ドラクエ:disorder 歪みゆく英雄譚の交錯 第36話
何も身に付けていない状態で、血が染み込み変色したシーツのようなものを無造作にかけてはいるが、体の半分以上が空気に晒されている。
地下牢はひどく底冷えする。あれだけで体温を適正に保てるはずがなく、さらには冷たい石の床に皮膚が直接着いた状態でいるのだ。
・・・・そのせいだけではないだろう。肌には血の気がなく、病的な白さの上に乾ききらない血がまるでショートケーキの苺のように映えていた。
レック「・・・・・―――」
・・・・綺麗、だ。
目にした瞬間、そう思った。・・思ってしまった。
見た瞬間の衝撃、心の奥底に刻まれる動揺と恐怖に近いもの。
その異常さ。それでいて、これ以上ないほど鮮やかで整った色と形。
それら全てが通り過ぎ混ざり合い、感動に近い高揚感を覚えた。
できることならこのままずっと眺めていたい。
そんな思いが―あるいは衝動というべきか―自分の中に湧き上がった時、オレは自分が自分でなくなるような気がして頭を抱えた。
おかしい。どうかしてる。
大切な仲間が目の前で、血だらけで倒れているというのに。
それを見て最初に思ったのが「美しい」だなんて。
レック「・・・・・・」
・・何もできないのは、わかってる。この状況は変えられない。
オレが何をしてもしなくても、この感情の世界は勝手奔放に流れていく。
それでも・・・黙って見ていることはできなかった。
気休めだがせめてこれくらいは、と思い、シーツをかけ直した。
乾きかけの血の匂いが鼻をついたが、今はそれすら愛おしいと思えた。
やや早く、弱々しい息遣い。
・・・・目もとにかかった髪をそっとよけた。
レック「・・・・・・っ」
くすんだ宝石・・・。ただ虚空を見つめる瞳。
瞼を閉じる事さえ億劫なのか、それとも既に意識がないのか。
白い。首筋にはうっすらと血管が浮かんでいる。
まるで鑑賞するためだけに造られた人形。寒気を感じるほどの、美しさ。
見た者を一瞬で惹き込み、否応無しに目を釘付けにする。
文字通り、心を奪われる。
それは人間の美しさというより、コンマ1ミリほどの狂いもない、正確無比な図形の美しさに近いものだった。
レック「・・・・・・ソ、ロ」
無意識に呼びかけていた。・・小さく息を呑む音がした。
光のない青紫色が、わずかにこちらを向いた。
次の瞬間。虚ろだった瞳が限界まで見開かれ、恐怖一色に染まる。
喉から空気が漏れ引き攣るような音。
・・・・・・い、ぁ・・・・・・・。
震えて上ずった、絞り出されるような声。
・・・同じだ・・・・。この表情は今まで何度も見てきた。
思わず声をかけてしまったことを後悔しかけた時。背後から地面が揺れる気配がした。
立ち上がり振り返る。やはり魔物だ。赤黒い皮膚と異常な身長を持った、細長いヒト型の不気味な生物。だが・・・魔法の匂いがする。おそらく自然に生まれたものではないだろう。
扉は閉まっているはずなのに、突然そこに現れたのだ。
そいつは前かがみになって長い手を引きずり、黄色い目を光らせながら近づいてくる。
レック「・・・・・・・・・ッ」
体が、・・・動かない・・・?突然金縛りにあったように全身が硬直した。
オレが何か行動を起こして、世界の流れを変えてしまうのを防ぐ仕組みだろう。
魔物が腕を振り上げ、金切り声を上げながらなぎ払った。
オレは何もできずに吹っ飛ばされ、壁にぶつかって床に落ちた。
それほどのダメージではないはずなのに、体がひどく重い・・・。
レック「・・・・・ソロ・・・・」
怯えきって動けなくなっているソロに、魔物が近づいていく。
不気味な、声ともつかない音を上げながら。
そしてソロの肩を掴み、牙だらけの口内を顕にする――
・・・・・やめろ。嫌だ、見たくない。
そう思い顔を逸らそうとしているはずなのに、首がびくともしない。
ソロはほとんど抵抗しなかった。だがやっとのことで手で防ぎ、頭を喰われるのは免れたように見える。
だが。
魔物に掴まれた右腕はいとも簡単に、まるで細い木の枝のようにぽきりと折られてしまったのだ。
しかし悲鳴という悲鳴も上げずに呻き声を漏らしただけで、ソロはいよいよ何も抵抗しなくなった。・・いや、抵抗できないのだ。
今まで散々甚振られ、無駄に抗うとさらに酷い目に遭うことを体に刷り込まれているのだろう。
ただ恐怖と絶望にすすり泣きながら、少しでも早くこの地獄のような時間が過ぎ去るよう祈ることしかできないようにされてしまった。
オレは歯を食いしばり、言いようのない怒りと無力感を噛み締めた。
しかしそのすぐ後、オレはある違和感を覚えることになる。
魔物は指の骨を折ったり、爪で皮膚を切り裂き血を舐めたりするばかりで、ソロを捕食しようとする気配がない。
それどころかソロが死んでしまわないよう気を配っているようにさえ見える。
・・まるで、少しずつ少しずつ痛みを与え、苦しむソロを見て楽しんでいるかのようだった。
やがて魔物は唾液にまみれた長い舌で、ソロの身体を舐め始めた。
ソロは息を詰め、悲鳴を上げそうになるのを必死に堪えているように見える・・・。
・・・・嫌な想像が頭をよぎった。
胸に重苦しい絶望感が募っていく。
・・・・・・まさか・・・・・。
魔物は不気味に低く唸ると、四つん這いになり体の位置を下げていく。
そして、すすり泣くばかりでほとんど動かなくなったソロの左足を掴み、
折り曲げて上半身の方に押し上げ・・・・・・
レック「・・嘘だろ、やめ・・・・」
・・・・やめろ。やめろ、やめろ、やめろ!!
思考が停止する。全身ががたがたと震えだした。
ソロの身体が跳ね、悲痛に満ちた絶叫が途切れ途切れに響いた。
引き攣った空気音、衝撃で絞り出される悲鳴に近い喘ぎ。
嫌だやめろ、見たくない、嫌だ嫌だ、やめろやめろやめろやめろ!!
涙がボロボロと零れ落ち、どうしようもない嵐のような感情が胸の中で暴れまわり、何かが絶望とともに音を立てて崩壊していくような気がした。
泣き声と悲鳴に混じり、やめて、いやだ、たすけて、という単語がぎりぎり聞き取れるような発音で聞こえてくる。
粘着質な水音。魔物の低い唸り声、荒い息遣い。
やがてそれらの音が激しくなると、悲鳴がさらに上ずり悲痛を極める。
オレは何も考えることができずひたすら涙をこぼしながら、やめろ、もうやめてくれとうわ言のようにつぶやき続けることしかできなかった。
・・・・どれくらい時間が経っただろうか。
気が付くと地下牢の中は無音に戻っていた。
オレは・・・たぶん無意識のうちに全ての情報を遮断していたんだろう。
魔物はもういなかったが、生暖かく気味の悪い気配がまだ残っていた。
・・目の前に、飛び散って地面にこびりついた血がある。
この距離まで血が飛ぶほどの力で打たれたのか。部屋に入る前に聞いた、潰れかけた打撃音が蘇る・・・。
果たして打たれた身体はどうなっているのか。考えるのも恐ろしい。
でも結局は同じこと。見なければならないのだ。それにどんな意味があるのか理解できない。理解したくもない。それでも。
・・そこまで考え、オレは思考を止めた。そして立ち上がった。