瑕 6 昔語りをしようか
確かにスサノオの言う通りだ。立ち上がろうと腰を浮かせる。
「スサノオ、無罪放免はないだろ。俺のやったことは、血の穢れを厭う神様たちには、放っておけることじゃないはずだ」
馬鹿正直に、何を言い出すのか、こいつは。
「だが、そなたに非はないであろう?」
「非がないわけじゃない。やりすぎたって反省してるって言っただろ。俺自身、そう思ったんだから」
スサノオは小さく息を吐き、こちらへ歩いてくる。
「衛宮士郎。もう、忘れよ。そなたは、十分に償ったであろうが」
なんのことを言っているのかわからない。スサノオと士郎だけに通じる話があるようだ。
「でも、俺は、」
スサノオが赤銅色の髪を撫でる。
「もう、よい。そなたは笑うておれ。何を悔やむことも、嘆くこともないであろう。阿が傍に居るのだ、そなたがすべてをかけて手にした者がおるのだ。幸福であろうが」
「うん。幸福だ」
「ならば、それでよい」
スサノオを見上げて、頷く士郎はやっと納得したようだった。
やはり、オレの知らない士郎がいるという疑念は確信に変わった。
(まだ聞いていない士郎の傷がある……)
知らず、握った手に力が籠もる。
「阿よ、焦るな」
スサノオに釘を刺された。
焦って士郎の傷を抉るなと暗に言われた。確かに無理やり吐かせるような真似をすれば、傷を深くする可能性がある、だが……。
ぽん、と肩に手を載せ、スサノオは微笑む。
「時間はあるのだ。焦ることはない」
耳打ちしてスサノオは去っていく。
そんなことはわかっている。オレも無理強いをしたいわけじゃない。
「アーチャー?」
見上げてくるその頬に触れる。琥珀色の瞳がオレを映す。
(今はこれで、我慢できる……)
士郎が話す気になってくれるまで待つ。額を合わせると、士郎は笑った。
「アーチャーにさ、ちゃんと話してよかった。俺、また一人で考え込むところだった」
「成長したな、士郎」
「るせー」
悪態をつきつつも、士郎は笑っている。
相談し合って、最善を探す。今はこれがオレたちの精一杯だ。
(何もかも話せる時はそのうちに来るだろう。オレも、士郎にすべてを話そう。どんな想いで英霊であったのか、どんな気持ちで士郎と聖杯戦争をしていたのか、通じた記憶の断片ではなく、オレが何をどう思ったのかを士郎に伝えよう……)
不意に視線を感じる。騒々しかった神々と神使どもが、静まり返ってオレたちを見ている。眉間に力が籠もった。
「……士郎、部屋に戻るぞ」
「へ?」
今にもキスしそうな直前で言われた士郎は瞬く。オレの視線の先を見て、気づいた士郎の顔が一気に赤くなった。慌てて士郎は俯いたが、もう遅い。
(神使にも士郎のファンが増えた、確実に……)
今ので半数はハートを射抜かれている。
すぐさま士郎を抱え、屋根へ跳び上がった。
「バカ、下ろせ!」
「下ろすか、たわけ!」
神々と神使の目から逃げる。
部屋まで戻って、縁側へ下り立つ。ようやく、一安心だ。
「よかった、追い出されなくて」
「当たり前だ。お前が追い出されるわけがない」
「んなの、わかんねーだろ」
「スサノオがオレたちに、ここにいろと言っただろうが」
「そうだけどさ」
「スサノオも形だけで灸を据えようとしていたのだろう。大ごとにせず、すぐに済むはずだった。士郎が余計なことを言わなければ」
「はいはーい、俺が悪かったよー」
棒読みで謝罪しても、意味がない。
「まったく……」
不貞腐れた唇を、甘く噛んでから塞いだ。
***
「はっ!」
飛び起きて、口を押さえた。喉がカラカラで、息が乱れる。心臓が激しく脈打ち、全力疾走を終えた後のように息苦しく、汗が全身を伝う。
「あ……」
灯火に照らされる薄闇に気づき、ここが磐座の俺たちの部屋だと、やっと安心する。
「士郎?」
耳に心地よく響く声に、泣きそうになる。答えられずに項垂れた。
そっと抱き寄せてくれる温かい腕に身体を預け、再び布団の中。
安心する。この温もりにも、その低い声にも……。
「大丈夫か?」
何を以てアーチャーが、そう訊いたのかわからない。
俺は何も言ってはいないし、俯いてたから、俺の、きっと最低な、今にも吐きそうな表情が見えるはずもない。
(何か、寝言でも言っちまったか……)
背中をさすって、頭を抱え込んで、俺を全身で包んでくれるアーチャーの胸に顔を埋める。
その夜着を握りしめた拳が震える。どうしようもなくて、力の籠る拳を開き、その厚い胸板の熱に触れた。
「嫌な夢、見た……」
「そうか」
それ以上、何も訊かずにいてくれる。
(やっぱり、気づいてるよな……)
俺がまだアーチャーに言えないことがあると、気づいている。
アーチャーは訊きたいはずだ。俺の全てを欲しがるのを知ってる。些細なことで不安になって、俺を必死に繋ぎ止めようとするのを何度も感じた。
俺だって同じだ。アーチャーの傍にいるためなら、なんだってする。全てを知りたいと思うことは、お互いに仕方のないことだって、わかってるし、俺も出し惜しみするつもりなんてない。
だけど……。
(あんな俺を、知られたくない……)
無理やりに目を瞑る。
言いたくないことを言わずに済むように、夢の中に逃げようとする。
だけど夢は、血の光景を広げて俺を待ち構えていた……。
支援物資をトラックから下ろし、小学校だったという建物に運んだ。
政府への不満と民族紛争がない交ぜになって、この辺りは混沌としているらしい。決して広くはない、コンクリート造りの平屋の建物に、避難してきた人たちがひしめき合っていた。
建物の中に入れない人々は、校庭――と言ってもなんの仕切りもない、ただ、校舎の前に広がる空き地だが、そこに身を寄せ合っていた。
俺たちが物資を運ぶのを、固唾を呑んで見ている。乾きも空腹もきっとピークのはずなのに、彼らは何かに怯えるように、ただ、その場に腰を下ろしたまま、群がっても来ない。
俺たちのような支援物資を運ぶボランティアの護衛を国連から依頼を受けた連合軍が担っていた。現地の兵に比べると、あまり緊張感がなく、いつも煙草やコーヒーを飲んで談笑していた。
(国連だから、襲われないとでも、タカを括っているのか?)
そんなことを思って、暇なら手伝え、と国際支援の経験がまだ浅い俺は、不満を抱えたりしていた。
だが、まあ、支援する俺たちの方にも問題はあった。
決して手際が良かったとは言えない状態だったんだ。代表者が体調を崩し、急きょ立てた代理の人だったから、ちょっとしたことで混乱が起きる。ダレてしまっても仕方がない、と思える状況ではあった。
しかも、手狭な建物での物資の仕分けなどに手間取り、さらに滞在日程までがオーバーしてしまっていたから……。
結局、俺たちは予定よりも三日長く、その小学校に滞在していた。
月のない夜だった。
真っ暗で、静かな夜。
その夜、本来なら支援者は、もういないはずだった。この小学校に支援物資目当てにゲリラ軍が襲撃をかけてきたのは、そんな夜……。
避難者、兵士、連合軍入り乱れての深夜の銃撃戦。
敵も味方もわからない。
作品名:瑕 6 昔語りをしようか 作家名:さやけ