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Green Hills 第10幕 「冬霞」

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「ああ、もうっ」
 膝をついたままシロウを横抱きにしつつ、どうにか、障子を足で開けた時、
「何をしている、小僧」
 台所から出てきたアーチャーが眉間にシワを寄せている。
「い、いや、部屋で寝かせてやろうと思っ――」
「けーきー、しろーのばかぁー」
「起きているようだが?」
 アーチャーが首をやや傾げる。
(ヤバい、起きてるの気づかれた!)
 だが、このまま放ってはおけない。シロウの“いろんなもの”を守らなければならない。
「アーチャー、悪いけど、こいつ、寝かせてくるから、あんたはこっちを頼む」
「貴様、何を――」
「あーちゃあ?」
 振り返ろうとするシロウを、士郎は抱き寄せた。こんな顔のセイバーを見せるわけにはいかない、これを見れば、アーチャーは野獣と化す、と士郎にはわかる。
「っ、貴様!」
 アーチャーは持っていた大皿を座卓に捨て、夫婦剣の片割れを握った。から揚げの載った大皿は、捨てられたわりには盛り付けも崩れることなくきれいに設置されている。
 英霊ともなると、こんな妙技もできるようになるのか、と士郎はちょっとその技術を教えてほしいと言いそうになる。だが、今はそれどころではない。
「ままままま、待て、待て、落ち着け、アーチャー! これには、理由が、」
「しろー、くるしー」
「あ、ごめ、セイ――」
 ハッとして士郎は跳び退る。アーチャーの莫耶が空を切った。
 片膝をついて、しまった、と士郎は臍を噛む。シロウから引き離されてしまっている。
「セイバー、下がってい……、ろ……」
 アーチャーがシロウを見下ろして、声を失った。
 ずがーん、とアーチャーに雷でも落ちたみたいだ、と士郎には見えた。
「セ、セイ、バー……よ、酔って……、い、い、る……のか……?」
 まともに話せていない。アーチャーが混乱している。
 大変なことがアーチャーの中で起こっているのが、なんとなく士郎にはわかる。シロウを守る云々より面白くて、つい士郎はそちらに興味を引かれた。
 ぽやん、とアーチャーを見上げるシロウの傍に崩れるように膝をつき、アーチャーはそっと赤くなった頬に触れる。気持ちよさそうにすり寄るシロウに、アーチャーのこめかみを、夏でもないのに一筋汗が伝った。
 その状態を示すとするなら、ほわん、だろう。
 今のシロウは、ほわん、ほわん、としている。酔ってふらついているのと、白い肌が赤く染まっているのと、とろん、と潤んだ瞳と、その見た目全てを表現するなら、ほわん、だ。
 まるでタンポポの綿毛を包むように頬に触れながら、アーチャーはシロウを凝視している。目を見開いたまま、もしかすると第三の眼なども開いていそうな勢いだ。その横顔は、もう何かアブナイ奴と同等のもの。
「あーちゃあ、けーきぃ、たべたいぃ」
 先ほどから訴えているのに、誰もケーキをくれないことにぐずりだしたシロウをアーチャーは、さっと抱き上げた。
「や、やめろ! アーチャー! セイバーを放せ!」
 ハッとした士郎が止める前に、アーチャーはシロウを抱えたまま廊下へ出ている。
「くそ、遠坂! アーチャーを止めろ!」
 だが、アーチャーの主はどんちゃん騒ぎの真っ最中。
「っく……、このままじゃセイバーの貞操が、純潔が……っ! あのお子様なセイバーに、あの野獣を躱す術はない……。体力も力の差も歴然、魔力は俺の極々少量、敵うわけがないっ!」
 やむを得ない、と士郎は意を決した。
「遠坂! このままアーチャーが報われていいのか!」
 ぴく、と凛の肩が揺れる。
「……今、なんて言ったのかしら、士郎」
 寒気を覚える声だった。覚悟を決めていた士郎でさえ、震えが止まらない。震える指先で黒いシャツが出ていった先を指さす。
 ゆらり、と凛が立ち上がった。
「と、遠坂、あの、い、家は、壊さない程度で、頼む、な?」
 聞こえているのかいないのか、凛の返答はない。廊下を出ていくその背に、もう一度頼むよ、と言ったが、やはり返事はない。
「待ちなさい、アーチャー」
 廊下を歩いていたアーチャーは主の声に足を止める。士郎のひと声で酔いまで醒めたのか、凛の呂律はしっかりと回っている。
「セイバーを連れて戻りなさい」
 噛み砕くように言う凛の指には宝石が数個、挟まれている。
「私を止めるのなら令呪でも使うことだな」
「あんた、何をするつもりよ?」
「説明する義理はないだろう」
 振り返ったアーチャーの目は、捕食前のぎらついた野獣と同じ。
「セイバーを傷つけるつもり?」
 ぴく、とアーチャーは目尻を引き攣らせる。
「セイバーの顔をよく見てみなさい! あんたが考えていることの、これっぽっちも予測していないわよ! そんな子をどうこうできるの? あんたは!」
「っぐ……」
 アーチャーが怯んだ。
「あーちゃあ?」
 とどめとばかりに無垢な琥珀色の瞳がアーチャーを見上げている。
「けーきは?」
 小首を傾げるシロウに、
「……っく…………」
 アーチャー撃沈。
 シロウの天使度がアーチャーの野生を凌駕したようだ。野獣も悪魔でさえも毒気を抜かれてしまう威力は凄まじい。
 ふぅ、と息を吐き、アーチャーはシロウの額に己のそれを軽く当てる。
「ああ、すぐに用意をする」
「やったぁ」
 アーチャーの首に抱きついて、シロウは子供のように喜び、アーチャーは、かくり、と膝を折った。


 アーチャーの隣に座って、シロウはご満悦でケーキをいただいている。手も足も出せないアーチャーはおとなしく紅茶を飲んでいる。が、ソーサーを持つ手が微かに震えているのは、怒りからか、憤りからか、それとも他の何か、か……。
 凛に諭され、シロウを連れて居間に戻ったアーチャーから、なぜかシロウが離れなくなった。ケーキにつられてか、他に理由があるのか、誰にもわからないが、アーチャーがケーキの準備をするまでも、紅茶を淹れる間も、ずっとくっついていた。
 抱きついて離れないシロウを、せめて背後に回れ、と言い、ずっとアーチャーはシロウを背中にくっつけていた。
 ようやく座卓についたアーチャーは、シロウをきちんと座らせ、ケーキを取り分けてやり、ようやくシロウは離れたのだった。
 シロウのやっていることや言っていることは子供なのに、その表情は大人で色っぽい。ケーキを食べるために目を伏せただけで、凛と桜からため息がこぼれた。士郎は見ないようにしている。そして、アーチャーも見ないようにしている。だが、
「あーちゃあ」
 シロウに呼ばれては、顔を向けなければならない。
「な、んだ、セイバー」
「おいしい……」
 フォークの先を咥えたまま呟くシロウに、向けた目を潰したくなるアーチャーだった。
「そ、そう、か、お、前の、ために作ったのだから、存分に食べるといい」
 最後の方は早口でまくしたて、新たに切り分けたケーキを、顔を背けながらシロウに渡す。
「わーい、いっただっきまーす!」
「悪魔ね」
「ええ、悪魔ですね」
 こそこそと凛と桜が頷き合う。
「あーちゃあ、おいしい」
 ニコニコとアーチャーを見つめながらケーキを頬張るシロウに、頼むから向こうを向いて食べてくれとは言えず、片手で目を覆い、アーチャーは項垂れて頷くだけだ。