冒険の書をあなたに
ダンカンの家へと戻って台所を見たものの、そこには誰もいない。
「ビアンカさーん、アンジェー。お野菜貰ってきましたよー」
先程リュカから「殿は禁止」と言われたものの、なんとなく言いづらくてさん付けにしてみるルヴァ。
奥からぱたぱたと駆けてくる足音がふたつ────現れたのは呼ばれた二人。
赤と緑の色違いでお揃いのエプロンと三角巾をしていた。
「おや、二人ともお揃いなんですねえ。とても可愛らしいですよー」
思ったことを素直に口にすると、二人は嬉しそうにはにかんでエプロンをつまみちょこんとお辞儀をして見せた。
こうしてお揃いにしているとなんだか姉妹のようだ、などと考えているとビアンカが笑顔で話し出す。
「ふふ、ありがと! 結婚前までわたしが使ってたものよ。置きっぱなしにしてあったから丁度良かったわ」
実に楽しそうに微笑んでいるアンジェリークがルヴァの肩掛けの籠を受け取ろうと手を伸ばした。
「お帰りなさいルヴァ。そっちの小さい籠ちょうだい。重かったでしょ、こんなに沢山……」
ルヴァは背負っていたほうの籠も床に下ろして、肩をとんとんと叩いた。その姿をビアンカが労う。
「ご苦労様。籠が二つってことは、ルヴァさんがリュカの分も持って来たの? こういうときこそ出番なのに、何やってるのよあの人……」
「ああ、リュカなら今クレソンを摘みに行っていますよ。私では生えてる場所が分からないですし、不審者に見えちゃいますからね。役割分担したんですよ」
そろそろ戻ってくるのではと言おうとした矢先に扉が開いて、リュカが戻ってきた。あの勢いで戻ってきたのだろうか、少しだけ息が上がっていた。
「ただいま。はい、ポピー専用クレソン持ってきた……ルヴァ、大丈夫でしたか」
ビアンカにもっさりとクレソンの束を手渡しながら、二人分の荷物を運んだルヴァを気遣う。
「心配には及びませんよ、リュカ。細身だとはいえ私も男ですからねー」
「あはは、それもそうか! それじゃ、お次は何を手伝おうか」
その言葉にビアンカがにんまりと笑う。
「遠慮なくこき使ってもいい? ルヴァさんに仕事押し付けたんだから、次はリュカが頑張らないとね」
「え〜? 別にいいけど〜、ぼくは高くつくよ〜?」
おどけた調子で頬を両手で押さえ可愛くしなを作ったものの、ビアンカに一蹴された。
「ごめんリュカ、全然可愛くないわよ!」
ビアンカがけらけらと笑いながら、作業台の片隅にナイフやボウルを置いていく。
「そうだ大鍋も出さないと……リュカ、お願い」
「ん、大鍋ってあの棚の中だったっけ?」
二人で話しながら木の扉のついた棚のほうへと移動していく。
「一番上にあると思うわ」
「了解、出しておくよ。かまどの上がいい? 作業台の上に置く?」
「今日は手狭だから、かまどの上に置いてお湯沸かしておいて。わたしはパンが焼けたか見てくる」
リュカとビアンカにとってみれば日常に近い会話の流れだったが、ルヴァの目にはとても新鮮に映っていた。
(私の両親はといえば、母だけがいつもせわしなく動き回っていたような)
父は食事に呼ばれるまで書斎にいたり遺跡を調べに行ったりしていて、母を手伝っていた姿は余り見た記憶がない。
「アンジェ、あなたのご両親は、その……ああやって一緒に食事の準備などをされてましたか」
早速ナイフを持ってイモの皮むきを始めたアンジェリークが顔を上げた。
「え? うちの親? そうねえ……いつもじゃなかったけど、時間があるときは一緒に並んで料理してたわね。それがどうかしたの?」
ルヴァもアンジェリークと同じようにナイフを片手にぎこちない手つきで皮むきを始める。
「あ、いえ。リュカとビアンカさんの今の会話がね、私の両親の様子とはかけ離れていたもので、ちょっと気になってしまって」
アンジェリークのほうは繋がった皮が山積みになっていくものの、ルヴァのほうは分厚い皮が細切れになって落ちていた。
「怪我しないように気をつけてね。で、ルヴァのご両親はどんなふうだったの」
視線を手元に集中させたまま、落ち着いた声色でルヴァの話を催促するアンジェリーク。
「家事全般は母の仕事でしたねー。父はほぼ関知せず、私たち兄弟はたまに手伝うくらいでしょうか。それで……あのー……えっと」
もごもごと何か言いにくそうにルヴァの視線が一度宙を彷徨って、頬を朱に染めつつもゆっくりと続けた。
「あなたは将来私とどんな夫婦になりたいですか? 私は……さっきの二人のような、お互い助け合っていく形が望ましく思えるんですが……」
そこでアンジェリークの手が止まり、真ん丸に見開いた翠の瞳を一気に潤ませてルヴァを見つめた。
大きく頷いた後にふんわりと優しく弧を描いた口元の横を、瞬きに押し出された雫が一筋伝っていく。
「……どうせなら、タマネギ切ってるときに言ってくれたら良かったのに」
ルヴァは困ったように微笑みながら、ハンカチでそっと彼女の涙を拭った。
「泣かせるつもりはなかったんです、許して下さい」
二人の未来についてもっと話をしたい、とルヴァは心から願った。
始まりはいつだってそこに在ると信じたい────いつか泡沫に消える夢物語だったとしても。