LIFE! 5 ―Sorry sorry sorry!―
マスターは気づいていない。
シーツを干し終え、空を見上げている。眩しさからか片腕を目元に載せたのが見えた。
引き返せ!
頭ではそう指示しているが、脚はいうことをきかず、もう、数歩の距離にマスターがいる。
諦めて、声をかけた。
「マスター」
驚いて腕を下ろし、振り返ったマスターの目から雫がこぼれ落ちる。
「!」
言葉を失うとは、こういうことなのか、と頭の隅で思った。
何もかもがすっ飛んでしまい、その頬に触れる。
琥珀色の瞳が驚きを宿した。
(この瞳が濡れるのは、我慢がならない!)
何がなんでも理由を質さねばならず、オレはマスターに迫ろうとしていた。
***
朝食を食べ終わったから、洗濯物を干そうと思い、なんとなく聞いていただけのニュース番組を消そうと手を伸ばした。
ふ、と手の側面が、温かいものに触れた。
激しくはなく、かといって触れたことを誤魔化すこともできない確かさで。
同じタイミングでアーチャーもリモコンに手を伸ばしていたみたいだ。電源スイッチを押す指のカッコのままで、手が当たっていた。
つい、顔を向ける。たぶん、同じ感覚で、アーチャーも顔を向けたと思う。
「あ……」
アーチャーも少しだけど目を瞠った。ばっちり顔を見合わせた。
何を言うわけでもなく、ぽかん、としていると、触れた手はすぐに引っ込められ、ぶつかった視線はなかったことみたいに、逸らされた。
(目、合ったよな、今……? なに、その態度……)
憮然としたアーチャーが座卓を布巾で拭く姿を見る。
(俺、なんか、した?)
電源ボタンを押して、テレビの電源が切れると、しん、と居間が静まり返る。俺以外、誰もいないみたいに、静かだ。
座卓を拭き終わったアーチャーが台所へ向かう。それを目で追えもしないのに、気配だけをひたすら追ってしまう。
「洗濯機、止まっただろうな……」
意味もなく呟く。必死に声を絞った。
平静さを崩さないよう、細心の注意を払って言ってから、立ち上がった。
洗面所で、洗濯物を籠に取り出し息を吐く。
アーチャーに触れた右手が熱い。その手を大事なもののように左手で包んだ。
「やりにくいんだろうな……」
呟いて右手を握りしめた。
しばらく動けなかったけど、深呼吸して洗濯籠を持ち、庭へ向かった。
「なんでだろ……」
俺はアーチャーのマスターとして、なんとか直接的に魔力供給をし、それなりにあいつとうまくやっているつもりだった。
でも、数日前から、あいつの態度が一変した。
(この前の供給の時、俺、何かしたんだろうか……)
風呂でのことはだいたい覚えているけど、その後はのぼせていたのもあって、細かく覚えていない。何を言ったかなんて、思い出せないし、やることはアレだけだから、いいにしても……。
(いや、そうだよな……)
いい加減、嫌になったのかもしれない。魔力を得るためとはいっても、あんなこと……。
うまくやっていけそうだと思ったのは、少しの間だけだった。
(まあ、あいつは、そうでもなかったかもしれないけど……)
望んでここにいるわけじゃない。
望んで俺と契約したわけじゃない。
俺が無理やり留めたんだ。
「だからか……。あいつが何かずっと、言いたいことも言えないって感じなのは……」
小言も厭味も三日ほど聞いていない。
聖杯戦争の時みたいに殺気立つことなんて全くといって無い。
まあ、そこは、俺を殺しても無駄だとわかったから、諦めがついたんだろうけど……。
あいつは俺を見なくなった。目の前で話をしていても、俺を見てはいない。前は俺を見ていたはずだ。俺の方が目を逸らすことが多かったんだから。
どのみち、あのポーカーフェイスじゃ、何考えてるかもわからないけど。
目の前に俺がいるのに、他のことを考えてるとしか思えない。そりゃそうか。遠坂とセイバーっていう理想的な主従を目の前にして、自分の状況を省みて、嫌気がさしてきたんだろう……。
(やっぱり遠坂と契約したかったんだよな……)
もともと半人前の魔術使いの俺なんて眼中にないのだから仕方がない。
わかってた。
わかってたことだけど、俺はここにいるんだって、俺がお前と契約したんだって、必死になって言ってしまいそうになる。
俺がそんなことを言えば、あいつは口端を上げて、鼻で笑うだろう。
“お前が望んだことだ”
そう切り返される。
そうだよ、俺が望んだ。
わかってた、そんなこと。
だから、ここに、マスターとして俺が存在してるんだ。
(だけど、あいつはやっぱり、俺なんかと契約するくらいなら、消えたかったんだろうな……)
何度目かのため息をこぼし、シーツを物干し竿に広げて洗濯バサミで留め、空を見上げた。
春の空はうっすらと霞んでいて、なぜだか目の奥が熱くなった。
しばらくぼんやりと空を見上げていたが、紫外線に目が痛み、片腕で目を覆う。
「俺……、なにやってるんだろ……」
自分自身がわからなくて立ち竦む。
後悔しないと公言していながら、俺はあの時の自分の願いを後悔してる。
“消さないでくれ! アーチャーを連れて行かないでくれ!”
あんなことを願うなんて、俺はどうかしていた。
戦いに疲れ切った脳ミソで、身勝手な、あんなことを……。
「マスター」
その声に驚いて腕を下ろし、振り返った。少し驚いたような顔をしたアーチャーがこちらを見ている。
「アーチャー? どうかしたのか?」
極力平静を装って首を傾げると、急にアーチャーは目の前まで来て、俺の頬に触れる。
「っ……」
びっくりして声も出なかった。
「マスター、何があった? 何者かが入って来たのか? 気配を感じられず、」
「な、何すんだよ!」
慌てて、アーチャーの手を払って、半歩下がる。
アーチャーの行動の意味がわからない。
(いきなり、触ってくるなんて、なに考えてんだ!)
確かに魔力供給の時は頬どころか、いろんなところに触れる、それは、仕方がない。
けれど、それ以外の、しかも、敷地内とはいえ外で、なんで?
動揺をどうにか抑えようとして、無理に呼吸を繰り返す。なんとなく俯いた時に、ぽつ、と地面に染みができた。
(え?)
目を見開いたまま、どんどん増える染みを見ていた。
(なんだ、これ? 雨、じゃないよな、こんなに晴れてる……)
風で揺れるシーツの影が視界には入っている。曇っているはずがない。しかも、自分の足元にだけ水滴が落ちるなんて。
ひくっ、と喉が引き攣る。
わけがわからず、口を押さえる。
(なんだ、俺、どうなってる?)
しゃっくりが止まらないような感じで、喉がずっと引き攣っている。
「マスター! いったい何があった! どうして、泣いている!」
アーチャーに両肩を掴まれて、顔を上げる。
(今、なんて言った? 泣いてる? 俺が?)
ますます言葉を失ってしまう。
「なんでも……ない……」
「ないわけがない! マスター、何かあったのなら――」
「うるさい! 俺はマスターなんて名前じゃない!」
アーチャーの手を振りほどき、庭を突っ切り、縁側から洗面所へ走った。
「何やってるんだ、俺……」
作品名:LIFE! 5 ―Sorry sorry sorry!― 作家名:さやけ