冒険の書をあなたに
食後、ルヴァとリュカの二人は釣りに出かけると言って村を抜け出してきた。
ルーラで辿り着いた先はグランバニア城。リュカは颯爽とルヴァの前を歩き、城内へと向かった。
ルヴァたちの滞在用の部屋の隣へ入ると、サンチョや使用人たちが慌しく動き回っていた。
「坊っちゃ……リュカ王! お早いお戻りで……」
二人の入室に気付いたサンチョが恭しく跪き頭を垂れる。
他の使用人たちも一斉に傅こうとしたため、リュカが片手でそれを制した。
ざっと室内の様子を見回しながら頷くリュカ。その後ろでルヴァが視線を彷徨わせている。
「うん、忙しいのにすまない。今どうなっているかと思って見に来たんだ。間に合いそう?」
サンチョが大きく頷いて胸を張る。
「必ず間に合わせます。ひとまずルヴァ様のお衣裳は仮縫いまで終わっています」
手首に針山を括りつけたお針子たちが、手早く布地へ糸を通している。
「そうか、それじゃ本人に試着して貰って」
ふいに名を呼ばれリュカとサンチョを見たルヴァを視線で促して、リュカは別の衣装を囲むお針子たちへ声をかけに行く。
「かしこまりました。ではルヴァ様、どうぞこちらへお越し下さい」
「あ、はい……」
仮縫いされた衣装を試着するとお針子たちが一斉にルヴァを取り囲み、歪みが出た部分に素早く印をつけていった。
リュカはその間、アンジェリークのドレスを仕立て直しているお針子たちから状況を訊いていた。
そちらの管理を任されているビアンカ付きの女官長が困ったようにお伺いを立ててきた。
「血の染みは取れているんですけれど……おめでたい席に使うには抵抗があるので、その部分はバッサリ切ってもいいでしょうか」
それを聞いてリュカがルヴァのほうへ問い掛ける。
「ルヴァ、あのドレスは作り変えても構わないですか」
「え? ええ、もうそれはあちこちほつれてしまっていますから、戻っても恐らく着られないと思いますし……問題ないかと」
リュカが頷き、笑顔で女官長に指示を出す。
「いいよ、君に任せる。時間が許す限り好きにしてくれて構わないから、ダメな部分は取り払って清楚な感じにしてやって……それと、これ」
馬車に隠していたシルクのヴェールの箱を手渡す。
「皆には急な話で本当にすまないけど、ぼくの大切な友人たちだ。心のこもったおもてなしでお送りしたいから、どうか力を貸して欲しい」
そう言って静かに頭を下げるリュカ。サンチョがいたく感激した様子で涙ぐんでいる。
ルヴァは思う。一言命令するだけでいい立場にありながら礼儀を決して忘れない姿勢は、宇宙の歴史の中においても数少ない、善き王の器だと。
帰りは再び船と徒歩で小一時間かかった。
何故か魔物が出ないと思っていたら、リュカが聖水を振りまいていたお陰だったらしい。聞けば自分より弱い存在は襲ってこなくなるのだそうだ。
森の中を安気にとことこと歩きながらルヴァが口を開く。
「リュカ……ありがとうございます」
「まーだ言いますか。ぼくがしたいように動き回ってるだけですってば」
「それでも、ですよ」
ざっ、と足音を立ててリュカが立ち止まり、真剣な目つきでルヴァを振り返る。
「言ったでしょう、失ってからじゃ取り戻せないことなんか沢山あるんです。生きている間にできることは躊躇っちゃダメだ」
直接手を下されたわけでもないのに、ルヴァは思い切り頬を打たれたような気がした。
昨日この村へ連れて来られたときに告げられた話を思い出す。
リュカとビアンカは想い合っていながら共に暮らせない事情を抱えたルヴァとアンジェリークのために、結婚式を挙げるつもりなのだと。
「……時間がないから簡単な式になっちゃいますけど、それでもきっと、凄く綺麗だと思いますよ。逢えるかどうかも分からない将来に先延ばしするよりも、今のお二人を心に残したほうがいいんじゃないかな」
伝えたい言葉だって、相手が生きているからこそ伝える意味がある────彼は昨日、寂しげな光を湛えた瞳でそう言った。
ルヴァはこみ上げてくる涙を抑えるように手で顔を覆った。嗚咽を堪えるのに精一杯でその後一向に適切な言葉が出てこないまま、こくりと頷くことしかできなかった。
そんなルヴァをちらと見て、リュカは頬を掻いた。
「あ、でもすごーく緩い感じになると思うんで、本物のお式はいつかちゃんと挙げて下さいね。その代わり、グランバニアでしか味わえない特別な式にしてみせますから!」
馬車に隠しておいた釣竿を手に取って、二人はそ知らぬ顔でダンカンの家に戻った。
「すみませんアンジェ……いつもの通りです」
いつもボウズだから手ぶらで戻っても大丈夫と言っていたルヴァのすまなそうな顔と声が、リュカの笑いを誘った。