DOODLES
屋敷に着きサンジがパチンと指を鳴らしたかと思うと、ゾロは数人の屈強なメイドだちに腕やら足やらを引っ張られて風呂に突っ込まれ、それまでゾロが住んでいたアパートの一室の10倍はあろうというクローゼットに押し込まれた挙句、あれやこれやと着せ替えをさせられ――いや、できるならば記憶を消し去りたい。
「おっ。出来上がったな」
ボロボロになったゾロを、「いかにも執事です」といった顔をした老人が何の説明もないまま部屋に導くと、その中にいたのはあのブロンド……サンジだった。
もっともサンジはあのみすぼらしいラウンジ・スーツをすっかり貴族めいたフロックコートに替え、髪も梳かし香水の香りを漂わせ、煙草工場の前で女たちとはしゃいでいた男とはまるで別人のような風体だ。背後に控えた下男がコートを広げるのを「あー、いい、面倒臭い」と断り、サンジはゾロの立つ扉の方をくるりと振り向いた。
「何遠慮してんだ? 入って来いよ」
別に遠慮なんかしてねえ、と内心でゾロは呟く。足を止めたのは、単に着替え中だと思ったからで……いや、なんで男の着替えを俺は気にしているんだ。
「ヘェ。なかなか化けたじゃねえか」
ソファに腰掛けそう言うと、サンジはニヤニヤ笑いながら無遠慮にゾロの姿を上から下まで眺め回した。
化けたと言われれば、まあそれはそうだろう、とゾロも思う。何しろ服を脱がされさんざ洗われおよそ30くらいの服をあれやこれやと押し当てられ、ボロボロにさせられたのだ。男ならば容赦なくぶん殴っていただろうが、いくら筋骨隆々としていたとは言え相手は女。さすがにゾロもさされるがままになるしかなかった。
ゾロが今身に着けているのは、先ほどまでサンジが着ていたのをややゆったりとさせたような型のラウンジ・スーツ。もっとも、質は余程上等で、先ほどまでゾロが着ていた軍服とは比べ物にならない着心地の良さだ。いったい、どういうつもりで目の前の男は自分にこんな服を着せるのだろう、とゾロは狐につままれたような気持ちだった。手下(嫌な表現だ)にするとは言っていたが、ゾロの今の服装は召使の身分にはあまり相応しくない。
ので、その疑問を素直に口にすることにした。ゾロはあまり考えることが得意ではない。
「おい、どうして俺にこんな服を着せる」
「ああ? そりゃもちろん似合ってるからだ。格好良いぜ、案外。それともなんだ、白タイツでも履きたいか」
「茶化すな。お前、本当に俺に仕事とやらを手伝わせる気なのか?」
ゾロが眉を顰めると、サンジはニヤニヤ笑いを引っ込め、むう、とやや不機嫌そうに唇を曲げた。
「だから、さっきからそう言ってるじゃねえか。あそこまで説明させてまだ俺を疑うのか。心外だ」
「そうとは言わねえが……」
説明と言われたって、突拍子もない話をがなりたてられ銃を突きつけられただけなのだが。
どうしたって物言いたげになるゾロの顔を見て、サンジは煙草の煙が混じったため息を吐いた。正直なところため息を吐きたいのはゾロの方だったが、それでは話が進まない、とぐっと堪える。ゾロにしてはかなり気を遣っているほうだ。
「お前は俺の仕事を手伝うんだよ。簡単に言や、国と正義を守るんだ。だから俺は強い奴を手下にしたかった」
「手下って……」
まるで、獄中のカモッラのような言い草だ。
「そうだ。……手下だぜ! 光栄に思えよ、このサンジ様の手下にてめえなんぞを選んでやるんだからよ」
随分と高飛車なことを言うわりに、サンジがニィっと笑った顔は、どこか子供じみていた。
「俺に拒否権は」
「言ったろ、ねえよ。それにお前はちゃんと俺のとこで働くって言ったんだ。約束破んのかよ」
無邪気な笑顔が、再び一転して不機嫌そうに歪む。まるで子供のようにコロコロと表情が変わる男だ。
「あー……まあ、とりあえず、それは置いておいて、だ」
「置くな」
ぎろりとサンジがあの青色の目でゾロをにらんだ。あの目と自分のとが合えばもうこの男に逆らえなくなってしまいそうで、ゾロはばれない程度に視線を下へとずらす。しかし反らした先にも青色の石をはめ込んだタイが待ち構えていて、ゾロは途方に暮れたような気分になった。
「……具体的に、俺は何をすればいいんだ? 仕事を手伝うとか、手下になるとか、そういうことじゃなくて"俺にいつどこで何をさせたいのか"を言えよ」
もう仕方がなく、目を閉じて後頭部をガリガリ掻きながらゾロは言った。サンジは貴族だとか言うわりに粗野で乱暴だが、それとは別に人をねじ伏せるような力を持っている、ような気がする。
「意外とめんどくせえこと気にするんだなァ……あー、直近の予定は、あれだな。明日の正午、ここで俺は国王と会うから、お前はそれに同席しろ」
ピヨピヨ、と表で小鳥が鳴いていた。
「……」
「おお、おもしれえ。見ろセバスチャン、ゾロが固まってるぜ」
「左様で……」
そのままゾロは、頭の中で3度ほど宇宙創生の映像を繰り返し見たような気がしてからようやく我に返った。
「ちょ、ちょっと待て。誰と? 誰といつ会うと言った?」
「わかんねえ奴だなァ……明日! 国王と! ここで会うんだよ、俺と! お前が!」
国王。国王ってなんだ? この国の王様だ。……。
そもそもゾロが今まさに貴族と(しかもよくよく考えてみれば完全にタメ口で)話していることがビックリなのに、それを全てすっ飛ばして国王に会うのだとサンジは言っている。
(……やっぱりこれは、詐欺に違いない)
ゾロは確信した。そう言えば、イングレスで昔、平民の女が貴族に成りすまし社交界から大量の金を吸い上げていたという事件があったと聞いたことがある。イングレスで可能ならばこの国でも不可能ではないのかも。
もっとも、正直なところ取られる金も無いからその辺は気楽なものだが、ならばいったいどういうわけでこの男はゾロを詐欺にかけようとなどしているのだろうか? まったく見当がつかないが、もうここまで来たら乗りかかった船だ。いっそ大海原まで着いていってやろうじゃないか……で、危なくなったら即海に飛び込んでやればいい。そう考えると段々混乱も落ち着いてきて、ゾロは深く息を吐きながらゆっくりと頭を振った。
「……で、その"国王"は、いったい何をしにここに来るんだ」
「そりゃ決まってんだろ。俺に仕事の命令をしに来るんだ。表立ってのことじゃねえからな、王宮じゃそういう話はできねえ。だからいつもあいつはここまで来ることになってんのさ」
国王を"あいつ"呼ばわりだ。詐欺師のくせに……。
「理解できたか? マリモちゃん」
「……あ!?」
「髪の毛緑だからマリモだろ? 俺もお前のその髪の色、結構好きだぜ! 小さいころ飼ってたマリモにそっくりでさあ」
そう言って、サンジは何がおもしろいのかケタケタと笑った。話せば話すほど子供のような奴だ。あまり詐欺師には向いていそうにないが……そういう設定なのだろうか。
「あ、でもそうだな、やっぱ丸腰じゃ格好つかねえよな、勿体ねえ……なあ、お前腰に提げてた剣は没収されちまったのか?」
「……ああ」