敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女
ヴォカリーズ
地下東京の東と西と南の端では、街から逃げて桜林に身を隠した人々が、上を飛び交うタッドポールが放つ光を見上げていた。それがどうやら日本人を殺しに来た外国人が乗るものらしいと皆知っていたが、だからと言ってどうすればいいのか。
真っ暗でロクにものを見ることができず、息が苦しく立って歩くのもままならない状況で、できることがあるわけもない。それに、やって来た者達は、下にいる自分達に気づきもせずにサッサと上を通り過ぎていってしまう。
それにまた、〈彼ら〉同士でいがみ合って機をぶつけ合い、銃やロケット弾で撃ち合っているのも見て取れることだった。
「ありゃあ一体何しに来たんだ」
とあきれてつぶやく者がいる。それに対して、
「どっちにしてもおしまいよ」犬を連れて逃げてきた者が、その犬の頭を撫でてやりながら言う。「あたし達は今日でおしまい……」
そうなのだった。誰もが一酸化炭素中毒で意識を失いそれっきりになる時間が近づいている。それまでおそらく、一時間もありはしない。二十分か三十分か、それとも十五分後にはコロリなのか――それを知ることもできない。わかっているのは、そのときが必ず来ると言うことだけだ。
なのにどうすることもできない。そのときを彼らは待つしかないのだった。
小型ラジオを脇に置き、電源を入れたままの者がいる。だが雑音を鳴らすばかりだ。どこかで放送があるならば、チューナーが自動で電波を拾うはずだが――。
「無駄だな」
「北の変電所に石崎が立てこもっているんだろ」
「どうもそうらしいけど」
「あれを殺せば電力が戻るってもんなのか」
「どうだろうなあ」
「だって、石崎のことだろう。死ぬなら地球人類すべて道連れにしてドカーンくらい……」
「うん。やりかねんやつだよな」
そんな言葉を交わしていたときだった。不意にラジオの雑音が止んだ。代わりに、『ア〜ア〜』と聞こえるような奇妙な音を鳴らし始める。
「ん?」「なんだ?」
『ア〜ア〜ア〜』
「なんだろう」
『ア〜ア〜ア〜ア〜ア〜』
「女の声みたいだな」「みたいだけどさ。なんだよこりゃ」
『ア〜ア〜ア〜ア〜ア〜ア〜ア〜ア〜』
「おい、こりゃあ……」
ヴォカリーズ、と言うのだろうか。ラララ〜とかダダダ〜とか発声するだけで詩のない歌だ。ラジオから突然流れ出したのはそれであるらしかった。それもこの地下の日本で誰もが聞き覚えのあるメロディーだった。その歌声を聞いた者らが暗がりの中で顔を見合わせた。
『フッフッフ』
男の笑い声が出てきた。その裏でまだ『ア〜ア〜』が続いている。
『市民の皆さん、ご機嫌よう。わたしが誰かわかりますか?』
『ア〜ア〜』
ラジオが言った。もちろん、その声の主を知らぬ者などこの地下都市にいるわけがない。
『そうです』と彼は言った。『わたしは内閣総理大臣、石崎和昭です』
『ア〜ア〜』
作品名:敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女 作家名:島田信之