敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女
不死身の存在
〈ヤマト〉が氷を割って海から飛び出した辺りの空にはまだ金色(こんじき)の雪が降っていた。
噴水はもうおさまっているけれど、〈ヤマト〉が開けた穴には水がまだ凍り切らずに波打っている。その穴に向かって今、金魚鉢を逆さにしたような形の生物が、ヒラヒラとした脚ともヒレともつかないものを動かしてヨチヨチと這い進んでいた。
冥王星の大気は希薄で、ほぼ真空と変わらない。そして温度はマイナス二百四十度だ。何より地の冷たさのために体は既に凍りかけていたけれど、〈彼〉はしかしあまり気にはしていなかった。
その知能が低いことや、寒さを感じる器官をそもそも持っていないこともあるが、それ以前に〈彼〉はたとえ凍ったところで別に死にはしないのだ。百年でも二百年でも、いや、たとえ一億年でも凍ったままに生きていられて、氷が解けると何事もなかったように動き始める。真空に投げ出されてもまったく平気だし、逆に高圧の深海で海底温泉の摂氏二百度の湯に煮られてもアハハンとしている。
それどころか〈彼〉は地球のプラナリアのごとく、銛で突いても踏み潰してもいずれ再生するのである。ふたつに斬ればふたつの〈彼〉に、四つに斬れば四つの〈彼〉になってノホホンと生き続ける。物理的な手段によって〈彼〉を殺すのはほぼ不可能と言っていい。
だが一方で酸素にひどく弱いため、地球の水や空気の中ではすぐに死んでしまうだろう。しかし、この冥王星の環境の下(もと)では、〈彼〉は不死身に近かった。キラキラと猫のように光る瞳でもの珍しげに周囲を眺め、水の溢れる方角へ向かう。凍りついても平気な〈彼〉でも、やはり水中にいたいのである。
それに〈彼〉は、強い光にも弱いのだ。地球人が夜道で見上げる街灯程度の太陽光線でも、〈彼〉の眼には眩しかった。ましてやさっきのビカビカズガガといった出来事は静寂を好む〈彼〉にはひどい体験であった。
『まったく一体なんだったのだろうあれは』と、ほとんど知能のない〈頭〉で〈彼〉なりの思考を巡らせながら、とにかく水の方へと進む。
そうして穴の縁に達し、ぽちゃんと飛び込んで潜っていった。深く深く、何キロも下の海の中へ――。
これでもう、〈彼〉は滅多に死ぬことはないので、何百年何千年と生きるだろう。今回、地球人類は、〈彼〉ととうとうスレ違いで終わってしまった。しかしもしも現在の滅亡の危機を乗り越えて、この星に再び足を踏み入れることができたなら、そのときこそ本当に〈彼〉と出会い直せるだろうか。それとも、やっぱり、ずっとずっとスレ違いのままであろうか。
それは今の段階では、なんとも推測のしようがない。どちらになろうと〈彼〉は気にしないだろう。いずれにしても、それはこの〈ヤマト〉の旅とは別の物語である。
作品名:敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女 作家名:島田信之