冒険の書をあなたに
四人で賑やかにお喋りに花を咲かせていると、ルヴァが宿の扉を開けて入ってきた。その後ろにリュカがいる。
「ただいま戻りましたよー……ああ、アンジェ。歌のほうはいかがでしたかー?」
「もう完璧よ。いつでも帰る準備はできてるわ」
「!!!!!」
アンジェリークの言葉に子供たちが即座に反応を示し、ばたばたとリュカの元へと駆けていく。そしてティミーが怒涛の勢いでまくしたてる。
「やだあ! 帰らないでってば! お父さんも止めてよ!」
ポピーは両手を組んだお祈りの姿勢でリュカに訴えていた。
「お父さん……あのね、わたしお二人にずっといて欲しいの。もっといい子にするからお願い、帰らないでって説得して」
子供たちからの嘆願に、リュカはふむ、と顎に手を宛がった。
「んー、それは困ったなあ。お二人とも、うちの子たちがこう言っていますけど……どうします?」
アンジェリークの困ったような視線がルヴァに注がれた。
それを受けてルヴァがそっと膝を折り、子供たちを諭し始める。
「ええとね、ティミー、ポピー。今からあなたたちに大事なお話をしますから、聞いてくれますか」
子供たちがこくりと頷いたのを確認して、ルヴァは言葉を慎重に選びながら口を開いた。
「私は守護聖と言って、一つの世界よりもっとずーっと広い範囲、沢山の世界のことを宇宙と呼ぶのですが、そこに住む人々に知恵をもたらすサクリアという力を司っています。私の他にはあと八人、違うサクリアを持つ守護聖がいましてね、宇宙の安定と発展の為に力を尽くしているんです」
穏やかに語りかけるルヴァの姿を子供たちがじっと見つめている。
「この守護聖の力は与え過ぎても、逆に足りなくても、その世界のバランスを壊してしまうんです。ですから、その全ての力を満遍なく調整しているのが調和のサクリアを持つ女王陛下、アンジェリークなんです」
ティミーが八の字に眉を下げて俯いた。
「それって、誰かが代わってはくれないの?」
「はい。……ティミー、天空の武器や防具は勇者であるあなたしか装備することはできないと、この間言っていましたね。それと同じなんですよ」
「……」
「例外は勿論ありますが────基本的には、サクリアが枯渇……ええと、なくなるまでは、おいそれと代わることはできません。聖地から長らく離れることもできません。もし私たちがこの世界で暮らすことを選んだ場合────」
子供たちのすがるような目が、ルヴァの言葉を刹那途切れさせた。が、心を落ち着かせて言葉を紡ぐ────自戒の意味も込めて。
「宇宙にどんな悪影響が出るか分かりませんし、守護聖や女王の急な交代は、本来余り良いことではないんですよ」
この厳しくも温かな世界で過ごしたいと、揺れて戸惑っていた自分。その浅はかさを叱咤したのは、紛れもなく女王アンジェリークだ。
一時の感情に囚われて、自分たちだけで抜け駆けのように幸せになろうとしてしまっていた。
「少なくとも私たちの後任の者が現れるまで、その人たちが聖地に来てサクリアを送れるようになるまでの間、宇宙には混乱が訪れてしまいかねない。それはとても恐ろしいことでもあるんです。サクリアが一つでも欠けてしまえば、それまで保たれていた均衡は崩れ、たちまち滅びに向かってしまいますから」
泣くのを堪えているのか、子供たちの口がへの字に曲がり唇を噛み締めていた。
「……ですから、私たちは神鳥の宇宙へ帰ります。本音を言えば名残惜しいんですよ、とてもね」
ルヴァの手が二人の頭をそっと撫でた途端、二人の目からぽろぽろと涙が零れた。
「悲しませてしまってすみませんでした。……分かってくれますか、ティミー、ポピー」
先にこくりと頷いたのはポピーだった。ルヴァの首に抱きついてすんすんとしゃくり上げながら話し出した。
「きょっ、今日、はっ……えほっ、絵本……読んで、くだっさいっ……」
「ええ、約束しましたからねー。あとで読んであげますよ、ポピー」
ポピーと同じく抱きついてきたティミーは、嗚咽に言葉を途切れさせつつもまだ説得しようと試みる。
「ぼくたちっ、が、お願い、しっしてもっ……どっ、しても、帰っちゃう、のっ? も、もうっ、会えな……っく、なる、のにっ」
泣きじゃくる二人を強く抱き締めて、ルヴァの顔が今にも泣き出しそうなほど歪んでいた。
「どうしても、帰らなくてはならないんです……けれど、あと少しの間はいますから……」
掠れた声でそう言うのが精一杯のルヴァの背中を、アンジェリークは切なげに見つめた。
そのとき、子供たちの頭にぽんと大きな手が乗せられた────リュカの手だった。
「泣いたってどうしようもないこともある。これ以上お二人を困らせてはいけないよ」
言い聞かせるリュカの声はとても静かだった。しかしそのまなざしは射抜くように子供たちを見つめている。
「お二人の決断には多くの命がかかっていると、今聞いたな? おまえたちはそれでも────誰かをいっぱい死なせてでも、残って欲しいか? お二人は優しいから、きっととても悲しむだろうね」
見知らぬ誰かの犠牲の上においてもなお、我を通すだけの覚悟があるのか。
そう問いかける瞳には、壮絶な半生に否応なく向き合ってきた凄みがあった。
大神殿から逃げ出した後、どれだけ多くの奴隷たちがみせしめに遭ったことだろう。ある者は鞭打たれ、ある者は殴られ、またある者は蹴り飛ばされ、絶望のままに弱り果て息絶えていったかも知れない。だが、彼が詳細を知る機会はもう何処にもない。
それでもリュカはその十字架を、ずっと背負いながら生きている────身体に残った痕とともに。
嗚咽に喉を震わせながら子供たちがリュカを見上げ、二人ともゆっくりと首を横に振った。
リュカはそんな子供たちの目を覗き込むようにして深く頷き、ふたつの小さな頭を優しく撫でて慰めた。
「それでいい。寂しいのはぼくだっておんなじだよ」
「そうよ。わたしだって寂しいんだから……」
困った風に微かに笑って、子供たちの背を促して席に着かせるリュカとビアンカ。
「ほら、いつまでも泣いてないで、ご飯食べよう」