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Green Hills 第3幕 「砂嵐」

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「鈍いな。そんなことで、セイバーが務まったというのが、腑に落ち――」
 驚いてこちらを振り向いたシロウに、アーチャーは声を失った。
「あ!」
 濡れたままの手で左頬を押さえシロウは顔を戻してしまう。
「まさか、昨日、の……?」
 シロウの左の頬骨と目尻の辺りの皮膚は、紫色に変色していた。
「あ、あの、い、色が、酷いけど、なんともないんだ、痛くも痒くも」
 言いながらシロウは片付けを終え、台所を出ていく。側をすり抜けようとしたシロウの腕をアーチャーは掴んだ。
「あの……、せ、洗濯物、干しに、行く、から、その……」
 掴まれた腕をシロウはほどこうとするが、アーチャーの手が痛いほどに腕を握っていて叶わない。
「べ、別に、あんたの、せいってわけじゃ、ないし……、俺が、ぼーっと、歩いて、いた――」
「黙れ」
 シロウの声が震えていることが何よりもアーチャーを苛立たせる。何を怯えているのかと、腹立たしい。
「か、関係、ない、から……、あんたには、」
「黙れ!」
 声を荒げてしまい、シロウが息を飲んで、さらに身を固くしたことに、アーチャーはやるせなくなった。
 シロウの腕を放し、見るからにほっとしている様子に、ため息をつきたくなる。俯いた頬にそっと触れると、びくり、と肩が震えた。
「あ、あの、えっ……と……」
「黙れ、動くな」
 シロウの顔を上げさせて、戸惑いに揺れる琥珀色の瞳が見上げてくることに舌を打ちたくなった。
「あの……」
「目を閉じろ」
「え? な、なに」
「目を瞑っていろ!」
 鋭く言えば、ぎゅっと言われるままにシロウは目を瞑った。触れた頬が震えている。シャツの裾を掴んだ白い拳も震えている。
 紫色に変色した皮膚にアーチャーは手を当てる。傷も治せないのか、とその魔力の少なさにアーチャーはまた、ため息をつく。
 白い頬に残った紫斑が薄れていき、やがて透けるような肌の色に戻った。ほっとして、手を離そうとしたアーチャーは硬直した。
 言われるがままに目を閉じ、抵抗することなく身動きもしない。白い頬、固く結ばれた薄い唇は微かに震えている。
 吸い込まれそうになる、まるで引きつけられるように顔が近づく。
 もう少しで触れることができる、その唇に……。
 瞬間、アーチャーは霊体化した。

「はっ……、くそ……」
 鼓動が乱れておさまらない。屋根の上でアーチャーは座り込んで胸を押さえた。
「何をしているのか、私は……」
 ぎり、と噛みしめた奥歯が音を立てた。
 何も考えられなかった。
 無防備に晒される唇をまた味わいたいなどと……、思ってしまった。
「馬鹿な……」
 自分自身が可笑しくて、ハッと息を吐く。
「あり得ない、私は何を考えているのか」
 無理やりなかったことにしようとする。さいわい、誰にもバレていない。
「気の……迷いだ……、セイバーだからといって、アレは、私の過去であって……」
 胸に当てた手を握りしめる。シャツが破れそうなほど力がこもった。
「そうだ、私を追った、愚か者だ!」
 自身に言い聞かせるようにはっきりと口にした。


 今日はずっと縁側に座っているようだ。調子がよくないのか、昼食を食べるペースが悪かった。一人で食事をとる姿はいっそう寂しげで、無理やり視線を剥がした。
「は……」
 ため息がこぼれる。
 アーチャーは取り入れた洗濯物をたたみながら、日に日に表情を曇らせていくシロウを思う。
(何を、考えているのか、アレは……)
 たたみ終えた家主の分を持ってシロウの気配を辿った。やはり縁側だ。
 シロウに敬遠されているとアーチャーも知っている。あの夜、シロウの話を聞いてから、ずっと避けられているとわかっている。
 その上、先日のように自分自身が何をするかわからないので、必要以上に近づかないでおこうと、アーチャーは一定の距離を保とうと決めていた。
 縁側にいる姿。項垂れている、辛そうな横顔。
 声を掛けるのがためらわれ、アーチャーは暫しシロウの姿を見つめていた。
 不意に聞こえてきた独り言は、消えた方がいい、とかなんとか……。
(還る、のか……?)
 それは嫌だ、と思う。
 いや、とアーチャーは首を振り、また何を考えているのか、とため息をつく。だが、このまま消えてしまわないよう、主に挨拶しておけ、だのなんだのとシロウに言った。
 士郎が聞けば、絶対に許さないだろうという確信があったから、アーチャーは消えるのなら主の許可を取れと、もっともなことを言って、シロウを引き留めようとした。
(こいつが消えようが、私には関係がない……)
 そう思いながらも、このままでは嫌だと思っていることは、否定できない。
 シロウが側をすり抜けていく。まるで自分が取りこぼしてきた大切なもののような気がして、追いたい衝動に駆られてしまう。
 だが、追うことはせず、家主の部屋には入らずに、洗濯物を見せると、シロウはすまなさそうな顔をして部屋の奥から戻ってきた。
 自身に向かってくる気配に、内から何かが滲み出そうな気がする。
 家主の衣服を渡すと、礼を言ってシロウは受け取る。そうして、じっと見つめてくる琥珀色に、身体が硬直した。
(いつも避けるくせに、どうしてこいつは、こうも無防備に近づき、視線を交わしたりするのか……)
 アーチャーは張り倒したい衝動に駆られる。そうでもしなければ、押し倒しそうになってしまう。
 冗談じゃない、と何度も自分にため息をついたところで、納得してしまう自分がいるのも事実だ。
(どうしようもない。私は、セイバーというものに、焦がれてしまう性分だ……)
 剣が好きだった。
 だから、剣だけでなく、剣を扱う者、剣を冠するもの、剣であろうとするもの、全てに焦がれてしまう。それが、たとえ、この、自分を目指したという、エミヤシロウのなれの果てであったとしてもだ。
 アーチャーの中にある微かな記憶の欠片にも、誇り高き騎士の面影が残っている。シロウに剣を貸し与えた騎士王セイバーの面影。
 すでにはっきりと思い出すことすら難しいのだが、アーチャーは剣を具現とするセイバーのサーヴァントには、何があろうとも焦がれるよう、組み込まれたプログラムのように、どうしようもなく意識を持っていかれてしまうのだ。
 だから、目で追う。気配を探す。そこにいることに安堵し、その姿に歓喜し、この偽物の血と肉が踊り狂う。
(終わっているな……私も……)
 自分を追ったというエミヤシロウに、怒り、憤り、悲しみ、悔しさ、様々な感情が湧いた。一方で、そうまでして自分を追ってくれたのか、と喜んだのも確かだ。
 見つめられることに耐えきれなくなって、このままではどうにかしてしまいそうで、咎めるように口を開いた。すぐに逸らされた視線に、俯いた少し寂しげな顔に、偽物の心臓が、ぎゅ、と握られる気がした。
 背を向けたシロウに思わず腕を伸ばし、その肩に触れる寸前で拳を握った。さいわい気づかれずに済んだ。
 ほ、と息を吐いて、そこから霊体化して逃げてきた。
「危うかった……」
 屋根の上での一人反省会。
 凛が衛宮邸に居候してからというもの、ここでアーチャーはことあるごとに反省している。
「やりにくい……」