冒険の書をあなたに
城の外は緑の清々しい香りに満ちて、早朝の冷えた空気が温められて出来た雫が多くの葉を俯かせている。
そこへ、プックルに跨り颯爽と駆けて来るポピーと、プックルに追いつけ追い越せといわんばかりに風を切って羽ばたくドラきち──屋内での飛行とは打って変わってとても素早かった──が見えた。
「ルヴァ様、天使様ぁっ! おはようございまーす!」
笑顔でぶんぶんと片手を振っているが、プックルは全く速度を落とさずに疾走している。
その姿にルヴァは真っ青になって声を上げた。
「あああ危ないですよ、ポピー! 両手でちゃんと掴んでないと、落ちて怪我でもしたら……!」
慌てふためくルヴァをよそに、マーリンは平然としていた。
「そう心配せんでも大丈夫じゃよ、賢者様。ポピーは赤子のときからプックルの背に揺られて育った子ですからのう」
ポピーに手を振り返すアンジェリークが、マーリンの言葉をルヴァに伝える。
「マーリンさんが心配いらないって言ってるわ。それにしても凄い乗りこなしよねー」
プックルとポピー、ドラきちの姿があっという間に目前に迫り、ポピーは軽やかにプックルの背から降り立った。
「マーリンお爺ちゃま、見回り終わりました! 今日も異常なしです」
「そうかそうか、お疲れさん。ドラきちももう戻って良いぞ。して、戻ったばかりで悪いが今から賢者様に杖を使っていただこうと思うての。通訳を頼めるか」
「はい、分かりました」
ポピーがきゅっと口角を上げて頷いたところで、マーリンがルヴァの手から杖の袋を受け取って紐を解き、色々な形の杖がばらりと地面に広がる。
「じゃあルヴァ様、この杖の中から持ちやすいものを選んでみて下さい。ここにあるのはほとんど全部、魔法力を秘めた杖なの」
ドラきちは帰り際にアンジェリークの胸元にぽすんと体当たりをして、優しく頭を撫でてもらってから満足気に飛び去っていった。
「持ちやすいもの、ですかー。うーん……」
どれにしようかと迷っていると、ふいにアンジェリークが一本の杖を指差した。
杖の先には煮え滾る溶岩のようなものが赤々とほとばしっている。
「ルヴァ、あれがいいと思うわ。根拠はないんだけど……なんとなく合ってる気がするの」
言われるがまま、指し示された杖を手に取るルヴァ。
「ええと……これですか。何の効果があるんですか?」
ポピーがその質問へすぐさま答えた。
「それはマグマの杖って言います。イオの効果があって、大きな岩を溶かすときに使ったの」
へえ、と言いながらぺたぺたといびつな形の杖を触ってじっくり眺めていると、ポピーから次の指示が来た。
「それじゃあ杖を立てて集中してみて下さい。何も考えない状態を保って」
言われた通りに杖をしっかりと立て、目を閉じて意識を集中させる。暫くすると周囲の音が消え、瞼の裏に強い明るさを感じたときのような橙色が浮かんできた。
やがて杖が熱くなりぐらぐらと揺れ動き始めたとき、ポピーの声が耳に届く。
「しっかり地面に刺して! 危険です!」
ポピーの声に慌てて杖をしっかりと持ち直した。余りの熱さに火傷をしそうだったが、渾身の力で思い切り地面に突き立てた。
すると低い地鳴りが足元から聞こえ、せり上がった大地が一文字に裂けていく。そして裂け目が木の根のように伸び、ひび割れたすき間から溢れるように溶岩が一気に噴き出した。
不思議なことにその現象はすぐに消えてなくなり、辺りが静まり返った。先程までやかましく囀っていた鳥たちは大地の異変を感じ取り、その声を潜めてしまっている。
ルヴァのこめかみから玉のような汗が流れ落ちた。
大地に走った亀裂の跡は見る影もない。あれは魔法が見せた一瞬の幻なのか────それにしては随分とリアルだった。
乱れた息をそのままに、今しがたぱっくりと裂けていた筈の地面を暫し呆然と見つめていた。
ハンカチで顔の汗を拭ったところで、拍手が沸き起こった。
マーリンがやや興奮気味に手を叩いている。
「いやはやお見事ですな。初回で杖に振り回されることなく力を引き出すとは……」
初心者の場合は大概にして震え出す杖の勢いと熱さに負けてしまい、軸のぶれた杖が倒れて暴れ回ることが多いのだという。