比翼の鳥は囀りて
翌日、早朝に湖を訪れてみるとアンジェリークが所在無げに佇んでいたので声をかけた。
「おはようございます~。早いですね」
びくりと肩が揺れ振り返ったアンジェリークがはにかんで、いつもは白い肌が赤く染まった。
「おはようございます、ルヴァ様。あの……昨日は、お怪我はなかったですか」
「あーなんともありませんでしたよ。どうか気にしないでくださいねー」
実は転んだ拍子に膝をしたたかにぶつけていて、大きな青あざになっていたが。
「……」
「……」
二人の間に沈黙が訪れる。
ルヴァは何とはなしに、朝靄にけぶる蒼い湖面を眺めていた。
それから彼女の横顔をそっと伺い見ると、じっと何かを考え込んでいるようだった。
「……アンジェリーク?」
声をかけてみるとゆっくりとこちらに向き直り、その翠の双眸がルヴァを捉える。
「あのー……昨日の歌のことなんですが、どこであれを?」
「音楽の教本に載っていたんです。メロディが好きなんですけど、歌詞は難しくてよくわかりません」
今日はその話ができたらいいと思って、一冊の本を持参していた。頁を開いてみせる。
「……天に在りては願わくは比翼の鳥となり、地に在りては願わくは連理の枝とならん。『長恨歌』という詩が題材のようです。ほら、ここの辺り」
「えっ、そうなんですか……! でもルヴァ様ごめんなさい、読めないです」
なんか線がいっぱいありますね、と小さい声がした。
「ふふ、翻訳は任せてくださいねー。えーと、立ち話もなんですし、ちょっと座りましょうか」
ルヴァの落ち着いた声音につられ、アンジェリークが小さく微笑む。
「あ……敷物を持ってきたので、良かったらどうぞ」
そう言ってすぐに立ち上がりぱっぱと手際よく敷物を広げるアンジェリーク。
「あーありがとうございます。お言葉に甘えますねー」
一冊の本を二人で読むため、肩を寄せ合うようにして座った。
アンジェリークから仄かに甘い香りが漂ってきて、なぜか落ち着かない気持ちになる。
「じゃあ、続き。教えてください」
緊張がほぐれてきたのか、穏やかな笑みを浮かべている。
「えー、はい。比翼の鳥は伝説上の生き物で、片目片翼しかないんです。ですので雄と雌でペアになって、協力しなければ飛ぶことができません。転じて仲睦まじい夫婦の絆のことを言います。連理の枝も似たような意味合いで、こちらは別々の二本の木が一つになる、連理木の……」
言いかけてふと思い出した。
「……あぁそういえば、ここから程近いところに連理木があるので、よかったらこれから見に行ってみませんか?」
ぱっとアンジェリークの表情が明るくなった。
まるで花開く瞬間のようだ────と、ルヴァは一瞬その眩さに見蕩れた。
「連理木って本当にあるんですか!? 見てみたいです!」
「では行きましょうか。足元に気をつけてくださいねー」
少しだけ高鳴った鼓動に知らぬふりをして、二人はその場を後にした。