冒険の書をあなたに
ふいにリュカが大きな道具袋の中から太鼓のようなものを持ってきて、リズミカルに打ち鳴らし始めた。
「皆、踊れ!」
タタタン、タタタンと軽快に打ち鳴らされる太鼓のリズムに乗り、魔物たちが楽しそうに踊り出す。
焚き火を中心に外側に伸びた長い影の形は様々だ──そこには人間と魔物という垣根など何処にもなかった。
途中でティミーも一緒に別のリズムを更に細かく打ち鳴らし、合間を縫うようにリュカの口笛が魔物たちを煽った。
ポピーが半人半獣の魔物、アンクルホーンの手をぐいぐいと引っ張っている。
「アンクルさん、太鼓叩いて! はーやーくー!!」
アンクルは今まで会話してきた魔物たちとは一線を画すほどの大きく逞しい風体だ。
「お嬢、勘弁してくれんか……全く、敵わんなあ。よっこらしょ……」
リュカの隣に腰を下ろしてやれやれと肩をすくめて見せた。
「どれ、お嬢が煩いんで代わろう。どうせならそこの二人におまえの剣舞を見せてやってはどうだ」
そして奏者はリュカからアンクルへと代わり、打ち鳴らされるリズムが独特なものへと切り替わった。
ダンタタタタ、ダンタッタ────重たい音が激しく鳴り響いた。
リュカが少し離れて剣を引き抜き、アンクルが奏で出す魔界独特の混合拍子に乗せて滑らかに舞い踊る。白刃が月の光の下で煌めいていた。
それに合わせるように他の魔物たちが一斉に合いの手を入れ始めた────低く高く謡われる古き民謡のような声色は、不思議なことにルヴァのように魔物の声を聞けない者たちにも届いた。
「ヤーアッ!」
リュカの掛け声も魔物たちの声とぴったり重なり合った。
ビアンカがそっとティミーに耳打ちをして、それに小さく頷いた彼が剣を片手にリュカの側へと駆け寄っていく。
魔物たちから口笛が吹き鳴らされ、照れ臭そうに頭を掻くティミー。
太鼓の音が小さくなり、二人は剣の切っ先を交差させて静かに向かい合った。
アンジェリークは月の明かりの下で向き合う親子の姿に魅入っていた。
(二人ともなんて楽しそうなのかしら。それにとっても絵になるわ)
「アンジェさん、ルヴァさん」
ビアンカが声を潜めて話しかけてきて、二人の視線はリュカとティミーに向かったままで体をビアンカのほうへと傾けた。
「皆の歌声が聴こえたでしょ。あれはね、魔界に古くから伝わる伝承歌なんですって。アンクルが今鳴らしているのがその曲なの」
タタタタタタタタ……と細かく打ち鳴らされていた音が徐々に強まる────始まりの予兆だ。
「セイッ!」
魔物たちの一斉の掛け声とともにアンクルの太鼓が再び激しく打ち鳴らされた。
リュカとティミーの剣が交錯し、月光の下に火花が散り咲く。
華麗に剣と剣をぶつけ合う金属音が太鼓のリズムと魔物たちの掛け声や歌声に乗り、一層激しさを増していった。
焚き火の温かな炎が時折爆ぜる中で、彼らの勇ましい歌声が響いていた。
アンジェリークも、ルヴァも、ポピーも、ビアンカも……気付けば彼らの歌を手拍子と共に口ずさんでいた。
魂を打ち鳴らせ、己が牙を研ぎ澄ませ、我らの誇りに賭けて
月の船を見送って、暁の前に勝鬨(かちどき)を叫べよ
この大地は我らの父、この海は我らの母、いざや戦え、我らの誇りに賭けて────
戦いのドラムと呼ばれるこの太鼓は、かつてこうして魔物たちの宴に使われていたものだという。
魔界の名匠が作り出したものの中には戦意だけではなく攻撃力そのものを高める効果を持つものも存在すると言われているが、その所在は不明だ。
「ふはー、つっかれたあ! お茶ちょうだい!」
剣舞を終えて戻ってきたティミーがごろりと寝そべった。大人と子供の体格差でよくあれだけ動けたものだとルヴァは思った。
「素晴らしかったですよ、ティミー。お疲れ様でした」
口ひげをさすりながらアンクルが立ち上がる。
「わしも少々疲れた、もう馬車で休ませて貰うぞ。だが今日は楽しい夜だった……礼を言う」
魔物たちが口々に楽しかった、また踊ろう、また歌おうと言い合いながら馬車へと戻っていくのを、アンジェリークは優しいまなざしで見送った。
宴が終わった頃には月は天頂を過ぎて、砂漠の夜を密やかに照らしていた。
宿に戻りシャワーを浴びてさっぱりしたところで、二人は子供たちとお喋りをしていた。
アンジェリークが鏡台の前で髪を梳きながらポピーへと声をかける。
「ポピーちゃんがルヴァに読んで欲しい本って、どんなの?」
「えと……これです。この世界を作った精霊さんたちのお話なんです」
鞄の中から一冊の本を取り出して、ルヴァへ手渡すポピー。
「サンチョやお父さんにも昔読んで貰ってたんだけど、ルヴァ様のお声で聞いてみたかったんです。お父さんの声もいいけど、ちょっと棒読みだし……」
えへへ、と照れ臭そうにシーツからひょっこりと顔を出して笑うポピー。横にいるティミーが苦笑いをしている。
「でもお母さんだと白熱しすぎるから、お父さんのほうがまだマシなんだよね……」
隣の寝台へ寝そべりながら、アンジェリークが微笑んだ。
「それならルヴァは安心よ。癒し効果抜群〜」
アンジェリークの頬を指でつついて、ルヴァは口を尖らせた。
「アンジェ、そうやってむやみに期待値を上げるのは止めて下さいねー」
外は既に満天の星空が広がり、風と風に舞い上げられた砂塵の音しか聞こえない。
手渡された絵本は、古代の神話────世界を創造した精霊たちが織り成す物語。
ルヴァは子供たちが寝そべるベッドの脇で静かに笑みを浮かべて、ゆったりと朗読を始めた。