六尾稲荷
ノゾミが何かに気が付く。よく見ると天狗の少し後ろに地に縛りつけられた鴉の姿があった。嘴にはあの赤く光る石。不服そうな顔をしているが、身体を下から伸びる木の根に巻きつけられ、身動きがとれないらしい。こんなことになっても石を離さないあたりは、流石に光り物好きの鴉と言ったところか。
再び強風が起こる。二人は石台座の影に顔を引っ込めた。
「あのクソ鴉! 何をやっておるんじゃ」
「たぶん、あの後ここに飛んで来て、あの天狗に」
「きっと侵入者だと思われたんじゃろうな。物の怪には縄張り……その、神様で言うなら守っておる土地があるんじゃ」
タイキは納得したようにうなずく。
「でも、変じゃない?」
「何がじゃ」
「ここ、稲荷神社のはずでしょ。何で神社の前にいるのが天狗なのよ。むしろ、」
二人はいつのまにか自分達の足元で風を避けるロコンを見下ろしていた。
「……つまり、本来の主はロコンという訳か?」
「そうすれば、今までのロコンのことも説明がつくんじゃない? ずっとここに戻りたくて、それで鳥居の前をうろうろしてたんだよ」
「じゃあ、あれはなんなんじゃ」
タイキは天狗のいる方向をちらりと見る。
「……わからない。なにかワケがあってここを乗っ取ったとか」
風が止んだ。するとロコンが果敢に飛び出し、天狗に向けて炎を吹いた。天狗は腕の葉を扇ぐ。すると風が起こり炎の軌道を逸らした。強風はあの葉によって起こされているらしい。
「! まさか、むこうの山の神社」
二匹の戦いを見つめタイキが呟いた。
「むこうの山って、地蔵堂で話した? 雷で焼かれたままずっとそのままっていう」
「土地の神さんは大事にせにゃ悪いことが起きよる。ノゾミの親父はクビになりよるし、俺の親父もなかなか直らん。もしかしたら神さんを大事にしてこなかったからかもしれんなぁ。なにより、この土地のもんのほとんどはもう神さんのことなんて信じとらん」
ロコンが天狗のほうへ突っ込む。天狗は来させまいと、ダンと地面を踏む。
「じゃけい神社も直せんと……向こうの神さんは痺れを切らしてしもうたのかもしれんのう」
すると地面から無数の木の根が顔を出し、ロコンの行く手を遮った。鴉を縛りつけているものと同じものだ。鴉がちらりとこちらを向いたのがわかった。
「とにかくじゃ。神さんはいるべきところに戻ってもらわにゃならん。俺はロコンを助けに行くぞ。でだ、ノゾミは隙を見てあのクソ鴉を助け出すんじゃ。その……、放っておくわけにもいかんしの。心配するな、俺が天狗をクソ鴉から遠ざけてやる」
「……わかった。やってみる」
タイキが飛び出した。境内にあった石をいくつか拾うと天狗に投げつける。そのうちの一つが天狗に命中した。「おまんの相手はここじゃあ!」と、タイキが叫ぶ。すると、天狗はうなり声をあげて飛びかかった。今だ! ノゾミが駆け出す。飛びかかる天狗にロコンが電光石火の速さで体当たりし、注意を引きつける。ノゾミは鴉にからみつく木の根を力いっぱい引き抜いた。開放された鴉を抱えると元の場所に退避する。ロコンの炎に援護されながらタイキも戻ってきた。その直後、再び強風が襲う。
「ちくしょう、風を出すには時間がいるみたいじゃが、俺らが攻撃するには時間が短すぎる。あいつを追っ払う前にこっちの体力がつきちまうぞ」
タイキが悔しそうに言う。一方、ロコンがノゾミの足に前足をかけ立ち上がり、ノゾミの足をカリカリと引っ掻いて何かを訴えはじめた。きゃうっ、きゃうっ、とロコンが鳴いた。
「ロコン? どうしたの?」
「きゃうっ!」
ロコンが何かを訴える。その視線の先にはノゾミに掴まれた鴉。嘴には赤い石が挟まれていた。石はこの暗い中でもちらちらと炎が踊るような輝きを放っている。
「もしかしてロコンのやつ、この石が欲しいのか?」
タイキは鴉の嘴から石をとりあげようと手を伸ばした。すると鴉はノゾミの腕をすり抜けて飛び出し、彼らが隠れる石台座のさらに上方へ退避した。天狗の風に押し流されたくないのか、それ以上は逃げなかったがノゾミやタイキが届く高さではない。
「ぎゃうっ!」ロコンが吠えた。だが鴉はそっぽを向く。
「このクソ鴉! せっかく助けてやったのに!」タイキも吠える。
「……ねえ、どうしたらその石をくれる?」
と、冷静に話しかけたはノゾミだった。だが鴉はそっぽを向いたままだ。
ノゾミは考えた。鴉を振り向かせるにはどうすればいいのか、どうしたら、と。そして、
「そうだ! 何かと交換するのはどう? お菓子とか! すぐには用意できないけど」
と、言った。すると、ちらりと鴉の瞳がノゾミの方を向けられる。
「たとえば、昼間食べ損なったイカなんかどう? あなたは自分であの蓋を開けられない。今まで食べたことがないんじゃないの?」
「……、…………」
鴉は少し迷っているような顔をする。再び風が止んだ。ロコンは石台座の影から飛び出して、再び天狗に対峙する。
「も、もちろん一本とは言わないわ! ……ケースまるごとよ! ケースまるごとでどう?」
ノゾミがそこまで言うと、鴉が急に、ばっと宙へ飛び出した。そして、ひゅっと嘴のついた頭を振ると空中に赤い石を放り投げる。
ロコンが地面を蹴り、跳ねた。その口で石を掴み取る――――瞬間、
カッとそれが光ったかと思うと、ロコンの身体がまばゆい炎に包まれた。炎のシルエットからぐんぐんと四肢が伸びる。同時に尾が燃え上がりながら数を増していく。そして、その身体を包む炎が消えてゆくのと同時に、その中から大きく成長したロコンが姿を現した。
「ロコンが……」「……化けおった…」
そこにあった姿、それは金色の体毛に覆われたしなやかな身体とたなびく九の尾を持つ妖狐であった。くるっとカールしていた毛は今やまっすぐに伸び、燃えるような赤い瞳が天狗をじっと見据えている。
その姿に驚きながらも、その美しさに魅入られるノゾミとタイキ。
ロコンが雄叫びを上げた。するとロコンの足元から大量の炎が吹き出し、またたくまに天狗に襲いかかる。天狗は腕の葉を扇いだが、炎の勢いは止まらない。幾手にも枝分かれし、取り囲み、燃え移る――天狗がギャアッと悲鳴を上げた。
すでに勝負は決していた。反撃をする間もなく、天狗は火だるまになった。そして、ごろごろと地面を転がってようやく炎を消し止めると、ぽーん、と高く跳ねて山の向こうへと退散していった。
それを見届けたロコンは、自分は再びここに戻ったぞというように、遠くに響くようひと鳴きした。その澄んだ声が山全体に響き渡る。
その身体が再び燃え上がった。そうして、その炎はみるみるうちに小さくなって、ロコンともども消えてしまった。炎が消えきるその瞬間、赤い瞳が二人を一瞥した気がした。
青白い月の夜。境内に二人だけが残された。風が穏やかに流れる。稲荷神社は何事もなかったかのように静けさを取り戻していた。
あれから、二人はロコンに会っていない。