冒険の書をあなたに
村内に足を踏み入れるとアンジェリークにも何があったかが理解できた。ルヴァの表情も一変して険しくなる。
殆どの建物は焼け焦げて、壁は消失していた。今はかろうじて焼け残った木材がそのままむき出しになっている。
リュカの視線は懐かしむようにただ一つの建物をじっと捉えていた。
「父が亡くなった後すぐに……焼き討ちに遭ったらしくて」
背の高い草が自由に生い茂る下にかろうじて道のようなものが見える。かつて人々が歩いていたであろう道は今、ただの広場と化していた。
幾人か死者が出たのか、入り口すぐにお墓があった。その近くには紫に変色したヘドロのようなものが地中から溢れ、酷い悪臭を放っていた。
その余りの惨状にルヴァはそっと目を伏せた。
「そうでしたか……では先程の林は、焼き討ちの際に延焼して失われたようですね」
アンジェリークは二人が会話をしている間、動悸が激しくなるのを感じていた。
ヘンリーと友達になれと頼まれたリュカ。攫われたラインハットの王子ヘンリー。惨殺されたパパス。その直後に焼き討ちされた故郷の村。
そしてこの村は恐らく、ラインハット王家の管轄地域────全てが、仕組まれたことのように思えた。
アンジェリークとて馬鹿ではない。女王として惑星同士の諍いと鎮圧も、書類上のこととはいえ既に経験している。
「リュカさん……ここを焼き討ちにしたのは……まさか、ラインハットなの?」
アンジェリークが震える声でそう訊ねるとリュカがゆっくりと頷き、ルヴァの視線が一層厳しさを増した。
「となると、真っ先に考え得るのは王位継承争い……ですか。確かヘンリー殿は第一王子でしたよね?」
細切れの情報を繋ぎ合わせようと、ルヴァは頭の中で論理的に思考を巡らせた。
ラインハットでデール王に謁見したとき、ヘンリーを兄と呼んでいた。
デール王は今のリュカ王とそう年齢も変わらないように見える。とすればヘンリー王子とリュカ王の間にはさほど年齢差はなさそうに見えた。
アンジェリークが水鏡を見たときのやりとりでは、パパス父子は攫われたヘンリーを救出するために遺跡へ向かっていたようだ。
仮に王位継承争いが発端ならば、兄王子を亡き者にし、弟王子に王位を継がせるのが主目的になるだろう。そして王子誘拐と殺害の罪を誰かに──パパスに──着せてしまえばいい。
だがその筋書きでは、無実の罪で父を殺害され故郷を滅ぼされた者と、それをした側の者との間で長きに渡る友情が芽生えるとは考えにくい。そもそもヘンリー王子は生きて戻っている────彼はいつ城に戻ったのだろう。
「……ちょっと待って下さい、リュカ殿。あなたさっき、焼き討ちに遭った『らしく』と仰いましたよね」
古代の遺跡で父の最期を見たのは事実のようだ。だが彼はその「直後」に焼き討ちされた現場にはいなかったかのような口振りをした。
「お父上の一件の直後に焼き討ちに遭ったのに、あなたはご自身でその光景を見ていなかったんですか」
リュカは気まずそうに頭を掻いて、やや太めの眉尻が下がった。
「焼き討ちされていたのを知ったのは、ぼくが十六歳の頃なんです」
リュカの言葉を聞いてもどうも腑に落ちない、とルヴァは更に思案にふけった。
ラインハット城で兵士たちがリュカへ敬礼をしていたのは、ポピーによれば悪い魔物を退治したリュカがラインハットにとっての救世主だからだ。
子供の頃に王家の陰謀に巻き込まれ、父を亡くし故郷を追われた者が、加害側の国に再び訪れて国を救っている。
ヘンリーがもしパパス殺害の後すぐに城に戻っていたとしたら、パパスの息子であるリュカも何らかの方法でラインハットに留められ、焼き討ちの事実もその時点で知ることとなっただろう。
焼き討ちの事実を知ったのとラインハットを救ったのがほぼ同時期で、ヘンリーがラインハット王家の陰謀を知らぬままで大きくなったのだとしたら。
パパス亡き後のリュカの消息も不明だ。二人まとめてどこかの建物にでも監禁や幽閉といった手段も考えられる。
もし、お互い頼らざるを得ない環境で過ごしていたとすれば、何も知らぬ彼らの間に友情が芽生えていても不思議ではない──その筋書きならばすんなりと今の状況へと繋がっていく。
もう少しで正解へと辿り着きそうな気配を感じて、ルヴァは唇を噛み更に考えた。
「アンジェは水鏡で見えたのは小さい子、と言っていましたね。リュカ殿がそれから十六になるまで少なくとも五年以上、あなたとヘンリー殿は一切の情報を遮断された場所にいたのではないですか」
ルヴァの言葉に、ぐっと言葉を詰まらせたリュカの目が瞬きを恐れるかのように見開かれたまま固まった。数秒後、今にも泣き出しそうな表情を浮かべて呟く。
「……あのとき、あなたがいて下さったら……父を失わずに済んだのでしょうね」
あの時点でルヴァの真実を見抜く頭脳とパパスの力があったならば────。
たらればの話をしても仕方がないとは思うものの、無力な自分を散々呪った記憶はおいそれと消えてはくれないのだ。
ルヴァはこれ以上の詮索は無粋だ、少々立ち入り過ぎてしまったと内省し、平静を装いながらまた慎重に言葉を選んだ。
「もし私がいたとしても……もっと酷い結末になっていたかも知れませんよ。お父上のことは本当に残念ですが、あなたはヘンリー殿を守った。ラインハットを救った。それは誰にでもできることではありませんよ。それに……ほら見て下さい」
河岸段丘の上に作られた村の中央を分断している小川──かつては大きな河川だったのだと思われる──の上に架けられた橋からルヴァが指差す方向には、二次林が広がっているのがよく見渡せた。どんなにむき出しの暴力が牙を剥いても、命は芽吹き新たな時を刻んでいく。
「焼き討ちから二十年近い歳月を経て、かつて失われた森もちゃんと再生しています。建物は焼け残ったままでも、平和になればいつかまた多くの人が集まってくる筈です。もう少しだけ時間は必要でしょうけれど、歩みが全て止まったわけではないと思うんですよー」
それへ静かに微笑んだリュカが頷いた。
「ぼくもそう思っています。平和になったら、きっと……皆戻ってくるって信じたい」