神の真意を汲む化石
告白
「失礼します。おはようございます、ルヴァ様」
黙々と書類を書いていたルヴァの耳にアンジェリークの声が届いた瞬間、彼自身も驚くほど素早く顔を上げていた。
「アンジェリーク……!」
花のような笑顔が目に入った途端にガタリと大きな音を立てて席を立ち、大股でアンジェリークの側へと歩み寄る。
そして気付けば、その腕にしっかりと抱き締めてしまっていた。
「あ、あの……ルヴァ様……? どうし……」
慌てて体を離そうとするアンジェリークを離すまいと、更にきつく抱き締めた。
「……もう、ここへは来てくれないんじゃないかと……思っていました」
耳元で聞こえた声があまりにも切なげで、アンジェリークの息をできなくする。
「あなたに嫌われてしまったものとばかり……」
優しく金の髪を撫でる大きな手や腕の温もりに、日なたを思わせるルヴァの香りに酔いしれながら、アンジェリークは顔を上げて微笑む。
「嫌いになんて、なってません」
「……良かった」
安心した様子でアンジェリークを強く抱き締めていた腕が緩んだ。
もう少し身を委ねていたかったアンジェリークは、拗ねた口調で言葉を紡ぐ。
「ちょっと大変だったんですよぅ、ルヴァ様が下さったこのとんでもないシトリンのお陰で」
拗ねた言い方すらも大変可愛らしいと内心思いながら、ルヴァの手はよしよしとアンジェリークの頭を撫で続けていた。
「一体何があったんです?」
それから、アンジェリークはペンダントを贈られてからの出来事をかいつまんでルヴァに話した。
「……なるほど。そういう事情でしたかー」
「わたしは何となく、みんな仲良くねって言葉をかけていただけなんですよ。そしたら、このシトリンが熱くなって、綺麗な音がして……気付いたら朝で。それからクラヴィス様に聞きに行ったら、わたしがいっぺんに黙らせたって仰って……」
アンジェリークの話に頷きながら、ルヴァはにこりと微笑んだ。
「ああ、それはですね、アンジェリーク。原石があなたのその願い通りにしたのではないかと思いますよ」
アンジェリークは原石の声をごく自然に受け止めたのだとルヴァは考えた。……それは星々の声を聞き九つのサクリアを使いこなす、女王の力の目覚めとも言える。
「あのぽかぽかあったかい感じ、ルヴァ様のサクリアの名残だったんですねー。おんなじでびっくりしちゃいました」
喋りながらペンダントを光に透かしてルーペのように眺めているアンジェリーク。その嬉しそうな頬を染める薔薇色が、彼女を見つめるルヴァの頬にも移っていることに、まだ気づいてはいない。
「はあ、何とおんなじだったんですか?」
照れ臭さを隠して、ルヴァはいつものように緑茶を飲みながら訊ねた。
「……さっきの」
とても言いにくそうに言葉を濁すのが気になって、ルヴァは首をかしげた。
「……ルヴァ様の、腕のなかと」
先程抱き締められたときに気付いたあの陽だまりのような温もりを、部屋で眠りに落ちる前にも確かに感じたのだ。
「……! あああ、あの、それについては本当に、すっ……すみませんでしたっ」
首まで真っ赤になりながら、ルヴァは慌てて頭を下げた。そして落ち着かない様子で緑茶を口に運んだ。
「いいんです。……また、ぎゅってしてください」
いま口に含んだばかりの熱い緑茶がルヴァの喉を通ることはなく、綺麗さっぱり執務服の上に降り注いだ。端的に言えば、噴出したともいう。
上目遣いではにかみつつ告げられたその一言は、ルヴァの心の中に「可愛いは暴力」と深く刻み付けるほどの恐ろしい威力を持って響いた。
「大丈夫ですか?」
せっせとアンジェリークがルヴァの執務服を拭き、心配してその顔を覗き込んだ。
「あ、ああ、はい。大丈夫ですよ。すみません、ちょっとむせてしまって……ところでアンジェリーク」
「はい?」
「次に何か困った事が起きたら……まず私のところへ来てくれませんか。そのー、他の誰でもなく。私はこれでも知恵を司ってる者なんですから」
「はい。ご心配をお掛けしてしまってごめんなさい、ルヴァ様……」
しゅんと項垂れたアンジェリークの肩を慌てて掴んだ。
「あああそんな、落ち込まないでください、アンジェリーク。あなたを責めているんじゃなくて……もっとね、頼って欲しいんです」
「だ、だって……あんな寝不足の酷い顔、ルヴァ様にだけは見られたくなかったんです……」
アンジェリークは真っ赤な顔を隠すようにして俯いていた。
「だらしない子だって、嫌われたくなくて……」
(……私にだけは)
ルヴァの頭の中で、その言葉が一連の出来事と符合した。
(嫌われたくなかったのは、怖かったのは、あなたも同じだったんですね)
「……私は、どんなあなたにだってお逢いしたいんですけどねぇ……逢えずにいたこの数日のほうが、ずっと辛かったんですから」
ルヴァが膝をつき、屈み込んでいたアンジェリークの揺れる瞳を覗き込む。
見つめ合ったままゆっくりとその距離が近付いて……互いの吐息がかかるほどに近付いて、ルヴァの唇が躊躇いがちにアンジェリークの唇に、触れた。
「……あなたが好きです、アンジェ」
間近で再び見つめ合い、離れ難そうに唇がもう一度そっと重なった。
額をくっつけてどちらからともなくくすくすと笑う。
「キス、されちゃっ、た……」
照れて逃げようとするアンジェリークの熟れた林檎のような熱い頬を、ルヴァは両手で包んだ。今はきっと自分の頬だって、似たような色に染まっているのだろう。
「しちゃいましたね。……だめでした?」
「ううん……嬉しい、です」