比翼の鳥は囀りて
歌い人の正体が明らかになった後も、ルヴァは密かに聴くことをやめなかった。
人前で披露できる程の歌声がありながらたった一人で歌っている位だから、何か事情があるのだろう。自分がうっかりしゃしゃり出てしまえば歌わなくなってしまうかもしれない。
聴けなくなるのはなんだか嫌だった。
だが、他にもアンジェリークの歌声を聴きつけた人間がいたようで、徐々に平日も日の曜日のような賑わいを見せるようになっていった。
歌声はそれからふつりと途切れてしまった。
癒しの時間がなくなって暫くのち、ルヴァは夕闇が迫る時間にふらりと湖へ立ち寄った。
辺りはやや薄暗くなり、人気はなく静寂に包まれていた。誰もいないこの時間ならもしかしたら、と思ったのだ。
─────そこに、アンジェリークがただ一人立っていた。
嬉しさで急に締め付けられるような感覚を覚え、ルヴァはそっと胸を抑えた。
決して彼女の邪魔をしてはいけない。気づかれぬようにそろりと隠れた。
そして甘美な歌声が響く。
いつもは読書をしながらなので歌詞をじっくり聴いたことがなかったが、今日は久し振りに聴く歌声に耳を澄ませた。
金に螺鈿に 輝く星のまたたきを
いまついばむ比翼の鳥となれり
天地(あめつち)分かつ さだめ繋ぎしこの腕(かいな)
地に根ざして連理の枝となれり
鳥よ 我が魂の片割れよ
きみ行く先に幸あれと思ひ染む
鳥よ 我が魂の片割れよ
曇りなき東(ひむかし)の空囀りて
淡い月が昇り始める中、彼女は朗々と歌い上げた。
歌詞は比翼連理をモチーフにしたもののようだ。どこか懐かしさを感じる旋律に言葉が乗り、胸の中へと温かく流れ込む。
感動でぞくぞくと体に震えが奔ったまま一向に治まらない。
（─────なんて、なんて美しいんでしょう……！）
ふいに目の奥からこみ上げるものを感じて、ぐいと手の甲で目元を拭ったそのとき、衣擦れの微かな音がした。してしまった。
そしてアンジェリークがはっとこちらを振り返った。酷く緊張に満ちた表情で。
しまった、と思った瞬間、彼女は瞬く間に踵を返し駆け出していく。
「待って……待って下さい、アンジェリーク！」
もしや怯えさせてしまったのではないか。そう思って慌てて後を追おうとした。……が、長ったらしい衣装もそうだがそもそも走ること自体不得意なのだ。
ずべしゃあ、と思いのほか派手にすっころんだ。
少し先で足音が止まった。
しばしの沈黙のあと、落ち葉を踏みしだく音が近づいてくる。ようやく起き上がると目の前にハンカチが差し出された。
「……こんばんは、ルヴァ様」
アンジェリークの頬は、ほの暗い中でもはっきりわかるほど赤くなっていた。
「こんばんは、アンジェリーク。驚かせてしまったようですね、すみません」
そう言うとアンジェリークは黙って頷き、顔についた泥を丁寧に拭き取ってくれた。
「ど……してこんなところに、いらっしゃるんですか……？」
見られたのがよほど気まずかったらしく、消え入りそうな声で尋ねられた。先程の堂々としたアンジェリークと同一人物とはとても思えないほどだ。ここは正直に言うべきか迷ったが、もうこそこそしたくなかった。
「……実は、あなたの歌を聴きに来ました」
翠の大きな目がこれ以上ないほど見開かれる。
「以前にね、ここで本を読んでいたら偶然綺麗な声が聴こえてきて……それからすっかり魅了されてしまいましてねー。声の主があなただと知ったのは、つい最近なんですよー」
アンジェリークはもじもじとハンカチを両手で握り締め、俯いた。
「今日まで盗み聞きのようになってしまったこと、どうか許してください。知られたくないのかと思って黙っていました」
「……はい」
「今日の歌も、素晴らしかったですね。また聴きに来てもいいでしょうか。……内緒で」
片目を閉じ冗談めかして伝えると、彼女はくすりと笑った。
「……内緒でなら、いいですよ」
少しだけ笑顔を見せてくれたことで、ルヴァが安堵のため息をつく。
「あの、部屋まで送ります。もうすっかり暗いですからね」
「はい……あの、さっきは逃げちゃって、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げるアンジェリーク。
「いいえ、私が驚かせてしまったのが悪いんですよー。だから気にしないで下さい。そうそう、これも内緒の話なんですが、明日の朝またここに来ますのでね」
全然内緒ではないだろうと思ったが、アンジェリークは驚いた顔のままこちらを凝視して……小さく頷いた。
なんとなく二人だけの秘密の約束をしたような錯覚に陥り、彼女を送り届けてうきうきと帰路を急いだ。