敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女
優先順位
今や〈ヤマト〉の艦内はどこもかしこも霜で真っ白になっている。とは言え、いくつか例外はあった。そのひとつが医務室とその周辺だ。ケガ人を手当するために、特に暖房が入れられている。
そこはすべてが赤黒い血で塗られてしまっていた。森は通路に足を踏み入れ、途端に匂いにむせそうになった。霜を踏んできた足が、床の血だまりの上で滑る。
「なんなのこれ……」
思わず言った。転がっているケガ人は、一体全体何人いるのか。眼の前に寝ているぶんだけでも、百人は超えていそうに思えた。狭い通路が医務室前までロクに足の踏み場もない。
そこにカーキのコードを付けた戦闘服の者がいた。森の部下の船務科員だ。ケガ人の服を脱がせて傷に包帯を巻いてるところ。
しかしその身も頭から血を被ったようだった。横顔を見ても森には誰かすぐにはわからなかった。女で、かなり若そうだというのはわかる。自分よりも何歳も。
森は彼女が診てやっている相手のトリアージュ・タグに眼をやった。色は〈軽傷〉を示している。
その横にはより重傷で、急ぎ手当を必要とするはずの者が転がっている。これが普通の病院ならば優先する順序が逆のはずだった。しかし、今はこうせねばならない。彼女は包帯を巻き終えて、「もう大丈夫」と患者に言った。
その声でやっとわかった。血まみれの若い女は結城蛍だ。
「ありがとう」
言って患者は、結城が差し出した手を握る。むろん、知っているはずだった。重傷者を差し置いて傷の手当を受けられたのは、自分がまだ戦えるからだと。だから寝ていてはならない。持ち場に戻らねばならない、ということが。横で寝ていた重傷の者もその相手に頷いてみせた。
頷き返して、その者は通路を歩き抜けようとする。森は道を譲ろうとしたが、それもひと苦労だった。結城は初めて森に気づいた顔をした。
「船務長」
「ご苦労様」森は言った。「状況は?」
「運んでこれる負傷者は全員運び入れました。数は四百人近く……」
「そんなに?」
と言った。〈ヤマト〉の乗員は全部で一千一百人だ。その三割がケガを負ったということになる。いや、手当に割かねばならぬ人員の数を考えたなら、今の〈ヤマト〉は半分もが戦闘不能ということに。
結城は言う。「はい。ただし大半が軽傷です。止血して戦闘服の穴をふさげばすぐ持ち場に戻れる程度。すでにもう百人くらいは戻っていると思います」
「ならいいけど……」
「それと、水に全身が浸かってしまった者達ですね。まだみんなガチガチ震えているとこですが、もう少しすればたぶんいくらか……」
「そう」
と言った。〈ヤマト〉において戦闘中に負傷者が多く出た場合、重傷者は医務員に任せて、すぐに持ち場に戻れるだろう軽傷の者を結城のような船務科員が手当することになっている。ほっといてもまず死なないが持ち場に戻れもしないだろう〈中傷者〉は後回しということだ。その手順に従ってるということだが、
「にしても、こんなにケガ人が……」
「はい。それで船務長、ひとつ問題が」
「何?」
「血です」と言った。「『輸血用の血液が底を尽いた』と医務員から……」
作品名:敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女 作家名:島田信之