冒険の書をあなたに
ルヴァが光る鳥に導かれて五階の扉を開けたとき、寝台の上で大男に組み敷かれてじたばたと藻掻くアンジェリークが視界に飛び込んできた。
「アンジェ! 大丈夫ですか!」
両手両足で踏ん張ってカンダタを押し返しながら、ルヴァのほうへと顔を向けた。
「ま、まだ、大丈夫……!」
ルヴァが無事でいてくれた。そして思った通り助けに来てくれた────その喜びで、アンジェリークの中に今の今まで燻っていた恐怖心が跡形もなく吹き飛んだ。
大男は何故か覆面をしていなかった。根は真面目そうな印象の黒い瞳をルヴァに向けた隙に、アンジェリークが彼の股間を思い切り蹴りつけて素早く脱出を図る。
ぐう、と呻き声が耳に届いてルヴァは些か同情心が沸き起こった。
(あれは相当に痛いでしょうねー……可哀想に)
しかし見た感じでは大きな傷もなさそうで、攫われたときの姿のままだったことに胸を撫で下ろした。
ちなみにこのとき、アンジェリークの足に枷はなかった。甘い声音で「お願いカンダタさま、これ痛いの……」と足首を見せて囁いただけであっさり外された。
その後擦れて赤みを帯びていた足首を舐められて怖気が走ったが、ルヴァが来るまでなんやかんやと逃げ回っていたのだった。さすが手練手管に長けた元女王候補、見事なやらずぼったくり精神である。
「ルヴァー! 怖かったぁ……」
ぎゅうと抱きついてくるアンジェリークを抱き締めて、よしよしと金の髪を撫でた。
「怪我はないですか、アンジェ……ああ、殴られたところが内出血を起こしていますね、痛かったでしょう、後で治してあげますからね」
それまで二人を囲むように飛び回っていた鳥が強く光を放ち、きらきらと輝く光の粒がアンジェリークを包んだ。温かい、と感じたときには彼女の唇の端にあった痣が消えてなくなっていた。
元の姿でまたふわふわと周囲を飛ぶ鳥をしげしげと見つめてルヴァが呟く。
「おや綺麗に治っちゃいましたねえ……凄い鳥さんですねー。さあアンジェ、一緒に帰りましょう」
にこやかにアンジェリークの背を促して扉へ向かったとき、カンダタが立ち上がり斧を手に取った。
「待て……そいつを寄越せ」
静かに歩みを止めて、カンダタに背を向けたままルヴァが口を開いた。
「……このまま見逃すつもりでしたが、どうやらそちらは戦うおつもりのようですね」
ルヴァとしてはアンジェリークさえ無事に奪還できればそれで良かった。だがカンダタは大人しく引き下がる気などなさそうだ。ルヴァの脳内でこの執着を放置するのは危険だと判断を下す。
「仕方ありませんねぇ……私の妻を殴ったことへのお礼も兼ねて、お相手しましょう」
そう言ってくるりと向き直り、カンダタを睨みつけた。
「ルヴァ、手は?」
いつものように手を重ねようと差し出すも、ルヴァはそれを片手で制した。
「いいえ、あなたは下がっていて下さい。ここは私一人で行きます」
相手は戦斧を持っている。今までの魔物たちより遥かに殺傷能力が高いことは実証済みだ────そんな人物の前に大切なアンジェリークを立たせるわけにはいかない。
「でもルヴァ……危険よ。二人で力を合わせたほうがいいんじゃないかしら」
なおも食い下がるアンジェリークに微笑みかけ、首を横に振った。
「危険だからこそあなたを守りたいんですよ。分かって下さい」
ふいにルヴァの顔が寄せられて、軽い口付けが交わされた。
「私にウィトゥラの祝福を下さいね……アンジェ」
それから再びカンダタへと目を向けた。先刻受けた攻撃は、恐らく威嚇程度のものだろう。この男が本気で斬りかかって来たらと思うと背筋が寒くなった。