敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女
温度差
宇宙では太陽の光が当たるところは温度が摂氏百度以上、日陰に入るとたちまちマイナス百度と言うのが日常である。ゆえに宇宙で着る服は、急激な温度変化に耐えられるよう造られている。
それにしても、今のこの温度変化は凄まじかった。斎藤は自分が着ている〈服〉が軋む音を立てるのを聞いた。耐スペースデブリ仕様の船外作業服であり、極低温にも高温にも耐えられるように造られてはいる。零下180度のタイタンでもこの服は自分の身を護ってくれた。
それに対して今の〈ヤマト〉の艦内気温は零下せいぜい20度ばかり。あれに比べればこんなもの……。
そう思っていたのだが、けれども今、歩いていくと陽炎(かげろう)が。エンジンルームの熱気によって空気がユラユラしているのが、冷気とぶつかり渦巻いて眼にはっきり見えるほどになっている。まるでそこで空間が歪んででもいるようだった。
「なんでえ、こりゃあ……」
斎藤は言った。『機械に強い部下を集めて機関室へ行け』、と言われてとにかくやって来たのだが、詳しいことは何も知らない。機関室がオーブンになって、機関員がみな倒れたと言うことくらいだ。
「とにかく中へ」
言ったけれども、抵抗を感じる。斎藤はこれまで宇宙冒険家として、太陽系宇宙の誰も見たことのない場所に進んで足を踏み入れてきた。金星の厚い雲の中に潜り、エウロパの深い海に潜り、火星の鍾乳洞を歩いた。そのどれもが恐ろしげで、入り口に人の立ち入りを拒む魔物がうずくまっているような気がした。
けれども今、ここで感じる抵抗はそのような心理的なものとは違った。単純に気圧の壁が前に立ちはだかっていて、身体を後ろに押し戻されそうになるのだ。
なんだなんだどうなってると思いながら部下と共に機関室の中に入る。するとそこに、全身が銀色のロボットみたいなものがいた。
すぐにわかった。以前、金星を探検したとき、自分もそれと同じようなものを身につけたのだ。超耐熱の防護服の類(たぐい)だ。あれは金星の摂氏480度の環境で、自分の体を護ってくれた。それがあれと同じものなら、今この部屋の温度などなんとも感じないに違いない。
「なんでえ、人がいるじゃねえか」
斎藤が言うと、
「ああ、すいません、おれ、おれ、おれ……」
銀色の男が言った。ヘルメットのバイザーまでミラーコートされているので斎藤には顔が見えない。
しかしずいぶん頼りなげな感じだった。ひょっとしてその銀色の〈服〉を後ろ前に着ていやがって、おれがいま見ているのはこいつの背中じゃねえだろうなと思うくらいで、トイレを我慢してるみたいに手足をバタバタ動かしている。
「おれ、おれ、おれ、おれ、どうしていいかわかんなくって……」
「いやその、こっちが、どうすりゃいいかわかんないんだけど」
「おれおれおれおれ、おれひとりの手には負えないんですようっ!」
「うん」と言った。「そうだろうね」
作品名:敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女 作家名:島田信之