瑕 6 昔語りをしようか
夜着が汗で湿って気持ち悪いだろうに、身体が疲れているのか、また睡魔に襲われ、しかし、すぐにうなされ、目覚める。その繰り返しだった。
「やっぱ、寝不足っぽい」
目元に手を当てた士郎の口元は、笑っている。
「なら、部屋へ戻って休め」
「うん、そだな……」
竈から離れた士郎を抱きすくめた。
何も言葉が浮かばない。何かに苦しむ士郎に、オレはただ、こうすることしかできない。
「あんがとな、アーチャー」
離したくはないが自制をかけ、士郎を解放した。琥珀色の瞳がオレを見つめる。その手が頬に触れてきて、口づけられた。
触れるだけですぐに離れた唇を追う。身体を引こうとしたその腰を捕える。上半身を反らして逃げを打つ身体は、腰を捕えられているために、逃げ道にも限りがある。
「……がっつきすぎ」
熱く蕩けた琥珀色の瞳が目の前だ。
吐息とともに不平を口にした唇を舐め、上、下それぞれの唇に吸いついて、やっと士郎を放す気になった。
「アーチャー……、気づいてると、思う……。でも、もうちょっと、待ってくれ。俺が。全然、ダメだから……」
気持ちの整理をつけさせろ、ということだろう。士郎は話そうとしてくれている。必死に、自分自身と折り合いをつけて。
オレも自身の歩んだ道程について話そうと思っている。オレはもう、いつでも話す決心はした。永く存在しただけあって、オレは士郎よりも、その辺りの割り切りは早かった。
「無理はするな」
「してない。してないけど、こわいんだよ……」
「こわがりめ」
何も恐れることなどない。何を聞いたとしても、オレが士郎の傍にいることは、変わりようがないのだから。
***
「俺が奪った命、俺が救った命。命に掛け値はないけど、明らかに、奪った方が多い……」
立てた膝に額を預けた。広縁で部屋の板壁にもたれていたけど、太陽が眩しくて、二度と太陽を見ることのできなくなった人たちがいることを思い出して、顔を上げていられなくなった。
俺が救えたのはたったの五人で、奪ったのは……。
目を閉じる。眠らなくても、思い出してしまう。
もう、どうしようもなくなっていると、自分でもわかってる。
あの日々は苦しかった……。
それを思い出しただけで、今も変わらず苦しいなんて、と笑いがこみ上げる。
「俺はどんだけ弱いんだっての……」
膝を抱えて項垂れて、ため息をつくしかなかった。
「士郎!」
病室に甲高い声が響いた。そちらに目を向けると、遠坂が息を切らせて、泣きそうな顔で、戸口に立っている。
「遠坂……」
俺は、笑えただろうか? 彼女には、ちゃんと笑顔で応えようと、前もって練習していたんだけれど……。
「バカ! もう、バカ弟子!」
ベッドの側まで来て、遠坂は散々怒る。何回バカと言われればいいんだろうと、苦笑いしか出なくなった。
「なにやってるのよ、もう……」
俺の手を取って、ベッドの側にしゃがんで、遠坂は息を吐いた。
「ごめん、巻き込まれて……」
「聞いた。酷い目にあったわね」
「あ、うん……」
「士郎、大変なときにアレなんだけど……」
言いながら遠坂は、肩に掛けたショルダーバッグをあさっている。
「あ、あった、これ、見て」
取り出されたのは、写真だった。
どこかの戦場のような。荒野にいくつも包まれた塊が写っている。それは、おそらく人間だったものだ。
「アフリカ? それとも中東かな?」
「うん、中東の方よ。下の方、小さいんだけど、見える?」
遠坂に促されるまま、じっとその写真に目を凝らす。あまり写りのいいものじゃないけれど、俺は気づいた。
「これ……」
「わかる?」
「ああ」
「あいつの、よね?」
そこに写った柄の部分。あいつの夫婦剣の柄だ。
「ここの場所は!」
遠坂の腕を掴んでベッドを下りようとする俺を遠坂は押し留めた。
「詳しい場所はわからないわ。それに、もう消えてる。ボロボロだもの、消滅する寸前にカメラに写っただけよ、落ち着いて士郎」
「あ……、うん、そう、だな……」
「気持ちはわかるけど、焦っちゃダメよ」
ベッドの縁に腰を下ろした遠坂が俺の頭を撫でる。まるで子供扱いだ。
「大丈夫よ。いつか会える」
「そう、だな……」
額に口づけて、遠坂は優しく囁く。
「眠りなさい、士郎。大丈夫よ、今は、身体を休めるの……」
だんだん意識が落ちていく。たぶん、遠坂が魔術を使ったんだと思ったけど、もう、俺は抗う術もなかった。遠坂の言葉通り、俺は眠りに落ちた。
目を覚ますと、誰かに背負われている。頭を上げると、たくさんの人が行きかうのが見えた。
「あら、目が覚めた?」
「遠坂?」
俺は誰かに背負われたまま、遠坂を見下ろしている。
「日本までの飛行機が取れなかったのよ、だから、列車で。時間はかかるけど、いいわよね?」
うまく話が飲み込めないが、とりあえず頷く。
「どこに……」
「一度家に戻った方がいいわ」
遠坂に言われて、ああ、と頷く。そういえば、日本に戻るつもりで物資輸送機に便乗したんだった。
「うん……」
「まーったく、子供みたいね!」
遠坂が笑う。まだぼんやりしている俺は、苦笑するしかなかった。
「じゃ、士郎、一人でも大丈夫ね? ちゃんと、加茂家へ行くのよ?」
「ああ。そのつもりだった。ありがと、遠坂」
「いいのよ。じゃあ、また、連絡して」
遠坂と、俺を背負ってここまで来てくれた、身体の大きな遠坂の同僚に手を振る。
俺は、陸路を日本へ向けて出発した。
車窓から見える果てのないような大地。あいつの立っていた剣の荒野が思い出される。
「あいつは、今、どこにいるだろう……」
目を閉じると剣戟の音。
俺を睨み付けた鈍色の瞳。
俺を貫かずにいた、あいつの静かな瞳は、悲しみと、憤りと、怒りと、苦しみと、負の感情が軒並み盛り込まれたような鈍色だった。
「ありがとうって、言いたかった……」
最後に俺を助けてくれた。俺だけじゃなく、遠坂も助けた。
「あんた、優しすぎるよ……」
窓枠に頭を預ける。目尻から涙が滑り落ちた。
「あ……、また、出てきた……」
あいつを想うと、涙が出る。
どうしてだろう。
もう、考えることもやめてしまった。
我慢することも、止めることも難しいので、俺は、そのままにすることにしている。
「あんたなら、教えてくれるかな、この理由……」
きっと、たわけ、と一蹴されるはずだ。
俺を褒めたためしなどない、最後には一応、認めてくれはしたみたいだけど、まあ、あんな半人前だったんだから、仕方ないよな。
「会いたいよ、あんたに。会って、それで……、別に、何か言うってことでもないけど、少し、話してみたいなって、思うな……」
流れる車窓をぼんやりと見る。涙で滲んだ視界は、さして見えるものでもない。
(俺さ……、人、殺しちゃったんだよな……。あんたなら、叱ってくれるか……?)
バカだと、たわけだと、言い返す間も与えずに怒鳴ってほしかった。
何をやっているんだと、どうしようもないやつだ、と……。
「アーチャー……」
呼んだところで、答える声なんてないことは知っている。
会えることなんて、きっと奇跡に近いはず。
作品名:瑕 6 昔語りをしようか 作家名:さやけ