ShiningStar
こんなに近くにいるのに、どうして壁を作らなければならないのか。どうしてありのまま想いを伝えられないのか、と士郎は唇を噛みしめることしかできない。
心の距離を詰めてしまえば、アーチャーを傷つける。アーチャーを置いていく自分が、そんな勝手をするわけにはいかない。
「オレは、お前のそのままを、陸に見せてやることが一番いいと思うがな」
アーチャーの静かな声に、士郎は頷く。
陸のことで迷うのを士郎はやめることにした。
もう自分のことで精いっぱいだった。陸には申し訳ないのだが、もう自分を押し留めていることで、目いっぱいなのだ。
「そうだな」
「士郎」
呼ばれてアーチャーに顔を向けると唇が重なる。重なっていた唇が僅かに離れ、ちゅ、と吸いついてからアーチャーは身体を戻した。
熱の離れた唇をへの字に曲げて士郎も顔を戻す。
「も、お前な……。こういうことするから、陸の情操教育にって思ったのに……」
「陸は、もう寝た」
「ああ、うん、そうだけど」
「結界を信じろと言ったのは、お前だろう?」
「……そう……だった」
少し顔が熱いまま頷く。
(俺のことをアーチャーは見ていてくれる。正しいことと間違っていることを、アーチャーは正確に判断してくれている……)
アーチャーの言ったことを信じよう、と士郎は決めた。自分のありのままを陸に届けよう、と。
今さらジタバタしても仕方がない。陸が自分なりの答えを出せたのなら、それでいい。
洗い物を終えた士郎は、アーチャーに身体ごと向き直る。翌朝の仕込みを続けるアーチャーは小皿に取った煮汁を味見している。
「アーチャー、風呂に……」
「ああ、先に入っていいぞ」
鍋から目を離すことなく答えるアーチャーに、尻込みしそうになって、士郎は唇を噛む。
「あの……えっ……と、そ、じゃ、なくて……」
「掃除ならやっておくが?」
顔を上げていられなくて、視線が落ちる。
「一緒に……、その……」
言いながら、士郎はアーチャーのシャツの裾を引いてしまっていた。
(なにしてんだ、俺……)
カラ……。
菜箸が鍋の縁に当たった小さな音がする。
グツグツと沸騰した鍋の音が聞こえる。
菜箸を持った手の形を保ったまま、アーチャーの手が止まっている。
士郎が沈黙に耐えられず、恐る恐るアーチャーの顔を見上げると、その目は見開かれたままで、一点を見たまま動かない。
グラグラと鍋が噴きあがってくる。
じゅあっ、と出汁がこぼれた。
「あ、わっ!」
慌ててガスを止めようとしたが、先にアーチャーの手がガスを止めた。士郎が伸ばした手を引く前にアーチャーに掴まれる。
「や、火傷は、していないな?」
「あ、う、うん」
火傷の心配をしてくれたのかと気づき、心配性だな、と少しだけ笑みが漏れる。
「それから、士郎……、風呂にと……」
「あああ、い、いや、な、なんでも、ない! なんでも! なんか、変なこと、い、言っちまって」
乾いた笑いを漏らしながら、後ろへ一歩足を退くが、腰に腕が回っている。それ以上、身体が後ろに下がれない。
(こいつ、ほんと、手が早い……)
いつ腕を回してきたのかも気づかなかった士郎は、離れることを諦めるしかない。もう逃げられる状態ではない。
「あの……、なんでも、ない……から……」
聞いているのかいないのか、何も言わないアーチャーに、さらにがっしりと抱き寄せられる。
「驚かさないでくれ」
「……ご、ごめん」
跳ねる鼓動が聞こえやしないかと、士郎は気が気ではない。もがいてみたりして、どうにか離れられないかと画策するが、無駄だった。
(驚いたのか……、俺が変なことを言っちまったもんだから……。アーチャーが、鍋噴きこぼすなんてな……。きっと頭の中で、いろんなこと考えたんだろうな……)
申し訳ない気分になってくる。
「謝らなくてもいいのだが……、それよりも、火傷をさせてしまうところだった」
「しないって、噴きこぼれた時点で火も消えるんだし」
さらに腕に力がこもってくる。まさに、ぎゅう、という感じだ。
(ちょっと、苦しいんだけど……。背骨、折る気かよ……)
心配だったんだろうな、と士郎は小さく息を吐く。
(自分がぼんやりしていて、俺がそのせいで火傷なんかしたらって思って……。たぶん、こいつは自分を責めてるんだろう……)
こんなに締めつけるように抱きしめるほど、自分のことを考えてくれるアーチャーに、うれしくないはずがない、けれど、同時に胸が痛む。
自分を抱きしめて丸くなった背中を、士郎はそっと撫でる。
「お前のせいじゃないよ、アーチャー」
前の火傷云々のことだけではなく、守護者になってやったこと。結果的に殺戮者となってしまったことは、アーチャーのせいではないのだと伝えたかった。
(伝わらないかもしれないけど、俺が言ったこの言葉だけは忘れないでいてほしい。もし、遠坂との契約が切れて、また守護者に戻ってしまったとしても、記憶が無くなっても、お前のせいじゃないって、この言葉だけは……)
涙があふれそうになって、士郎は目を伏せた。
「少し、待っていてくれるか?」
ぼそり、と呟かれた声に、士郎はハッとして現実に引き戻される。
(さっきの一緒にってやつの答え、だよな? どうしよう、今さら、無し、なんて言えそうにない雰囲気……)
腕を離したアーチャーに頬を両手で包まれ、鈍色の瞳と目が合う。その表情は、少し照れているようにも見えた。
(あー……、ダメだなぁ……)
もう、いろいろ言い訳を考えるのを士郎はやめてしまった。士郎はこの瞳に弱いのだ。
アーチャーの手に自分の手を重ねる。
「ん。待ってる」
その答えに、アーチャーはうれしそうに笑った。
(反則だろ、そんな顔……)
思っても口には出せず、その上、顔も熱くなってきて、士郎は熱の籠もったため息をつくしかない。
「士郎、手を、放してもらわなければ……」
「は! あ、ご、ごめっ……」
ぼんやりして、アーチャーの手を掴んでいた自分の手を忘れていた。慌てて手を離し、仕込みの邪魔をしないように、士郎はおとなしく居間へ引き下がった。
座卓に頬杖をつきながら、士郎が自身の失言に反省やら赤面やらで疲れてしまう前に、それほど待つ間もなく、仕込みは終わったようだ。
台所の電気が消え、アーチャーが居間に入って士郎の手を取った。そのまま指を絡めて握ってくる。促されるまま立ち上がって、廊下を風呂場へ向かって歩いた。
(ちょっと恥ずかしいけど……、外ではできないから貴重だな)
浮かれてしまいそうな自分を抑える。こんなふうに手を繋ぐなど、数えるほどしかしたことがない。掌の温もりが伝わるだけで幸せな気持ちになる。
(アーチャーは、どんな気持ちだろうな……)
そんなことを思って、自分がかなり乙女的な思考に陥っていると気づき、慌てて打ち消そうと首を振る。静かな廊下に、ときおり床が軋む音がするだけの沈黙に耐えられなくなってきて、士郎は伺いをたてた。
「アーチャーは、嫌じゃないのか?」
「何がだ?」
全く思い当たる節が見つからない様子で、アーチャーは士郎を振り返る。
「風呂だよ。やっぱ……、狭いだろ?」
作品名:ShiningStar 作家名:さやけ