冒険の書をあなたに
気を取り直したようにリュカがルヴァへと水を向ける。
「ルヴァ殿はこちらの世界の呪文をお使いになりたいと言ってましたよね」
「ええ。私たちの世界ではサクリアという力を使っているのですが、彼女は無意識でこちらの呪文を発動させていた様子でしたので、サクリアを魔力へと変換する方法さえ見つかれば、私にも呪文の発動が可能ではないかと考えましてね。そこでマーリン殿のご意見を伺いたいのです」
マーリンはふむ、と呟いて再び顎をさすった。
「リュカよ、すぐにポピーを呼んで来なさい。わしはしばらく賢者様のお側についているとしよう。おまえにはまだ鍛えてやらねばならん奴らがいるんじゃろう?」
「ああそうか、ポピーならもう呪文は全部覚えているから適任だね。わかった、今呼んで来るよ」
軽やかな足取りでポピーを呼びに行くリュカ。
「と、いうわけで天使様。わしとポピーが賢者様について魔法の修行を行おうと思うんじゃ。賢者様にそうお伝え願いたい」
気を利かせたルイーダが、会話が途切れた瞬間を見計らって三人分の冷茶を乗せたトレイを置いていく。アンジェリークとルヴァが目礼をすると、ルイーダは声を出さずにごゆっくり、と口を動かした。
アンジェリークがルヴァとマーリンに冷茶のグラスを渡したところで、ルヴァの視線がアンジェリークへと向けられた。
「アンジェ、リュカ殿がポピーを探しに行ったということは、あの子がマーリン殿との間に入ってくれるというお話なんでしょうか」
「ええそうよ、魔法の修行をするんですって。ねえマーリンさん聞いた? この人ったらいつもこうなのよ! 今言おうと思ってたのに!」
例えマーリンや他の魔物たちの言葉が分からなくとも、前後の話の流れや周囲の者の些細な言葉の断片だけで状況をすぐに把握してしまう。
彼のそういうところは本当に凄い、とアンジェリークは瞬きすら忘れてルヴァを見つめた。その視線に気付いたルヴァは恥ずかしそうに頬を掻き、そして淡く微笑んだ。
「ここだけの話じゃが、本当に聡いお方ですな。そのご様子ならすぐにでも体得なさることじゃろうのう。楽しみじゃ」
ええと嬉しそうに頷いているアンジェリークの前で、ルヴァが冷茶をこくりと喉に流し込み、言葉を探しているのか少しだけ視線を宙に彷徨わせた。
「あのー、マーリン殿。一つ質問があるんですよー」
マーリンの視線が向いたのを確認してからゆっくりと切り出すルヴァ。
「アンジェがこちらでは天使に見えるというのは先程のお話で理解しました。では、私は何故賢者と呼ばれているのですか?」
マーリンの口元がニイ、と弧を描いた。
「何故かは賢者様ご自身がようく知っておられる。わしが教えることなどなかろうて」
マーリンの人を食ったような切り返しにアンジェリークが軽く吹き出して、ルヴァに伝えた。
「ルヴァ自身がよく知ってるから教えることはないって。個人的にはルヴァは知恵を司ってるんだから、賢者で当たってると思うけど」
「はあ……まあ、そうなんですけどねー。何故かなーって思っただけなんですよ」
ルヴァはそう言って釈然としない様子で残っていた冷茶を飲み干した。
暫くしてリュカに呼ばれたポピーが今にも子兎のように跳ねそうな勢いでやって来た。
「おはようございます! あの、お父さんに呼ばれてきました」
王女らしくすっと膝を折り、可愛らしく礼をするポピーの様子を微笑ましく見つめ、ルヴァが言葉を紡ぐ。
「あなたもお忙しいでしょうにすみませんねえ。よろしくお願いしますね、ポピー先生」
先生、のところを茶目っ気たっぷりに言うと、わずかに頬を染めてはにかみながらもほんの少しだけポピーの表情に緊張が入り混じった。
「では早速なんですが……私はまだこちらの文字は読めませんので、何かこう、簡単な絵本などから覚えていこうと思うんですよー」
「分かりました。じゃあ、わたしが読んで貰ってたご本を持ってきますね。マーリンお爺ちゃまは、魔術書とか神学書方面をお願いします」
マーリンに頼み事をしつつ、ポピーは絵本を取りに来た道をすたすたと引き返していく。
「あいわかった。賢者様が読み耽るような素晴らしい本を選んでみせようぞ、ほっほっ」
そしてマーリンもまた、魔物たちが集まっている部屋の奥へと消えていった。