DOODLES
現れたのは、牢番ともう1人、上等そうなスーツを身に纏い、つややかに磨かれた黒樫のステッキをつく老紳士だった。
「サンジ、てめえまた騒ぎを起こしやがって……」
「うるせえ、クソジジイ。俺は俺の正義に従ったまでだ」
「なァにが正義だ。正義を貫いて牢にぶち込まれてちゃ世話ねえぜ」
いかにも上品そうな身なりにも関わらず、老紳士の口調はまるで下町の職人のようにぶっきらぼうなものだった。いったい、何者なのだろう。
「まァ、いいや。さっさとここから出してくれ」
「ったく。てめえみてえのはいっそ捕まったほうが世のためなんだがな」
ガチャリ、牢の鍵を開ける音がした。どうやらサンジが牢から出されたらしい。
「おい、ちょっと待てクソジジイ。隣の牢に俺の恩人が入ってるんだ。そいつも出してやってくれ」
「ああ?」
「なかなか威勢の良い奴なんだぜ。俺が雇って、俺だけの部下にするんだ」
「てめえはまた勝手なことを……」
「いいじゃねえか。どうせギンがいなくなっちまったとこだろう。腕っ節も奴以上だし、なにより面白ェしな」
「……好きにしろ。いいか、さっさと済ませろよ、表の馬車で待っている」
コツ、コツ。牢番がゾロの前に進み出てきた。牢番はゾロに恨みがましい視線を一瞬向けたかと思うと、そのまま扉の錠に手を掛ける。
「……おい、まさか釈放してくれるってんじゃないだろうな」
「そのまさかだ。ゾロ・ロロノア、せいぜい侯爵殿、子爵殿に心より感謝するんだな」
ガチャン。錠が外れ、牢番は苦虫を噛み潰したような顔でゾロをにらみ付けると、そのまま廊下の向こうへと去っていってしまった。
「……は?」
(いったい……)
「よう。さ、出ろよ」
戸惑うゾロの前にぬう、と現れたのは、金色の髪だった。そして、青色の瞳。薄暗い牢獄の中にあっても、まるでそれが光を放っているかのようにはっきりと見える。
「お前、いったい何者だ……?」
牢の中に差し伸べられた白い手を取り、表に出る。ひんやりと冷たい、骨張っている割にはどこか華奢な感じの手だった。
しかし、釈放された喜びより、現状への困惑のほうがずっと大きい。
「俺は、サンジ・バラティエ子爵。名門バラティエ家の次期当主さ……よろしく、ゾロ・ロロノア」
突然のことに言葉も出せないゾロを、サンジはにやりと悪戯っぽい笑みを浮かべ、じ、と例の青い瞳で覗き込んだ。
「へェ。見込んだ通り、なかなか良い面構えしてやがるな。ゾロ、お前は今日から、"俺の"手下だ」
「はあ……!?」
「しっかり働いてくれたまえよ」
そう言って、サンジはくるりとゾロに背を向け、実に堂々と石畳の廊下を歩み去っていった。その背中はぴんと伸び、なるほど、それだけ見れば確かに貴族らしい風格を備えている、と言えなくもないが……。
「お、おい、待てよ!」
「さっさと来い、ゾロ。これでも子爵ってのはなかなか忙しいんだぜ?」
まるで、詐欺にでも遭っているような気分だ。
「おい、俺をどこに連れて行くつもりだ」
有無を言わさず詰め込まれた馬車は、存外に乗り心地が良かった。広い座席に、敷き詰められたビロードの赤い布。結構なスピードで街道を飛ばしているようだが、揺れも少ない。どうやらサンジが貴族というのは本当なのかもしれない。しかし、それならばなぜ……
「言っただろ? お前は今日から俺に仕えるんだ。お前も良いって言ったじゃねえか。それとも、何だ。他に再就職のアテでもあんのか?」
「……いや」
衛兵のゾロだって、その名には聞き覚えがある。『バラティエ家』。数々の領地を治め、多数の企業を束ねる貴族の名門だ。ゾロの目は、自然と向かいに座るサンジより、その隣で仏頂面をしている老紳士へと移った。ゼフ・バラティエ。覚え違いでなければ、彼の名はそうだったはずだ。
「この爺さんは、ゼフ・バラティエクソ侯爵。バラティエ家の現クソ当主、クソ忌々しいクソ老いぼれさ」
「言ってろチビナス。てめえに言われるほど俺は老いぼれちゃいねえ」
「どうだか。ぽっくり逝っちまうのも時間の問題だろうぜ」
「ああ、そうかもな。どっかのクソ放蕩息子が面倒ごとばかり起こしやがるもんで」
「面倒ごとたァ随分な言い方じゃねえか。俺は俺の正義に従ってるまでだ」
「正義、なァ……いい加減なもんだぜ。それで今月何度俺が牢獄に迎えに来たと思ってる?」
「さあな。両手で足りたっけな」
ゾロをよそに、どうやら親子らしい2人はギリギリといがみ合っている。妙な奴らだ。口もガラもとことん悪い。本当に貴族なのだろうか?
「おい、てめえ、ロロノアとか言ったか」
「あ? ああ……」
ぎろりとゾロを睨み、ゼフはフンと鼻を鳴らした。
「お前もいつまでもつもんだろうな。このクソチビは手が焼けるぜ」
「ちょっと待て……俺は本当にあんたたちに雇われるのか?」
「"あんたたち"じゃねえ。"俺"に雇われるんだ。そこんとこ間違えんな」
「ガキが偉そうに……」
「なんだとクソジジイ!」
親子2人はずっとこんな調子で、どうにも話が進まない。もっとも、どうやらゾロがサンジの下で働くことだけは、既に彼らの中で決定事項となってしまっているようだが。
「おい、待てよ……俺ァ屋敷勤めなんてしたことねえし、どんなことをすればいいかだってわかんねえんだ。仕えろって言われたって、無理な相談だぜ」
「あ? でも、お前強いんだろ?」
「まあ……」
ゾロとて、市民を守る衛兵である。その中でも、最も腕っ節が強い、いや、強かったと自負してはいる。しかし、それと貴族の召使とは関係ないのではなかろうか。
「強いんなら問題ねえさ。お前は俺の"仕事"を手伝うんだ」
「いやだから、そのてめえの仕事ってなァいったい……」
「なんだサンジ。お前、この小僧になんも説明しちゃいねえのか」
「うるせえ、クソジジイ。今から説明するとこだったんだ。余計なこと言うな」
け、とゼフに歯を剥くと、サンジは随分ゆったりとした仕草で懐からシガレットを取り出し、それを口に咥えた。
「バラティエ家について、聞いたことは?」
「まあそりゃ、名だけは……」
「だろうな。広大な領地を治め、数々の企業を束ねる名門貴族。しかし、そりゃ表の顔だ」
「表の?」
そこで、フゥ、とサンジは煙を吐き出した。真っ直ぐ口から伸びる紫煙を吸い込んでしまい、ゾロは眉を顰める。
「バラティエ家には、王家より古くからその任をつかわされた"裏の顔"がある――"正義の番人"という名の、な」
「正義の、番人……」
ジュ、と音を立て、サンジは赤いビロードで煙草の火を揉み消した。にやりと笑う顔が、なにやら不吉だ。
「そうだ。我々バラティエ家は、国を守る王の剣。正義の名のもと、その刃にて悪を斬る」
――お前は、俺の剣となれ。
「ここまで聞いちまったらにはもう後戻りはできねえぜ、小僧。命を受けるか、ここで死ぬかだ」
老人の右手には、拳銃が握られていた。そしてその銃口は、ゾロの額を真っ直ぐに狙っている……
(やっぱり、詐欺じゃねえか!)
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