LIFE! 1―Hold back―
「先ほどから、ずっとではないですか! シロウは、私のマスターだったのですよ!」
涙目で訴えられたところで、どう反応すればいいか、すぐに思いつかず、
「あ、いや、悪かった。それでは――」
衛宮士郎を彼女に渡そうとした瞬間、目の前にいたセイバーが超速で上へ釣られた。
「シロォォォォォ……」
彼女の発した声が、小さくなっていく。
サーヴァント全員、唖然。
「ま、さ、か……」
ランサーが変な汗を大量に流しながら、こちらを見る。そして、そのまま、またしても超速で飛んでいった。言葉にならない悲鳴を残して……。
「嗚呼、ランサー、とうとう槍のように飛んでいってしまったか……」
現実逃避したくなる。
ランサーの叫び声が消えて、今度は丸くなった岩が、長身の武士が、ローブの魔女が、髪の長い女が、「え?」も、「あ?」もなく次々と飛んでいく。
そして、金ぴかの英雄王も例に漏れず、
「この、雑種がぁぁぁぁ……」
高慢な叫びを残し、きらり、と一つ瞬いて空の彼方に消えた。
「凛……、まさか、こんな強引な方法で引きずり出すとは……」
頭を抱えたくなりながら、大きく息を吐く。
「……っ……ん……」
僅かに身じろいだ腕の中の衛宮士郎に目を向けた。微かにまつ毛が震えている。もしや、目を覚ますのではないかと思ったが、杞憂に終わった。
それでも、七騎のサーヴァントがこの結界から消えて、衛宮士郎の呼吸は少し楽になってきているように見える。あとはオレだけだが、あの超速で衛宮士郎の身体を抱えていられるものだろうか、と、不安がよぎる。
とりあえず、凛にその旨を伝えなければならない。
衛宮士郎を取りこぼさないように、できるだけ穏便に引き出してくれ、と。
「凛、聞こえるか」
キャスターがきっかけを作り、一度繋いだラインは、オレがずっと意識を通し続けている限り、あの魔女がいなくても途切れない。
『なに、アーチャー、ちょっと後にしてくれない! 今、取り込み中よ!』
凛の声に交じって、向こうの騒々しい音も聞こえてくる。
それはそうだろう。あのサーヴァントたちが一堂に会してしまっているのだ、しばらくおさまらないかもしれない。
しかし、こちらも、悠長なことは言っていられない。このままここにいれば、この結界を維持する魔力と生命力すらも枯渇して、ここにある魂はどこかへ消えて、衛宮士郎は永遠に眠ったままになるかもしれない。
「……だが、それも、いいかもしれんな」
この純粋な少年のまま、眠りについた方が幸せかもしれない。自分のように、何もかもが擦り切れるまで存在することなど、到底、勧められない。
片膝を立てたまま衛宮士郎を支えていたが、地に腰を下ろし、外套にくるんだまま脚の上に抱えた。まるで、子供を膝に載せる親のように。
(軽い……)
まだ、細い、自分に比べれば小さな身体。
(こんな身体で、よくもオレに斬りかかってきたものだな……)
少し笑いがこみあげてきて、僅かに口角が上がる。
必死にオレを睨み付けて、倒れそうになる足を踏みしめて、弾き返された腕を何度も何度も……。
(琥珀色の瞳がオレを映していた。擦り切れてしまった、価値のない、亡霊のようなオレを……)
オレの一撃は重かったろう。
赤い外套の中の腕をさすった。引き締まって固くはあるが、まだ、この腕が細いということに気づく。
この身体で精一杯、正義を示し、自分にひたむきに向かってきた、純粋な存在。
「オレのような想いを、わざわざすることなど、ない……」
目を閉じると浮かぶ荒れた世界。
血と埃にまみれたこの手もこの身体も、純粋さを失ってしまった。
何も顧みずに突き進んだ正義のために、何もかも取り戻すことのできなくなった自分に課せられたのは、ただ死ぬこと。晒されて死ぬことだけだった。
死後を明け渡し、守護者となっても、オレは正義などではなかった。
心は擦り切れ、ひび割れ、消滅だけを望むようになった。そんな生き方など……。
「お前は、同じ轍を踏むな」
そっと赤銅色の髪を撫でる。少し血色の良くなった頬に触れると、くすぐったそうに頬が緩んだ。
あどけない表情だと、素直に思う。
自分とは比べ物にならないほど、尊いものだと思えた。
剣製を繰り返し、血にまみれたこの身体は、錆びた鉄のようにくすみはじめ、髪は色を失い、輝くことのなくなった瞳は鈍色に曇った。
まだ、人の色を残すこの頬も、輝きを失っていない琥珀色の瞳も、温かい赤銅色の髪も、今なら存在できる可能性がある。まだ、オレのように取り返しのつかないところまで来ていない。
(まだ、お前は、引き返すことができる)
温もりを宿す頬に触れたまま、額をその赤銅色の髪に埋めた。この髪は思っていたよりも柔らかい。
(これは、感傷だろうか、それとも嫉妬か……?)
自分が失った全てをいまだ持ち続けるこの存在に、なぜか傾いていく気がする。
『アーチャー、いいわよ! 何?』
突然、凛の声が聞こえ、思わず辺りを見渡してしまう。不覚にもビクついて肩が震えてしまった。
『アーチャー? 聞こえてる?』
「ああ、すまない。あとは私と、衛宮士郎だけだが、意識がない。できるだけ穏便に頼みたい」
動揺を紛らわすように、いつも以上に意識して冷静に言った。
『贅沢は言わせないわよ』
凛の苛立ちに満ちた冷酷な声がする。
何をしてくれたのか、あのサーヴァントどもは、と額を押さえる。
「衛宮士郎を取り落してしまっては元も子もない。私もそれなりに準備はするが、慎重に頼む。彼をここに置き去りにしては、最悪、永遠の眠りについてしまうとも限らない」
こちらの言い分を理解したのか、凛はわかった、と短く答え、準備ができたら教えろと言ってきた。
衛宮士郎を包んでいた外套を広げて捩じる。自身の身体と衛宮士郎の身体に巻いてしっかりと結びつけた。
「準備ができた」
『了解、いくわよ、アーチャー!』
凛に答えるとともに、身体が持ち上がる。二人分だからか、前のサーヴァントたちと比べて幾分速度がマシに思えた。もしかすると、凛が手心を加えてくれたのかもしれない。
両腕にしっかりと衛宮士郎を抱きかかえ、遠くなる剣の大地を見下ろす。
「オレの世界では、歯車が空を覆っていたが……」
乾いた大地に変わりはないが、空は青い。砂埃の向こうには空と繋がる地平線が見える。重苦しく、窒息しそうな血気は衛宮士郎の心象風景には存在しなかった。
(この大地を緑の丘にするのも、殺伐とした荒野にするのも、お前次第だ、衛宮士郎……)
赤銅色の髪に顔を埋める。
「お前は、オレのようには、ならないのかもしれないな……」
なぜだか清々しい気持ちがする。こんなに晴れた気分はいつ振りだろう。
そんなことを考えて目を閉じる。
そして――。
「アーチャー……」
なぜだか怒りに震える少女の声がする。目を開けると、白い敷布が見える。
「ん?」
何かをきつく抱きしめている。
そのままゴロリと寝返ると、完全に何かがオレの上に乗っている。鼻先に赤銅色の髪が触れて、目を伏せる。
(柔らかい……)
思わず唇を寄せそうになって、
「アーチャー」
地を這うような声に、ハッとした。
作品名:LIFE! 1―Hold back― 作家名:さやけ