Quantum
4.
誰もいない――。
人の気配はまったくしなかったのだが、不意に空間から闇に溶ける様な深い色合いとゴールドの艶やかな衣装を纏った者が現れた。
「―――っ!?」
寸前まで何の力の片鱗も感じることなかった。ましてここ教皇の宮であり、最強、最高の小宇宙で守られた場所。自在に瞬間移動ができるというだけでも、充分に称賛に値する。サガは思わず声を上げ掛けたが、ぐっと堪え、サガをここまで連れてきた男に視線を送ると『見ましたか?』と云わんばかりに苦笑を浮かべていた。
只者ではない、ということは一つわかった。頭部をすっぽりと覆うヴェールによって顔は見えない。それどころか腕すら手袋をはめており、ほぼ全身を豪奢な衣装によって覆われている。男女の区別がつかないというのも頷けた。小宇宙とは違う何かの力によって全身を覆い纏っているのもわかる。だが、それ以上のことはこの場所からは判断できない。
サガたちの気配に気づくこともなく、件の人物がゆっくりと噴水の周囲を歩き始める。スッと背筋を伸ばし、優雅に歩いていたが、ほどなくして噴水を囲う石段に腰を下ろした。サガの位置からは噴き出す水の弧線からうまく外れており、よく人物の様子が伺えた。
時折緩やかな風が吹いてミストが舞う。
煌煌と照る月の光りが乱反射して、彼の者の周囲に集まる奇跡のような光景にしばし見惚れた。
時が止まったように静かに噴水の描く線を眺めていたその人物が、ほどなくして首を動かした。サガたちのいる方向であったため、身を隠すが、じきに一人の男の姿が露わになり、寄り添うように傍立った。当然のように肩に置かれた手。
見上げるように顔を上げたために垣間見えた、透き通るような白い肌と鮮やかに彩る口紅が目を引く。だが新たに現れた者の手によって阻害される。戯れるように伸ばされた武骨な手が白い肌の上を滑り、頬と唇を撫でた。云いようのない不快感が芽生える。ざわりと酷く昏い気分を抱え、サガはグッと奥歯を噛み締めると、白い肌に不遠慮に触れる手の主――教皇、シオンを薄く眺めた。
「―――それでは、後程これまでに得た情報をまとめた物をお持ちいたします」
「助かる」
底の知れぬ眼差しを伏せて緩やかに口角を上げた悪しき時代の実力者。現状を憂えたとしても、腑抜けも同然のサガを再び担ぎ出そうという魂胆ならば、乗るつもりなどまったくないと云えば、そうではないと男はゆるく首を振った。だが、きっとこの男には判っているのだろう。あのような歪な存在を知って、サガが指を咥えてただ沈黙するような性分ではないのだということも。
教皇宮の出口で深々と頭を下げる男に見送られながら、サガは十二宮へと続く石段を降りながら夜空を見上げる。
煌煌と照る月が星の光を隠す。
まるで未来の導さえも隠されたような気がしてサガは陰鬱な気分に支配されながら、小さく頭を振ったのだった。
Fin.