敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女
股の下
敷井はビーム・カービン銃の銃剣を外し、箒(ほうき)を持つように逆向きにして台尻を前に突き出した。伸縮式の肩当てはプラスチックで出来ている。一杯に伸ばしたそれを鉄条網の中に入れた。
バラトゲ線に接触させる。
ちょっとイヤな匂いのする煙が出たが、それ以上のことはなかった。敷井は銃の台尻を高く上げさせてみた。大きな輪に巻かれていたトゲ線が全体的に持ち上がり、その最も下の部分が床を離れる。
そうしてゆっくり4、50センチ上げてやった。
「こんなもんかな」と尾有が言った。「そうやってずっと持っていられるか?」
「どうかなあ。かなり腕が疲れそうだぞ」
それに、脚もだ、と敷井は思った。このトラップを抜ける方法として尾有が考えたのは、バカバカしいとも思えるほどに単純なものだった。トゲ線はバネ状のコイルに巻かれて置いてあるだけ。だから、全体を持ち上げてやれば床との間に隙間ができる。その隙間をひとりずつ、みんなで順に這って通り抜ければいい。
尾有が言う。「何人か通れば向こう側からもこの線を支えられる。だから頑張ってくれ」
「わかった。早くやってくれ」
「よし」
と言って、言い出しっぺの尾有がまず床に這いつくばる。股を広げて立つ敷井の脚の間を這って、その先のトゲ線の下をくぐろうというわけだ。知らない者がハタから見ればかなり珍妙な光景だろうなと敷井は思った。
尾有が床を這っていく。敷井としては股を広げて踏ん張る形を取り続けなければならず、また、そうしなければ銃の尻でトゲ線を上げ続けることができない。
コイル巻きのトゲ線はブワブワとした手応えだ。それを持ち上げ支えるのは、ある種の筋トレマシンを使って運動しているような感じだ。たちまち腕や腰が辛くなってくる。
手にはさっきの猿渡りによる痛みがまだ残っている。尾有が上半身を向こう側に出させたところでふと思った。もしも敵が今この瞬間を待ち構えていたとしたら、尾有はダダダと銃撃を受けて蜂の巣になってしまうのじゃないか。そしてこのおれもおしまいだ。
コイル巻きの線が揺れる。尾有はついに最後まで通り抜け、戸口の向こうで立ち上がった。銃を構えて周囲を見、それから高圧電流の制御装置に取り付く。
「どうだ?」
と足立が言った。尾有は応えて、
「やはりこいつは石崎だけが逃げるためのもんらしいな。暗証番号を押せば簡単に解除できる。でも番号がわからなきゃドカン」
「知ってるのは石崎だけか」
「そういうことだろう。迂闊(うかつ)にいじらん方がいい。おれがここで見張ってるから、早く全員で這い出るんだ」
「やれやれ」
と敷井は言った。二番手として熊田が床に這いつくばる。
大平が言う。「道具がありゃあなあ。こんなことしなくても、バイパス作って電流逃がせばペンチでこんなの斬ってやれるぜ」
「次は持ってきてくれ」
「そうする」
――と、その時だった。敷井は手にガクンという衝撃を感じた。トゲ線がビーンと弦を弾くような音を鳴らす。
「わっ」
と言った。見ればトゲ線が銃の台尻から離れそうになっていた。電流の熱がジワジワとプラスチックを溶かしていたのだ。かろうじてトゲが一本ひっかかっているけれど、それも今にもプラを溶かして抜け落ちんばかり。
「わっ、わっ、わっ」
また言った。他の者らも気がついて、ギョッとした顔をしたけれども、しかし手を出す者はいない。
当然だ。これは誰にもすぐ手が貸せるような状況ではなかった。ヘタをすればトゲ線を弾いてしまうかもしれない。
そうなったら、今、この下を這い進んでいる熊田はオダブツ――。
「急げ!」
と流山が言った。そうだ。そう叫ぶしかなかった。ここは熊田にすぐ戸口を這い抜けさせる以外にない。
だが、『急げ』と言ったところで――。
火花が弾けた。熊田だ。急ぐあまりに身を浮かせて、背中を上げてしまったのだ。トゲ線にもう少しで接触しかけ、電流がショートしたのだった。
幸い、トゲにひっかかることはなかった。刺さっていたら、確実に死ぬ。熊田はどうやらまだ命はあるようだった。
が、今の電撃で、かなりダメージを受けたらしい。床を這って進めずにいる。力を手足に込められないのだ。
それがわかった。敷井は銃の台尻を見た。トゲはもう今にも抜けそう。
「急げ!」叫んだ。「引っ張り出すんだよ、早く!」
「あ、ああ」
と言って尾有が熊田の襟首を掴んだ。そうして身を引きずって戸口を抜けさせそうとする。
「早く!」
敷井は言い続けるしかない。後ろでも仲間達が熊田の両脚を押して先へ送ろうとしているのがわかる。
トゲ線のトゲはとうとうプラを溶かして引っこ抜けた。ジャーンという音を立てて床にブチ当たる。
間に合った。熊田の体はホンの一瞬前に戸口を通り抜けていた。トゲ線があちらこちらでぶつかり合ってバチバチと放電の火花を散らす。
みんなしばらく何も言えなくなっていた。敷井以外の全員が床にへたり込んでいた。敷井だって座り込んでしまいたかった。
その中でひとり熊田が身を起こす。まだ電流が効いてるようだが、
「大丈夫ですか」
宇都宮が言った。熊田は「ああ」と応えてそれから、
「大丈夫だよ」
言ったときだった。その体がまた電流を受けたようにビクンと跳ねた。
電流ではない。銃撃だ。フルオートのライフル射撃だった。ダダダという銃声と共に飛んできたタマに熊田は撃たれたのだ。
変電所の奥。機械が並ぶ通路の向こうに銃を構えた者がいた。「いたぞ! こっちだ!」と、仲間に呼び掛けたものらしい声を発して尾有めがけて銃を撃つ。〈AK〉のものだとわかる聞き慣れた銃声。
ドタドタという音も聞こえた。男の呼び掛けに応じて仲間が駆けつけてくる足音だろう。数は三人かそれ以上。
〈石崎の僕(しもべ)〉に違いなかった。敷井達の侵入は気づかれていたのだ。
戸口の向こうで尾有の顔が恐怖に歪むのが敷井に見えた。高圧線があるためにもうこちらには戻れない。敷井達も救けに出れない。そこにいれば殺られてしまう。
そして、尾有が殺されたなら、おれ達も――どうする、どうすればいい? 敷井は思った。しかしただ、何もできずに鉄条網の向こうを見つめて立ちすくんでいるしかなかった。
作品名:敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女 作家名:島田信之