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No.017
No.017
novelistID. 5253
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六尾稲荷

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 酔いが回りはじめたのか、ノゾミの父はいつものセリフを吐く。実家に帰ってきてからもうずっとこんな調子だった。
「人様を恨むもんでね」と、カナエが言う。

「恨むなだって。あんな理不尽な扱いを受けて恨まずにいられるか」
「人様恨むと影坊主さ出るぞ。影坊主はなぁ、恨みや妬みが大好きなんじゃぞ。人様さ恨むでねぇ。恨みにばかり囚われておると影坊主に生気さ全部とられちまうだぞ」

 祖母はまたそんな話を始めた。父とこの話題になると決まって影坊主である。

「影坊主は黒いてるてる坊主がツノを生やしたような物の怪でなぁ、家の軒下さ並ぶんだぁ」

 ノゾミはそんな話を聞きながら、茶碗に残ったご飯の最後の一口を口に入れ、席を立つ。
 食事部屋を出たノゾミはまだ片付いていない荷物の中から動物図鑑を堀り出した。ページをめくっては、その中に記載されている動物たちのイラストを確認する。ノゾミは気になって仕方なかったのだ。夕暮れ時、ため池で見たあの大きなオタマジャクシの正体が。
 両生類のページを眺め、調べる。そして判った。あれの正体は大きなウシガエルのオタマかと考えたが、いくらなんでもサッカーボール大の大きさになんかならない、という事が。
じゃあ、あれは一体なんだったのだろうか? ノゾミは悩んだ。

「なんじゃノゾミ、勉強しておるんか」

 いつの間にかノゾミの背後に夕食を終えた祖母、カナエが立っていた。

「ホウ、知らない生き物でもおったか。ここには都会にいない生き物もたくさんおるでな」

 大きなオタマジャクシがいたの、とノゾミは答える。ウシガエルかね、とカナエが聞いた。

「ううん、もっと大きいの」
「もっと?」
「サッカーボールくらい」
「なに、サッカーボールくらいってえと、西瓜くらいかね」

 そこまで言うと急にカナエが真剣な顔付になる。そして、しばらく考えた後、

「ノゾミ、そりゃあ水神様じゃ」

 と、言った。

「水神様はなぁ、水の神さんじゃ。水のあるところにはたいてい住んどる。水神様にはいろいろあってなぁ、大きな魚の形をしとるもん、貝の形をしとるもん、水の植物の形をとるもんもおるんじゃ。水神様は徳を積むと、大きゅうなっていっていってな、中には滝を昇って龍になるもんもおる。そして、恵の雨を降らして、田畑を潤しでくださるんじゃ。けれんども、怒ると恐いんじゃぞ? 水を粗末にすると、洪水を起こしたりしよるんじゃ」

 そして最後にこう付け加える。

「水神様だけでないよ、いろんなところにいろんな神様がおってそこを守っとるんじゃ。土地の神様は大事にせんといかん。でないと、その土地や土地の者によぐないことが起りよる。土地の神さんは大事にせにゃいかん」

 そこまで、語ると祖母は満足したのか「ひっひっひ」と笑いながら部屋を去って行った。去り行く祖母の背中を見送りながら、よかった今日は怖い話じゃなかった、とノゾミは思った。そして、ああいう話もできるんじゃないかと少し見直したのだった。
 再び図鑑を眺め、やっぱりあのオタマはいないとノゾミは思う。では祖母の言うように水神様なのだろうかと考え始める……が、ノゾミはぶんぶんと頭を振って、水神様なんて本当にいるわけないじゃない。きっと図鑑には載ってない種類なのよ、と思い直した。だいたい池で水神様を見たなんて言ったら三軒先のタイキに何て言われるか……。ノゾミはぱたんと図鑑を閉じた。やることがなくなって畳に寝そべる。外からリーリーと虫の鳴く声が聞こえた。
 そういえばあの子はどうしているだろう? 天井を見つめながら、ノゾミはいつのまにかあの稲荷神社に居た赤い獣を思い出していた。あの後、ちゃんと帰ったのだろうか、と。
 ノゾミはぱっと起き上がり、再び図鑑を手に取ると犬科のページを開いた。けれどあの獣をその中に見出すことはできなかった。再び図鑑を閉じ、また寝そべる。天井を見つめながら、やっぱり犬だよね? でも載っていないなぁ。ああ、もしかしたらキツネかなぁ。キタキツネの仔にも似ているし……などと思案した。そして、

「あの子かわいかったなぁ。また会いたいなぁ」

と、呟いたのだった。



 三軒先に住んでいるタイキは、ノゾミの祖母であるカナエの妹の孫にあたる。つまりノゾミの又従兄弟だった。ノゾミたちが引っ越してきたとき、その両親にノゾミとをよろしくなどと頼まれたのだが、ノゾミときたら走るのは遅いし、木に登る事はできないし、とても野山を一緒にかけるような遊び相手にはならなかった。
 もちろんタイキは彼なりに努力した。共通の話題を持とうと、ノゾミの祖母であるカナエの話題を会うたびにふっかけたのだ。
 実は彼自身、例の怪談話を聞いて育ってきたクチで、それを彼に聞かせていたのはノゾミの祖母カナエの妹であるタマエであった。ただ、タマエの怪談好きはカナエと違ってあまり有名ではなかった。それというのも、タマエには、カナエと違っていつも話を聞いてくれる孫がいたから、他人にはそういった話をしなかったのである。
 タイキの算段では、ノゾミにカナエの話題を振る→怪談話に花が咲く→実はタマエ婆ぁも……という展開にもちこめるはずだった。タイキはタマエの話が大好きだったし、その話に登場する物の怪たちのことを考えるたびにわくわくした。そして、どちらかといえばそれらの存在を信じているほうだった。けれど、タイキの周りの友達は、そんなものは居ないと言って相手にしてくれなかった。
 タイキは考えた。同じ怪談好きの祖母を持つノゾミならば、自分の気持ちをわかってくれるのではないか……と。だが、当初の思惑は大きく裏切られ、ノゾミはタイキとすれ違っても知らんぷりするようになってしまったのだった。
 都会の女子はわからん。俺の何が気にくわなかったんじゃろうか、とタイキは思った。

「……つまらん」

 タイキは駄菓子屋で仕入れたイカ串をくちゃくちゃと噛みながら、お気に入りの木の上で時間を潰していた。視線の先にはまっすぐ伸びる一本道。祖母タマエからそこには貉が出ると聞いていた。
 そんな風にしていたら、タイキの視界になにやら一目散に走るものが飛び込んできた。ノゾミである。なんだかずいぶん必死に走っているように見える。

「なんじゃノゾミのやつ、その気になったら早う走れるでないか」

 と、タイキは呟いた。
 ノゾミは一本道の終わりまで来ると、足を止めぜえぜえと肩で息をしていた。そして、ほどなくして歩き出すと、今度は稲荷神社で足を止めた。
 おや、とタイキは思った。ここの角度からはよく見えないのだが、そこに何かがあるらしかった。きれいな石でも見つけたんじゃろうか、とタイキは思った。
 そう、あれはかれこれ二週間くらい前のこと。タイキは学校帰りに近くの川原で遊んでいた。その時、流れの中に光るものを見つけたのだ。水底から拾い上げてみるとそれは赤い石であった。ほのかに透き通り、炎がちらちらと踊るような、そんな輝きを放っている。

「きれいな石じゃあ……」
作品名:六尾稲荷 作家名:No.017