敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女
心に棚を持つ男
「おやじさん」と〈青〉の男・風見が言った。「これはもう、そんな薬でごまかせるもんじゃないんじゃねえですかね」
「う、ううう……」
石崎は、まだ指先につまんでいる〈仮死剤〉とやら言う錠剤を睨んで唸(うな)るばかりだった。〈ピンク〉のユリ子は『まずお前から先に飲め』といくら言っても飲もうとしないし、〈赤〉〈黄〉〈緑〉の三人はシラケ切った表情で『どうでもいいから早くしてくれ』と言わんばかり。
卓に置いたコンピュータの端末機は各所で自軍が崩れていくのを表し出している。聞こえるのは、『石崎はどこだーっ!』と叫ぶ者達の声。
『油断するなーっ! 石崎のことだ、まだ何があるかわからんぞーっ!』『そうだ! クローンの替え玉くらい用意してるかもわからない!』『銃剣で刺したくらいで死ぬやつじゃないぞーっ! 首を斬るんだ! 脳と心臓をやらなきゃダメだ!』『いーや、ナマコは、まだそれでも再生するぞ!』『そうか、そうだな、とにかく完全にトドメを刺すんだ!』
そんな声も聞こえてくる。「うーん」と、〈赤〉の男・一文字が腕組みして唸って言った。
「おやじさんをなんだと思っているんでしょうね」
「知るか! わたしはプラナリアかクマムシか?」
すると声が、『プラナリアは百に斬っても百のプラナリアに再生するぞーっ!』
「ああもう」
言って石崎は遂に錠剤を投げ捨てた。〈仮死作戦〉は御破算である。
「まったくもう、なんなんだ。人のことを妖怪みたいに……」
言ったが、しかし、この部屋にいる赤・青・ピンク・黄・緑の五人もまた、自分達が囲むこの男を妖怪でも見るような眼で見ていた。この五人でさえそうなのだから、普通の人間が『石崎和昭は殺して死ぬ人間じゃない』と思うのは当然のことなのかもしれない。
そうでなくても、人は慣れない殺しをすれば、念を入れてトドメを刺すようなことをやりがちだ。首を絞めて殺した相手が決して息を吹き返すことがないようにと、頭に袋を被せて口をギュウギュウに縛ったりする。それでもまだムクリと起き出し掴みかかってきそうで怖いものだから、包丁でブスブスブスと何度も胸を突き刺したりする。
まして石崎。妖怪だ。この男は人類社会の中における妖怪以外のなんでもない。妖怪とは人の心が創り出した存在だ。そして神もまたそうだ。石崎を信じ崇(あが)める者にはこの男は現人神(あらひとがみ)だ。だから死ねる。自分は死ねる。石崎先生の〈愛〉のために死ねば必ず生き返りその後の幸福が約束される――なぜかそのように考える。
しかしそのような存在の正しい呼び名は〈妖怪〉なのだ。神などいない。錯覚だ。そして妖怪もまたそうだ。石崎和昭は信じる者の眼には神。そうでない者には妖怪。
しかしてその実体は、ただの小汚(こぎたな)いおっさんだった。ちゃんと眼を開けてよく見れば、それがわかるはずだった。札束を詰めた鞄を小脇に抱え、そのカネがまだ我が身を助けてくれると信じて重さを確かめている。そこまでしょうもないおっさんだった。
しかし、それでも今もなお、〈妖気〉とでも呼ぶべきような異様なものを放っている。渡しはせん、渡しはせんぞ、わたしの栄光を渡しはせん……そのように彼がつぶやくたびに、その妄執が形を成して彼の背後で実体化し、黒々とした獣の姿を見る者の眼に浮かばせているようだ。そんな気迫が漂うのだった。
石崎和昭。まさに妖怪。しかし、それも錯覚である。銃で撃っても刃で斬っても釜茹でにしても、巨大な電子レンジに入れてチンとしてやったとしても、死なないような感じがどうもするにはするが、ほんとに死なないなんてことが無論決してあるはずがない。銃剣でひと突きにすれば死ぬのだ。たぶん。なのだけれども、今は人が正常な心理状態を保っていられる状況ではない。誰もが石崎の力を恐れ、銃で撃っても死ななかったらどうしようと考えずにいられなくなっているのだった。
冗談のような話だが、石崎と言う男には確かにそのような思いを人に抱かせるところがあった。
『冷静になれ! いくらなんでも死なないと言うことはない!』
と、そのような声も聞こえてくることはくる。しかし、
『それより、心配は電力だ! 何か仕掛けがしてあるかもしれないぞ。停電を直した途端にドカンとか――』『それで自分だけ逃げられると思ってるのか、バカめ! どこまで腐った野郎だ!』『それどころか、石崎のことだ。核爆弾くらい用意していて不思議はないぞ!』『なんだと! そうか、それがやつの狙いか!』『そうだ! やつは地球人類すべて道連れに死ぬつもりだ!』『許せん! よくもよくもよくも――』
「勝手に変な考え起こして勝手に怒り狂ってる」
と〈緑〉のガキが言った。これに〈黄色〉のデブが応えて、
「うん。バッカじゃねえかなあ」
いや、元々お前らが正義の味方なんとか戦隊なんとかマンのつもりでこんなテロ行為をやらかすのが悪いんだ、と、この者達に言っても無駄なことであろう。〈ピンク〉のミニスカ女・ユリ子が、
「いっそほんとに核爆弾とか用意しとけばよかったね」
「そうだな」と〈赤〉の一文字。
「いいわね、行くわよ、ドッカーン」
「それ、おれ達も死ぬんじゃないか」ようやく気づいたみたいに言った。
「うーん、そうなのかなあ」
「死ぬと思う。それより〈ハイペロン爆弾〉みたいなものは何かないのか」
「えーと、ハ……なんて言ったの?」
「ハイペロン」
「はいぺろん?」
「ハイペロンだ」
「なあにそれ」
「日本語で〈重核子(じゅうかくし)爆弾〉と言うらしい」
「だからなんなの」
「知らないけど、後で生き返れそうな気がする」
「いいかげんにしろ!」〈青〉の風見が大声を上げた。「黙って聞いてりゃ、ダラダラとヲタクの駄弁(だべ)りみたいなことを……お前らマジメにやる気あんのか!」
「風見」と言った。「そういうのはおれの役目……」
「だったらちょっとはリーダーらしくしろよお前! こんなときにはいぺろんだのぺろぺろんだの……」
「しょうがないだろ。本当にそんな名前の爆弾があると言えばあるんだから」
「あるんだったら持ってこい!」
「『持ってこい』ってあのなあ。この状況で……」
「そういうことを言ってんじゃねえ! いま思いつくんなら、なんでもっと早くに考え用意してこなかったのかと言ってるんだ!」
「え……ハイペロン爆弾をか? いや、ただそういう言葉を知ってるってだけで……」
「その爆弾なら後で生き返れるんだろう?」
「え? そうは言ってない」
「男が言葉を変えるんじゃねえ! 一度言ったことに責任を持て!」
「えーと……」
と言って一文字は、チラリと〈おやじさん〉を見た。『一度言ったことに責任を持て』と言うのは石崎和昭と言う男が数十年の人生の中で何十億もの人々から、物事からバックレるたび浴びせ掛けられた言葉である。この妖怪の耳はしかしその言葉を、〈雑音〉として遮断するノイズ・キャンセル機能を備えているらしいのだが……。
作品名:敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女 作家名:島田信之