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Green Hills 第1幕

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 咄嗟に動いたのは、知っていたからか、守りたかったからか。
 その一瞬に考えられることなど、多くはない。確かにキャスターの宝具の力は知っていた。自分も同じことをして、かつて自身の騎士であった少女を苦しめた。
 だから、今この選択をした士郎の気持ちも、こうして自分が士郎を守ろうとする気持ちも、どちらもわかる。わかっているからこそ、止まらない。不安は山ほどあるのに……。
 彼女だから耐えられたキャスターの戒めが自分にも耐えられるかどうか自信はない。もしかすると、キャスターにあっさり操られ、凛とアーチャーを殺してしまうかもしれない。
(いいや……)
 キャスターには従わない。シロウは強く念じた。
 どんなに苦しくとも、無関係の人間を食い物にするような奴に従うわけにはいかない。セイバーとしての矜持がそれを許さない。
(耐えて、みせるさ……)
 シロウは目を伏せる。胸に刺さるキャスターの宝具が、士郎との契約を剥がしていく。
 とても苦しいと思った。こんな苦しさを彼女も味わったのか、と歯を喰いしばった。
「セイバー!」
 士郎の声がやけに遠くに聞こえる。視界が歪み、まるで透明な膜の中にいるように、何もかもがぐらついている。
「ダメだ……士郎……」
 止められないんだ、と声が震える。こちらへ手を伸ばそうとする士郎が見える。
「離れ……、っ、逃げ、ろ……」
 剣が勝手に魔力を帯びていく。身体が勝手に剣を構える。
「セイバー!」
 凛に腕を引かれ、藤村大河を抱えたまま、士郎は呼ぶ。
「に、逃げろぉっ!」
 シロウの悲痛な叫びとともに、剣が暴風を起こす。斬撃は三人を掠めてキャスターの結界に穴を開けた。澱んだ空気が外に吸い出されていく。
「目障りなお嬢ちゃんを殺してしまいなさい、セイバー」
「ぁっ……くっ……」
 グラグラと眩暈がする。身体が、足が、前に進む。意思とは反して、地を蹴った身体は、少女を目がけて突進する。
 嫌だと思っても、身体がいうことをきかない。
「っ!」
 アーチャーの矢が腕や脚を掠め、痛みに身体が止まってよろめく。結界に穴が開いたことで、アーチャーも攻撃が可能となったのだとわかった。容赦なく矢が射られる。肩にも腕にも脚にも鋭い痛みを感じる。不思議なことに致命傷になるような箇所に矢は刺さっていない。
 アーチャーは凛を守ろうと自分の足止めをしているだけなのだと気づき、掻き毟られたように胸が痛んだ。
 シロウは駆けることができなくなっていた。ふらつく脚を踏みしめる。だが、もう目の前に驚愕する凛の表情が見える。
 “やめろ!”と何度念じても身体が止まらない。
「っめ……、ろ……」
 呪文のように繰り返す。剣の切っ先は凛の胸元へ的を絞った。
「ぃ……ゃ……っ……」
 手が、足が、目の前の少女に向かう。
「嫌だぁっ!」
 肉を貫く感触に愕然とする。血の匂いに眩暈がする。左手で刃を握って止めようとしたのに、止められなかった。
「ぁ……っ……ぁっ……ぅ……」
「セイ、バー……」
 突き刺した剣を遠慮もなく引き抜き、そのまま剣を捨てた。目の前で崩れ落ちたのは、主であった少年。
 見上げる琥珀色に歯の根が合わなくなる。
「ぁ……」
 力が抜けて膝をついた。
「ごめん……、セイバー……」
 士郎の声がアーチャーの射撃の音にかき消される。
 何度も首を振って、違う、と言おうとしても、シロウの声は出なかった。
 謝るのは自分だと、傷つけたくなどなかったのだと、伝えたいのにしゃべり方を忘れたように言葉にならない。
 泣かなくていい、と士郎の両手が頬を包む。
「……行く、から……、かな、らず……助けに、行く……、から……」
「……っ……っ……」
 凛に連れられ、逃れていく士郎は、ずっと、セイバー、と呼んでいた。
「し……ろ……ぅ……、士……ろ……、し……士……」
 座り込んだまま、壊れたように士郎を呼ぶシロウの背後にキャスターが立つ。
「行くわよ、セイバー」
 紫のローブがふわりと浮いて、シロウを包んだ途端、衛宮邸の庭には誰もいなくなっていた。

「セイバー……」
 キャスターをマスターとしたシロウと戦わなければならないのか、と士郎は拳を握りしめる。左肩の傷が痛む。
 だが、それよりも、自分を刺したあいつの方が痛かったはずだ、と士郎は傷の残る肩に触れる。
 令呪に縛られて、抗いながらも、抵抗できずに剣を振るったシロウを思うとやりきれない。喰いしばった歯を、苦しげに吐かれた息を間近で感じた。顎を伝った涙がこんな傷よりも痛かった。
「必ず、助ける」
 士郎は立ち上がる。シロウを取り戻すために、じっとしてなどいられない。
 痛む傷を握りしめ、街へと向かった。



「っ……は、……くっ…………」
 戒められた身体で歯を喰いしばり、抗うことをやめるわけにはいかない。
 石畳の床と壁を夥しい血の痕が汚している。
「強情ねぇ、セイバー?」
 目深にかぶった紫のローブから見えるのは薄く笑う口元だけだ。
「っ……魔女に……使役され、る、なんて、……ごめんだ、からな……」
「口が過ぎるわね」
「っぁぐ!」
 短剣がシロウの胸から腹を斜めに走った。飛んだ血がキャスターの手を染める。
 ずる、と壁にもたれたシロウの身体が滑り落ちる。だが、腕をワイヤーのような細く頑丈な糸で戒められているため、両腕だけで半端に吊るされているような状態だ。その糸も手首に食い込み、血が滲み出ている。シロウが完全に意識を失い、力が抜ければ、この両手首に全体重がかかり、このまま手首から切断されてしまうだろう。
「っ……はっ……」
 シロウはまともに呼吸が紡げなくなっている。
 従えという令呪に抗うこと一日半、シロウの精神力も尽きかけている。その上で、身体的なキャスターの嬲りに耐え、いまだ抗うことをやめない。
 キャスターの魔力を拒んでいるため、傷も治らない。傷を塞ぐことよりも抗う方へ心血を注いでいるため、血は流れて出ていく一方だ。吊られた腕も傷も痛い。
「どのみちあなたは私のもの。もう魔力も現界できるギリギリじゃなくて?」
 シロウの顎を掴み、薄っすらと笑みを浮かべた顔が近づく。
「こんなもの、必要ないでしょ? そろそろ顔をお見せなさいな」
 額当に触れたキャスターの手から顔を背ける。
「この……っ、生意気な……」
 歯ぎしりして、キャスターはシロウの頬を打つ。乾いた音が響いた。白い頬に赤い平手の痕が浮かぶ。
「剣士なんて強情なばかりで可愛げがないわね」
 言いながらシロウの胸元、ちょうど心臓の上に、キャスターは指で触れる。
「要らないのではないかしら、こんな偽物の臓器なんて」
 くすり、と笑う口元も声も常軌を逸している。
「キャスター」
 血に濡れた短剣をその胸に突き立てようとしたキャスターは、呼び声にハッと我に返る。
「な、なぁに、アーチャー。あなたには、外の見張りを命じたはずよ?」
 苛立たしさを隠そうともせずにキャスターが振り返る。
「なに、暇を持て余していてね。敵もネズミも現れる様子が全く……」
 言いかけてアーチャーは言葉を失った。
 キャスターの背後に見えたものに、不快に目を細める。
「……ずいぶんと、いい趣味をしているな。まるで生贄だ」
作品名:Green Hills 第1幕 作家名:さやけ