あの人へのHappy Birthday
すぐ隣の執務室をノックして、返事を待たずにすぐ開けた。
「おーい、いるかー入るぞー」
「開いていますよ。どうぞー……おや、ゼフェルでしたか」
机のほうを見ると、てんこ盛りの書類の山に埋もれるルヴァが視界に入った。
(ロザリア……いくらなんでもやりすぎだろ、アレは……)
相当疲れ切っているようで、しきりに目元や肩を揉んでいる。
「すげー書類の量だな」
「ええ……何故かいきなり大量に来ましてね。今日は徹夜になると思います」
ぐったりとしたルヴァの目の下には、しわがくっきりと出来ていた。
「ロザリアから伝言。明朝〆の書類はまだまだ期限に余裕があるんだってよ」
できるだけ笑わないように気をつけながら、伝言を伝えた。
「……は? ど、どういうことですか」
ぽかんと開いた口の塞がらないルヴァの前で、絨毯を見せる。
「これを受け取って欲しくて、オッサンがぜってー帰らないように仕事増やされたんだよ」
「は? えっ? じゅ、絨毯……?」
「……しっかり受け取れ、よっ!」
思い切り絨毯を広げて見せると、中からアンジェリークがゴロゴロと転がり出てきた。
「オレらからの誕生日プレゼントだから、ありがたく受け取れよー。で、おめーら明日は休みだってよ。じゃあな」
呆然としているルヴァを放置してゼフェルは踵を返していった。
「い、いった〜い……」
アンジェリークの声にはっと我に返り、慌てて駆け寄る。
「ア、アンジェ!?……大丈夫ですか!?」
抱き起こそうとしてギクリと体が強張った。
うつぶせの状態からようやく上半身を起こしたアンジェリークの姿に釘付けになる。
花冠とリストレットからふわりと鼻先に漂う薔薇の香り。
そして薄く透ける布の下から、すらりと伸びた白い足や胸の谷間が見える。
薄めだけれど丁寧に施された化粧で頬は薔薇色に、唇は濡れたような艶があり上品ながらも色っぽく、可憐な妖精のように見えた。
まじまじと凝視されていることに気付いて、アンジェリークは恥ずかしそうに両腕で体を隠した。
「あの……あんまり、見ないで。恥ずかしいから……」
差し出された手を頼りに、アンジェリークが立ち上がる。
「お怪我はありませんか?」
「ええ、大丈夫よ。あの……お忙しいのに邪魔しちゃって、ごめんなさい。わたしにも何がなんだか……」
アンジェリークの長い睫毛が伏せられて、微かに震えた。
その儚げな様子が可憐な姿を一層引き立てて、ルヴァの密やかな決意を散り散りに乱していく。
「あなたにね、ひとつ謝らなくてはいけません」
「謝る……? なんのこと?」
アンジェリークはなんのことだろう、と不思議そうに小首を傾げた。
「この間、ゼフェルに言われたんです。私が意地を張っている、と」
ルヴァは床に散らばり落ちた薔薇を拾い上げ、そっと机の上に置いた。
「女王であるあなたの邪魔になってはいけない、自分の気持ちは押し殺してしまえばそれでいいと……思っていました」
初めはただ想うだけで幸せだったのに、それが変わっていったのは一体いつからだろう。
どんどん逢いたくなって、逢えば触れたくなって、そしてもっと欲しい……と、
心の中で言葉に出来ない想いだけが砂の如く積もって、息苦しさを感じるようになったのは。
「今まで、あなたに逢いたいと思うだけで殆ど何もしてこなかったことを、謝ります。すみませんでした」
ルヴァの指先がアンジェリークの滑らかな頬を滑る。そこへアンジェリークの手が重ねられた。
「逢いたいって思ってくださってるだけで、嬉しいです。お手紙で充分励みになっているわ」
そう言って柔らかく微笑むアンジェリーク。
いつだって彼女の力になると、自分は誓ったのではなかったか。
それがどうだ。蓋を開けてみればすっかり優しさにあぐらをかいて、何もしてこなかったように思う。
「本当は、逢ったら二度と離れたくなくなってしまいそうで……少し怖かったんです」
女王と守護聖としての立場を壊してしまいたくなる葛藤が、時折強烈に胸の内に沸き起こるのだ。
そしてその葛藤に苛まれる度に、訪れる者の少ない聖殿のテラスへと逃げ、心を落ち着かせていた。
「けれど時間は有限です。どうやら私はその貴重な時間を……随分と無駄にしてしまった」
この聖地で、アンジェリークと共に同じ時間を過ごせるのは、あとどれくらいだろう。
アンジェリークの手が重ねられたまま、ルヴァの指はこめかみから耳へと流れた。
くすぐったい、と首をすくめるアンジェリークの腕を引き、そのまま強く抱き締めた。
「……陛下」
その呼び方は、人目があるときのもの。
だが吐息混じりの声音は確かな熱を伴って、アンジェリークの耳に響いた。
「今夜一晩、あなたの時間を私に下さい」
いつもの穏やかな問いかけでも、熱願でもなかった。
これは……懇望の形を取った彼の命令だ、と気付く。
その証拠に、ほぼむきだしの背を熱い手のひらが彷徨い出している。
「今日のわたしは、ルヴァへのお誕生日プレゼント、らしいわよ?」
だから好きにして、と囁くと、嬉しそうに一度ぎゅうっと抱き締められてからすぐに抱え上げられた。
「宇宙の至高が贈りものだなんて、皆さん粋なことをしますねえ。早速連れて帰る事にしましょう」
片手でアンジェリークを抱きかかえながら、書類を簡単に片付けていく。
手付かずのものはクリップで留められているから、また後日やればいい。
そうして明かりを落とした執務室に鍵をかけ、二人はルヴァの私邸へと戻る馬車へと乗り込む。
その道すがら、アンジェリークは気になっていたことを口にした。
「ねえルヴァ。さっき見たんだけど、あの書類って全部ロザリアに出されたの?」
ガタゴトと揺れる馬車の中で、ルヴァの指は薔薇の香りが漂う金の髪を愛しげに弄んでいる。
「そうなんですよ。昼過ぎにどっと持って来られちゃって……まあもう半分は終わったんですが」
「えええ! あんなにあったのに、半分も終わっちゃってるんですか!?」
アンジェリークには丸二日拘束されても終わらない量に見えた。
やっぱりルヴァはすごい、という思いで彼を見上げると、心なしかルヴァが得意気な顔をしていた。
「長いこと守護聖をやっていれば、あれくらい造作もないと思いますよー」
ぐいとアンジェリークの肩を抱き寄せて、柔らかな頬に口付け、囁いた。
「……でも、あなたにそんな目で見つめられるのは、やっぱり嬉しいものですね」
寄り添ったままお喋りに花を咲かせながら、馬車はルヴァの私邸へと到着した。
作品名:あの人へのHappy Birthday 作家名:しょうきち