冒険の書をあなたに
すいすいと飛ぶ魔法の絨毯の上で、ルヴァはすっかり疲れ切って大の字に伸びていた。
「それにしても……あの鳥さんは一体何だったんですか? 久し振りにあなたのサクリアを感じましたけど」
寝転がっているルヴァに寄り添って、アンジェリークは空を眺めた。ルヴァの手がそっと彼女の背を支えている。
「天空城で水鏡を見たときにマーサさんが歌ってらしてね、リュカさんに歌ってあげようと思って長老さんに訊いたら、天の詩篇集に載っていたの。いつ作られたのかも分からない古い歌なんだけど、想い人を連れて来てくれる言い伝えもあるそうよ」
ふわふわと風になびく金の髪を指先に絡めながら、ルヴァは楽しげに喋るアンジェリークの声に耳を傾ける。
「伝説の神鳥を呼び出す歌なんだって……長老さんたちは仰ってたわ。ここ最近ではマーサさんしかあの鳥は呼び出せなかったそうだけど、ほら、わたしも一応神鳥の宇宙の女王だし?」
アンジェリークはそう言って、人差し指を唇にあて悪戯っぽく笑う。
「そういう繋がりですか……何だか面白いですねえ、そう考えると」
「マーサさんが歌う度に、あの鳥が窓から羽ばたいていったって聞いてね……きっとね、パパスさんのところに飛んでいったんじゃないかなって思えたの。だって、エルヘブンとグランバニアって結構遠いじゃない? マーサさんに逢う為に毎日来てたってことはそれだけ危険もあった筈でしょ」
言葉が呪文という形で本当に魔力を帯びるこの世界で、愛する人の無事を祈る気持ちが形になったのだと、アンジェリークは思っている。
「きっとね、あなたの考えた通りではないかなって思いますよ。あの鳥さん、ちゃーんと私をあなたのところまで道案内してくれたんですから。傷も治してくれましたしね……あああああっ!?」
急な大声に驚いて飛び起きるアンジェリーク。
「な、なあに急に!?」
「聞いて下さい、アンジェ……着替えがですね、もう全部この通り、だめになっちゃったんですよー!」
二着とも胸の辺りを斧で切られてしまっていた。切れ端がぺらりと垂れ下がって酷くだらしないが、替えの服がないのだ。
「あの……これ、なんとかなりますかね?」
うーん、と残念そうな声で自分の服を見つめるルヴァ。リュカたちが用意してくれたものは着心地が良くて気に入っていた。
「なんとかできるけど……これから洗って干してって考えたら、新しいの用意したほうが早いわね。今日は裸で寝ちゃえばいいじゃない」
とりあえず血だけは落として干しておかなくちゃ、と考えながらの発言だったが、ルヴァの頬が朱に染まった。
「……いいんですか?」
そろりと起き上がってアンジェリークへと向き直る。
「え、何が?」
アンジェリークは一体何の話かと小首を傾げ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「あの……私が裸で寝ていても……見苦しいとか、だらしないとか、そんなふうに思ったりは……?」
二人で眠る夜でもルヴァは大概の場合においてきっちりと寝巻きを着て眠る。普段と違うのは三角帽を被らないことくらいだ。
「んー……ちょっとドキドキしちゃう、かな? 一人だけで気になるなら、わたしも裸で寝ちゃいましょうか」
照れてはにかむアンジェリークを前にして、このときルヴァの脳内では「理性が家出したまま帰ってこない」状態に陥っていた。必死で探し回り帰宅を促して連れ戻すまでの間、表情はすっかりと固まってしまっていた。
「あの、ダメだった? そういうの、やっぱりはしたないかしら……もうルヴァの奥さんだし、いいかなって思ったんだけど……」
ごめんなさいと謝る小さな声がルヴァの耳に届いて、はっと我に返った。見れば翠の瞳に涙を浮かべてしょげ返っている。
その姿にも色々とダメージを受けてルヴァのHPはすっかり橙になってしまっている────赤はもうすぐだ。
「いっ、いえっ、あああなたが悪いわけじゃないんです、本当です。私の中で突如嵐の如く発生した深刻かつ逼迫したその数百八つもの現状への対応に追われましてですね…………あぁもう、そうではなくて!」
なんだかこんなに声を裏返らせて大慌てしている彼を見るのは久し振りな気がする────などとアンジェリークが思っている間に彼の腕が伸びてきて、すっぽりと包み込まれた。
「……昼間の続きをね、一瞬想像してしまったんです。でもあなたはもうお疲れでしょうし……無理はさせたくないんですけど、あの……やはり、はだっ、裸っ……だと、どうしても、意識してしまうので」
「じゃあ靴下だけ履いておきましょうか?」
「どうして敢えてそういうマニアックな方向に行くんですか……」
もしかしてわざとボケているんだろうか、という疑問を口に出せない。
迂闊に答えを聞くのも恐ろしくなってしまった。
「だって下着は……いつも全部脱がされちゃうから」
遂にルヴァは発言の内容に耐え切れなかったらしい。集中力がもろに吹っ飛んでへろへろと魔法の絨毯の速度が落ち、ぴたりと止まってしまった。
確かにそうだ。数少ない逢瀬の中で二人で夜を過ごすときはほぼそうだ。むしろ彼女が何を着ていようがいまいが結局そうなる。愛しているのだから触れたくなるのは仕方がないじゃないか────と頭の中でぐるぐると考え込んだ。
「……ルヴァどうしたの? おなか痛くなっちゃった?」
「あー……お構いなく、瑣末な事情ですよ。ちょっと疲れが出たようです、これ動かすのを代わって貰ってもいいでしょうか」
ルヴァはアンジェリークを抱き締めていた腕を離してヨロリと倒れ込んだ。この時点でほぼ擦り切れてしまった残り僅かな理性とアンジェリークを守らねばならない。せめて宿に戻るまでは。
「ええ、任せて! もうちょっとで町に着くわね、早くお風呂入りたいなー」
げに恐ろしき威力の天然砲、もしかすると養殖かも知れない天然────お風呂、の単語に彼女からの甘い口付けを思い出し、体がすぐさま熱を帯びた。
(もう本当に勘弁して下さい……!)
無邪気な笑顔の前で、彼の切実な心の叫びが声になることはなかった────