冒険の書をあなたに
「パパスさん……? なん、で?」
突然ぴたりと足を止めたアンジェリークを訝るルヴァが、その呟きに反応する。
「アンジェ? あなたまた何か見えてるんですか」
無言で頷き、すっと指をさす。
「……そこに、パパスさんがいるのよ」
二人の間を通り抜け、扉の前ですっと剣を構えたパパスが扉と並行するように右へ、次いで左へと剣を振るう。
その綺麗な太刀筋は真一文字に地面に白く傷をつけて、淡く光を放った。
ふとパパスの視線がアンジェリークとルヴァへと向けられた。
いかめしい顔立ちをしているが、口の端を上げて笑うとリュカに良く似ていた──否、リュカが父に似ているのだ。
扉の前に現れた多くの魔物たちは、その太刀筋の跡から先にはあまり行こうとしない。
「結界ができたっていうの……?」
アンジェリークが掠れた声で呟くと、パパスがゆっくりと頷く。
そしてその足で静かにリュカの元へと歩み寄っていった。
神聖な気配に恐れをなした魔物たちの動きが一斉に止まって、剣を構えたままティミーが視線を彷徨わせた。
「……お父さん、なんかいるよ。敵じゃない、でも何かわかんない気配がする。ポピーは?」
ポピーも何かを感じるらしく、泣きそうな顔をさせていた。
「うん……なんか、懐かしい感じがするの……だけど凄く大きい力。守られてるみたい」
パパスがリュカに近付くほど、魔物たちが散り散りに遠ざかっていく。
ふにゃあん、とプックルが啼いた。
「パパスだ。パパスが帰ってきた……!」
その言葉を耳にしたリュカの目が大きく見開かれ、潤む。
子供たちの様子とプックルの言葉に、リュカはぐるりと周囲を見渡していた。
「……どこ? ねえどこに来てるの、プックル! 言ってくれよ!」
レヌール城のお化けに妖精たち────子供の頃には色々な存在が見えていたリュカも、大人になったことで不思議な存在はもう、見えない。
パパスはリュカのすぐ向かいに立ち、じっと成長した彼を見つめている。
そんなパパスの足元に駆けつけたプックルが喉を鳴らし、伏せて座り込む。
何かを言いたげに顔を上げたプックルに、パパスはシ、と人差し指を口に当てて首を横に振った。
(大きくなったなあ。リュカも、プックルも……ここまでよく頑張って来たな、本当に大したものだ)
眩しそうに目を細めたパパスはリュカの頭をどこかぎこちなく撫でて、それからそうっと片腕で抱き締めた。
リュカの背に回された無骨で大きな手が、とん、とん、と労うように優しくリュカの背を叩く。
そして、青い光がリュカの体を包み込んだ────その懐かしい温かさに、見開かれたリュカの目から涙が滾々と溢れ出した。
「……おとう、さん……?」
子供の頃、ちょっとでもかすり傷ができるとすぐに回復呪文を唱えてくれたパパス。
あのときの温かさが今、ゆっくりと彼の体に染み渡っている。
その青い光はリュカだけではなくやがて全員を包み込み、疲労困憊の体を癒していた。
それからパパスは、リュカがいつも腰に下げているかつての愛剣へと手を翳す。
(大したことはしてやれないが……いつまでもここで足止めされている訳にはいかんからな)
眩く輝きを放つパパスの剣を見て、リュカはすかさず鞘から引き抜いた。
「剣が……!」
パパスの手が剣を握るリュカの手に重ねられ、そっと瞳を閉じて祈るような表情へと変わった。
(聞こえるか、リュカ。一度しか言わないから良く聞きなさい)
「……! おと、っ」
言いかけてはっと口をつぐんだ。父が何かを伝えようとしている────リュカはその声にじっと耳を傾けた。
(扉の前にいる魔物たちを一掃しなさい。雷と爆発を剣に乗せて力を溜めるといい)
「雷、と、爆発……? デインとイオってことですか、お父さん」
(そうだ。それからもう一つ……立派に、なったな)
リュカはまた顔をくしゃくしゃに歪ませて、小さく首を横に振った。
(ここでモタモタしている暇はないぞ、マーサを……お母さんを助けてやってくれ。頼んだぞ、自慢の息子よ)
「……はい」
下唇をぎゅっと噛み締め、手の甲で涙を拭ったリュカが顔を上げた。
「ティミー、ポピー、おじいちゃんからの伝言だ。ギガデインとイオナズンを頼むよ──この剣を狙ってくれ」
パパスの剣を構えたリュカへ、子供たちは大きく頷いてすぐに詠唱体制に入る。
「それと、ビアンカはぼくにバイキルトして」
リュカの瞳に挑戦的な色が浮かんだ。戦況を一気に引っくり返す気だ、とビアンカが察した。
「分かったわ!」
そしてビアンカもまた子供たちと並び詠唱を始めた。