は9時からの会議がひどく憂鬱だったが、集う面子はともかく、そこで出される軽食だけは楽しみな程度に、食べ物が恋しかった。
「それ、俺のコーヒー……」
「うっさいわねケチ。で、今日の予定は?」
「俺は例のごとくここの修理。ルフィは昨日の深夜、突然旅に出た」
「は?」
「俺は一応止めたぞ」
「あいつ、いつかぶっ殺す。ゾロは!?」
「3日前から帰ってない」
「でしょうね!」
 ダン! とナミは空のマグカップをテーブルに叩きつける。途端、ガラガラと、まるで早送りでもしているかのようにテーブルが崩壊した。ああ、と声を上げた長っ鼻は、ウソップ。
「……このテーブル、何年モノ?」
「さあな。でも昨日修理したとこだよ! ちくしょう!」
 ウソップはトンカチ片手に天井を仰いだ。他の壁と同様ツギハギだらけだ。
「相当ガタが来てるわね。もうどうしようもないわよ」
 ナミは、額に手を当て深すぎるため息を吐いた。それに倣うようにしてウソップはやはりツギハギだらけの床に崩れ落ちる。ただし、床が抜けないよう細心の注意を払いながら。
「なあ、頼む、せめて修繕費だけでも取ってきてくれよ。木材だってタダじゃねえんだ」
「わかってるっての! ……でも、正直厳しいわよ。寮自体の存続だって危ういの。寮母なんて夢のまた夢ね」
「ああ、我侭は言わねえ。ただ、俺はマトモなメシが食いたい……」
「食べたじゃない、昨日」
「残念だが、コーンフレークは俺の故郷じゃマトモなメシとは呼ばねえんだ」
「うちの故郷だってそうよ! 見てよ、私なんてニキビが出来たのよ、ニキビ!」
「知ってたか? 20過ぎたらニキビとは言わねえんだ。吹き出物って言うんだぜ」
「私はまだ19よ! ……うっ」
 ニスの剥げた床板を涙ながらに撫でるウソップの横で、ナミが蹲る。その様子をちらりと横目で伺いながら、ウソップは気のなさそうな声を上げた。
「どうした? 吹き出物が潰れたか?」
「ニキビよ! うう、おなか痛い……」
「コーヒー一気飲みするからだろ」
「うっさいわね! うー、トイレ……」
「1階は男便所だぞ」
「構ってらんないわよ!」
「ちょっと待て! 扉はそっと閉めろよ、そっと」
 トイレに駆け込むナミを見送りながら、ウソップはいったいいつから俺は女に夢を見られなくなったのだろう、と目を閉じた。思うに、それはここにやって来てからに違いない。ここは大学構内に複数居を構える、GL大学学生自治寮のうちのひとつ、メリー館。見た感じそのままのオンボロ寮だ。
 世界の真理を悟ったような顔付きで己の身の上を思うウソップの耳に、トイレの中から響くナミの苦しげな声は届いていない。
「やっぱ、まずは寮母よ、寮母! 料理が出来る人! ……出来れば、給料はタダで。アイタタタ……」
「階段が6割抜けてる寮に好き好んで来るオバチャンがいればな」
 9時の寮長会議まで、あと20分。新年度の予算編成会議を兼ねたそれは、GL大学春休みの恒例行事だ。大学敷地内の『自治寮』の各寮長たちが一同に介し、その年の各寮の予算配分を決定したり、活動予定の報告などを行う。不参加の寮にその年の予算は下りないという重要な会議で、もちろんそれにはこのメリー館も参加する。一応の寮長は、ウソップが「旅に出た」と語ったルフィなのだが、こんなふうに年中旅に出ては寮を空けているしそもそもの性格が細かいことに向いていないから、実質の寮長はナミだ。今日の会議にも、ナミが参加する。
「今、8時45分ー」
「あー! もう! マトモなごはんが食べたいー……タダで!」



「あのー、ちょっとスイマセン。駅前でこのチラシ拾って来たんすけど」
 GL大学正門。やや剥げかかった文字の向こうには、うんざりするくらい広大な大学敷地が広がっている。
 グランドライン駅から徒歩15分、ほぼ直線の道のりで、看板もあったから迷うことはなかった。サンジがたどり着いたのは、寂れてはいるけれど堅牢な鉄の門だ。その脇にせせこましく設けられた小さな建物の中には、警備員服を着たやる気なさそうな中年男が寝ぼけ眼でカロリーメイトを齧っていた。
「なに、あんた寮母さんになるの? へえ……」
 警備員は、やたらとのんびりした調子で言うとじろりとサンジの頭から足まで見回した。
「まァな。で、どこに行けばいい?」
作品名:DOODLES 作家名:ちよ子