Green Hills 第1幕
口元だけが見えるだけでもシロウが苦笑いを浮かべているとわかるのに、アーチャーは気分を害することもなく、
「ああ、そう……だな」
と、また考え込んでいる。
表情があるわけではないアーチャーだが、シロウには戸惑っているように見えた。
(もしかして、セイバーの記憶があるのか……?)
セイバーは金の髪をした少女、という微かな記憶がアーチャーにあるのなら、今目の前にいるセイバーは何者だ、と疑問が湧くに決まっている。
記憶の中のセイバーが持っていた剣を扱う別物がいるのだ、戸惑うのも無理はないのかもしれない。
シロウは自身に剣を貸してくれたセイバーの微笑みを思い出す。
(彼女は、最後まで俺を守ってくれた……)
それほど時が経ったとは感じないのに、懐かしく思えて、夜空を見上げ、シロウは小さな笑みを浮かべた。
凛の話が終わり、教会に赴き、衛宮士郎が聖杯戦争に参加する意思を表明し、帰路についた途端、イリヤスフィールの襲撃を受けた。
墓地へバーサーカーを誘い込んだシロウは、重い打撃を受け流しながら、そろそろだ、と援護しているはずのアーチャーへ意識を向ける。案の定、魔力の膨れ上がる感覚を僅かに感じる。
シロウの記憶では、マスターである士郎がセイバーを庇って大ケガをするところだが、この世界の衛宮士郎に聖遺物であるセイバーの鞘があるのかどうかわからない。何しろセイバーの鞘は自身に埋めこまれたままなのだ。
聖遺物は一つ。だとしたら、シロウがこの世界に召喚された時点で士郎の中にあったセイバーの鞘が消失している可能性がある。確信を持てない以上、士郎に無茶はさせられない。
アーチャーの攻撃は想定内。士郎を守ることはできる。
治癒能力の有無がわからない以上、士郎に大怪我を負わせるわけにはいかないのだ。
(仕方がない。ここは、俺の記憶を頼らせてもらおう)
アーチャーの攻撃を感じ、着弾する直前、腕を引いて走る士郎を庇いつつ全力で跳んだ。さいわい、まだ自分より身長が低い主を守ることは容易かった。アーチャーの一撃にバーサーカーはしばらく身動きができない。身体を起こしたシロウは、無事な主を見て、ほっと息を吐く。
「ケガは、ないな?」
一応確認しておく。頷く士郎に安心して、シロウはそのまま横倒しになった。
「セ、セイバー?」
「だい……、じょうぶ……」
肘を地につき、身体を起こそうとシロウは力をこめる。士郎が助け起こそうと背中に手を回し、ぬるり、と手が滑ったことに気づいた。
「え……? な、なんっ、バ、バカ! 何してんだよ!」
手にべっとりと付いた血に士郎は驚愕する。
シロウの背中の鎧は割れていた。青藍の衣は赤く濡れている。
「すぐ、塞ぐよ」
主を見上げるシロウの口元は笑っている。きゅっと眉根を寄せて、士郎は歯を喰いしばっている。
「ごめん。俺が――」
「こんなの、たいしたこと、ないって」
傷口を塞ぎ、出血を止めたシロウは身体を起こす。立ち上がろうとすると、士郎が肩を貸す。
「士郎?」
「歩けるか? セイバー」
なんなら背負ってやる、とでも言いそうな勢いの士郎に、歩けるよ、と笑みを見せた。
赤い主従と別れ、衛宮邸に着くなり、シロウは玄関に倒れ込んだ。途端に銀の鎧と額当が薄れ、青藍の衣もチリチリと裾や袖から燃えるように消えていく。
「え? セ、セイバー?」
「ちょっ、と……、眠らせ……」
シロウは傷の治癒に魔力を使っているのだろう、魔力で補われている衣服すら維持できなくなっている。そのまま玄関で眠ってしまったシロウに、士郎は呆然とする。
「ちょっと、えっと……、これ、俺?」
シロウの顔をはっきりと見たのはこれが初めてだった。あの夜、土蔵の暗がりではあまり見えなかった。
「ウソ……」
どうみても自分だ。いや、少し大人びている。少し年上の、自分……。
混乱しているのに、妙に納得している自分がいる。呆然としていた士郎は、とにかくこのまま放置してはおけない、と思い至った。
「まったく、無理するから……。って、このままじゃすっぽんぽん、だな。こんなの玄関に置いていたら、桜や藤ねえが来て大騒ぎだ……」
ブツブツと言いながら、シロウを背負う。
「あれ? なんだ、意外と軽いな」
身長が自分よりもあるので、もっと重いと思っていた士郎は少々驚いた。
「サーヴァントだからかな?」
そんなことを思いながら、自室の隣の部屋に敷いた布団にシロウを寝かせる。
「ケガ、大丈夫だって言ってたけど……」
シロウの身体を転がして確認すると、背中にあった傷は消えている。すっかり青藍の衣は消えて、産まれたままの姿でシロウは眠っている。
その身体には傷一つ残っていなかった。
「表面は、魔力で塞いだってことか」
だが、中身はまだまだだろう、と息を吐いた士郎は、仰向けに身体を戻してやろうとして、ぴたり、と手を止めた。
「な……、なんか……」
どういうわけだろう、と士郎は心臓が速くなるのを感じる。
自分よりも白い背中が……、傷もホクロすら見当たらない背中がきれいだと思った。
「腕、細いな……」
自分とあまり変わらないような気がする。いや、僅かに細いかもしれない、と自分の腕を握って確かめる。
「剣を持って戦うのなら、もっとごつくてもおかしくないだろ……」
胸が少し痛んだ。
こんな細い腕で、あんな巨体の敵を相手にしたのか、と唇を噛む。
せめて、あのアーチャーくらい逞しい腕ならば心配はしないのに、とシロウに布団を掛けながら、士郎は憤っていることしかできなかった。
*** 主従ということ ***
「セイバー? 目、覚めたか?」
ぼんやりとその声の方に目を向ける。
心配そうな琥珀色の瞳が一心に見つめてくる。
「うん、大丈夫だよ」
にこ、と笑って、シロウは身体を起こした。
「む、無理すんなって!」
「いや……、何か食べたいなって……」
「食べる?」
「ああ、うん。お腹が空いた」
しょんぼりと言うシロウがおかしくなってきて、士郎は笑い出す。
「サ、サーヴァントって、飯とか、食うんだ!」
笑いながら言って、ほい、とたたんだ衣服一式を手渡す。
「シャツは俺のでもいけそうだけど、ズボンはちょっと短いかもな」
「あ、そうか、全部身体の方に使ってしまったから……」
手渡される服に首を傾げていたシロウは、やっと一糸まとわぬ姿であることに思い至った。
「さっさと着て来いよ、ご飯にしよう」
残り物だけど、と士郎は先に部屋を出ていった。
「なあ、セイバー。どうしてあんな無茶したんだ?」
カウンター越しに、座卓についたシロウに訊く。
「士郎も無茶をしただろう? 巻き込まれるとわかっていて、俺を引き戻しに来たじゃないか」
む、と士郎が口ごもると、シロウは、ふふ、と息を漏らして笑う。
「咄嗟に動いてしまったんだ」
明るく言うシロウに、呆れたため息をついた士郎は台所から食事を持って出てくる。
「残り物だけど、どうにか一食分は守りきれた」
作品名:Green Hills 第1幕 作家名:さやけ