Green Hills 第10幕 「冬霞」
士郎は目を丸くして、思わずアーチャーを見上げる。
「あんなお子様なのに? あんな、なーんも知らないって感じなのに?」
「やかましい。あまりアホの子のように言うな」
「う……、ああ、悪い。っていうか、あんたならいいって……、あんたら、そこまでデキてたんだな……」
アーチャーは、ちら、と士郎を横目で見て、フ、と口端を上げた。
よゆーだな、このやろ、と士郎は思いはするが口には出さない。
「なあ、あんたはさ、セイバーといるのは、幸せか?」
「なんだ、また、いきなりだな」
「セイバーは、あんたといると幸せそうだ。ずっと笑ってるし、うれしそうだし」
「……そうか」
「セイバーがいなくなると、……辛いか?」
見開いた目を士郎は見逃さなかった。
「セイバーがいなくても、あんたは、守護者を続けられるか?」
「衛宮士郎、何を当たり前のことを言っている」
表情を消したアーチャーの横顔から視線を外し、士郎は頷く。
「……そっか。なら、いいんだ」
「私の心配よりも、自分の心配をした方が良いのではないか? 未熟者」
「て、てめ!」
アーチャーは食器を洗い終えて、台所を出ていった。
「ったく、素直じゃないな」
士郎の呟きは、アーチャーには届かなかったようだ。
廊下を歩き、縁側から夜空を見上げる。
士郎の言葉が耳に残っていた。
“セイバーがいなくても、あんたは、守護者を続けられるか?”
「続けられるとも」
続けなければならない、何があろうと、自分が選んだ道なのだから。
「セイバーが……いなくても……」
触れられなくなる日が近づいている。
アーチャーは息苦しさに胸を押さえた。
冬は、はじまったばかり。まだ、次の季節まではここにいられる。
「セイバーがいなくとも……」
続けなければならない。
自分の存在を示す道を、アーチャーはまた歩まなければならない。
縁側からセイバーの眠る部屋に戻った。
穏やかな寝息だけが聞こえる。
「っ……」
セイバー、と声にはならなかった。
そっと赤銅色の髪を梳く。離れようとした手をシロウの手が掴んだ。
「セイバー?」
「アーチャー……」
両手を伸ばしてくるシロウを抱き寄せる。
「まだ酔っているのか、お前は」
「……うん」
仕方がないな、とアーチャーはシロウを抱き寄せたまま横になる。
「アーチャー……あったかいなー……」
ぼんやりとしたシロウの声に、頷きながら、アーチャーは目を閉じた。
(今だけでもいい……)
こうしていられるのがあと僅かでも、悔いることなくシロウと過ごそう、とアーチャーは改めて思うだけだった。
***
「アーチャー……あつい……」
潤んだ琥珀色の瞳がアーチャーを見つめる。
居間で眠っていたシロウが目を覚まし、身体を起こして、突然アーチャーに手を伸ばした。
何が起きたのかわからない。
困惑しながら目に入ったシロウの姿に、アーチャーの鼓動が跳ね上がった。
「っ!」
全身くまなく、一気に熱を上げた。
あまりにも扇情的すぎるシロウに、硬直したままだったアーチャーは、じり、と後退る。
だが、下がった分だけシロウが近づく。とろりとした眼差しで、琥珀色を濡らして、半開きの唇から漏れる熱い吐息と僅かに覗く赤い舌が近づいてくる。
「セ、セイバー、っど、どど、ど、どうしたっ」
アーチャーの声が珍しく裏返った。
「は、ぁ……」
答えはなく、ただ艶めかしいため息がこぼれている。
どうなっているのか、とアーチャーは混乱しながら後退るが、襖に背中が当たって後退できなくなった。心音はバクバクと乱れ打ち、真冬だというのに、汗が背中をだくだくと流れる。
「あつ……い……」
シャツのボタンを自らの指で外していくシロウが、襟元から覗く白い肌が、否が応にも目に入る。
「お、お、落ち着け、セ、セイバー、も、もうすぐ、凛が、帰ってくる、から……」
「アー……チャー……」
四つ這いで上目に見つめる琥珀色の瞳。
「っく」
ぐらぐらとアーチャーの理性が瓦解していく。
「セ、セイバー、その……」
「な、んで……あつ……い……」
「それ、は……」
鳩尾あたりまで開いたシャツから白い胸元が見える。
どういうわけか、シロウは生きていた頃に比べて肌が白い。
士郎と比べても明らかに違う、それに凛よりも白い。どういうことだろうと、アーチャーは何度か首を捻ったことがある。
自分に比べて白いのは当たり前だが、この世界の衛宮士郎と比べても、女性である凛よりも色白だ。まるで記憶の彼方の聖少女と同じような……。
「セイ……バー……」
くらり、と眩暈を起こして、アーチャーはその腕を取ってしまった。
「アー……チャー……」
熱の籠もった琥珀色の瞳に映るのは、英霊でもなんでもない、欲情に目が眩んだ、ただの男。
アーチャー、と何度も呼ばう口を塞ぐ。重ねた唇が熱い。
「……っふ……っん、ぁ……」
シロウのシャツを肩から剥ぎ、耳朶を甘く噛み、首筋から肩にキスをしながら吸いつく。白い肌に赤い小さな痕が残った。
「ぅ……アー、チャー、ぁ……、っ、ぁ……つ、……い……」
アーチャーの髪に指を差しこみ、掻き乱しながらシロウは熱い息を吐く。まるで肉に溺れた情婦のようだと、その腰を引き寄せ、シャツの中に手を滑り込ませる。
「セイ――」
ハッとアーチャーは身動きを止めた。視線を恐る恐る戸口へ向ける。
そこには、半眼で障子を開けた格好のまま、こちらを見下ろす主の姿がある。
「り……ん……」
「お邪魔だったわねぇ、アーチャー?」
氷のように冷えた声が居間に冷風を起こす。
「……い、……いや……」
シロウの肩から剥いだシャツを戻しつつ答える。
「いいのよー、別に、あなたたちが何をしようとねー。だけど、居間では、ちょっとねー? ここって、ほら、みんなが集まるところだしー」
「そ、そうだな、ここは――」
「そー、わかってるのねー。だけど、居間でそーゆーことするってことは、見られてもいいってことよねー? さ、続き、どーぞー」
凛が笑顔で言いながら、すとん、と座卓に頬杖をついて座る。
「いや……、すまなかった……、セイバーが……」
「ふーん、セイバーのせいにしちゃうんだー」
「っく……、いや、そういうわけでは……」
言い訳をしながらアーチャーは、そういえば、なぜこいつは慌てないのか、としなだれかかったままのシロウに目を向ける。
「セイバー?」
呼びかけても答えない。
「おい?」
なぜかセイバーの身体が熱い。そういえば、ずっと熱いと言っていた。
「セイバー? どうした!」
抱き直してその顔を窺う。ただならぬアーチャーの様子に凛も腰を浮かせた。
シロウの瞼は閉じている。眠っているのかと思ったが、頬を軽く叩くと薄く目を開いた。
「アー、チャー……あつ、い……」
途切れながら訴えてくる。頬に触れた手を額に移す。
「熱が……」
「何、どうしたの?」
「熱がある」
アーチャーはそっと座布団の上にシロウを横たえた。凛が体温計を持ってくる。
「なん……で、あつ……い……」
凛を窺うが、首を捻るだけだ。アーチャーにもわからない。
「とにかく布団に寝かせよう」
作品名:Green Hills 第10幕 「冬霞」 作家名:さやけ