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美月~mitsuki
美月~mitsuki
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時津風(ときつかぜ) 【一章】

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 無論、赤司の様子は表向きは何も変わらない。相変わらずストイックに、どこまでも己に厳しく練習に打ち込んでいたし、敗北を基に問題点を冷静に分析し、更なる改善に向けて積極的に取り組んでいる。主将としての役割もこれまで以上に熱心にこなしていた。たった一度の敗北で、忸怩たる思いをいつまでも引きずるような弱さなど微塵も感じさせなかった。
 だがここ最近、赤司がどこか遠くを見つめているように感じる事がある。帝王と謳われ、自分は敗北を知らないと何の衒いも無く言ってのけていた彼にとって敗北はやはり衝撃だったろうから、考え込むのはそう不自然な事ではない。彼の性分であれば内省もするだろう。自分を未熟と言ったのが決して卑屈さからきている訳ではない事も分かってはいるが、それらを差し引いたとしてもやはり実渕の心中は穏やかではなかった。
「実渕。」
 ふいに呼び掛けられる。実渕が顔を上げると、赤司の瞳が真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「──俺が心配か?」
「えっ?」
 いきなりそう問われ、ギクリとした。答えに窮する。だが赤司は実渕から視線を外さない。
「お前の顔を見れば分かるよ。俺らしくない、そう顔に書いてある。」
 言われた実渕は、内心冷や汗をかいた。どうして彼はこう勘が鋭いのだろう。こちらの考えなどまるで手に取るようだ。実渕は咄嗟にどう答えたものかと視線を泳がせるが、そんな様子を見て赤司はフと微かに息を漏らして笑った。
「すまない。別に咎めている訳ではないんだ。実際、今の俺は今までの『赤司征十郎』とは少し違っていると思う。それは、俺自身にも自覚がある。だから、お前の感じている事は気のせいなどではないよ。」
「征ちゃん──」
「けれど今はそれを改めるつもりはない。少し思うところがあってね。今までの自分とは違うやり方を敢えて色々試してみたいんだ。」
 帝光中学の時代を共に過ごした仲間達とは違い、実渕たち洛山高校のメンバーは「もう一人の赤司」の存在は知らない。WCの決勝戦での自分をすぐ傍で彼等は見ていたのだから別段隠す必要もないのだが、赤司はまだ彼等にその事を話してはいなかった。
『お前、誰だ。』
 あの時、共に試合に臨んでいた黛千尋に言われた言葉が今でも耳に残っている。
 彼が何気なく発したその一言が、中学二年のあの日以前までの自分の自我を引き戻した。入れ替わる前と後、どちらの人格も間違いなく自分だが、内に隠れていた人格に戻ってみると周囲の自分に対する反応は中学に入った頃のそれとは全く違っていた。その事に気付いた時、赤司は改めて痛感した。およそ三年もの間、自分は信頼や敬意などではなく、ただ畏怖によって人を従えて来たのだと。その事実が思っていた以上に赤司の胸に突き刺さった。
 もう一つの人格がどんな事をして来たのかの記憶は残っている。だが状況を自分の内側から傍観しているのと、直接受け止めるのでは全くの別物だった。全ては自らが蒔いた種であり、蒔かれた種が結んだ実は自らで刈り取らねばならない。当然その覚悟は出来ている。だからこそ、この事実に対して自分が何をすべきなのかを赤司は模索し続けていた。仕方が無かったのだと、その一言だけで片付けたくなかった。起こっている全ての現実が、自分にとってどういう意味を持つのかをしっかりと見極めたい。今の自分にはそれが必要なのだと強く思った。
 実渕達にこの話をするかどうかはまだ決めていない。それよりもまずは自分自身の心を見つめる必要がある。その為にはもう少し時間が欲しかった。もしも話すのならば、自分なりに何かを掴んでからにしたい。それが赤司の今の想いだった。
「言ってみれば、これまでの慣れ親しんだ?フォーム?を敢えて変えようとしているようなものかな。納得のいくフォームが見つかるまでは今までのようにスムーズにいかなくなるだろうし、効率が悪い事もあるだろう。有り得ない様なミスをする可能性もある。だが今の俺には必要な事なんだ。だから心配はしないでくれ。必ず納得のいくものを見つけてみせるから。」
 実渕は溜息をついた。この一つ年下のチームメイトは、いつだって遠くに目を向けている。今以上に自分を高められるものがあれば、それに向き合う事を厭わない。貪欲に立ち向かっていく。
 この春に赤司は二年、実渕は三年に進級した。同じスタメンとして日頃接している葉山小太郎や根武谷栄吉も実渕と同じ三年、三月に卒業していった黛は大阪の大学に進んでここにはもう居ない。部員の中では赤司に最も近しい距離で接している自分達が彼と共にこの洛山高校に居られるのはあと一年、正確には半年になろうとしている。
 別に自分達が卒業しようと赤司にとっては何の障りにもならないだろうが、彼は親しく接する人間が極端に少ない。それは彼が余りにも突出した存在であり、周囲とかけ離れているせいだ。赤司本人にはその気が無くとも、どうしても周囲の方が彼に対して一線を画してしまう。
 赤司自身は疑問に思わないのか、そういった事に関して自分からは特に何も言わない。だが実渕からすれば、羨望とも嫉妬ともとれる視線で周囲から遠巻きに見られる赤司の姿はひどく孤独だった。目の前のあらゆる事を淡々と受け止め、粛々と己が決めた道を歩き続ける赤司のその姿勢が、逆にどこか寂しく感じられるのだ。それは実渕だけでなく、葉山や根武谷も感じていた事だった。
 バスケットや単なる日常生活での事なら多少の先輩風を吹かせる事も出来るかもしれない。だが赤司の置かれている環境は余りにも自分達とは違いすぎる。恐らく彼の胸の内を占めているのはそう単純な事ではないのだろう。今の赤司は、もっと複雑で掴みどころが無く、それでいて赤司自身にしか活路が見出せないような場所に立っているのは実渕にも分かっていた。
 だが、例えそうだとしても・・・。
「分かったわ。征ちゃんがそう言うのなら、もう心配はしない。でも、私達に何か出来る事があれば遠慮なく言ってちょうだいね。」
「いや、これは俺自身の問題だ。お前達を煩わせるような事は──」
「征ちゃん。」
 実渕が赤司の言葉にかぶせるように声を発した。
「確かに自分にとっての答えは自分にしか導き出せないものよ。誰かが答えを与えてくれる訳じゃない。でも、誰かの何かが答えを出す為のヒントになる事だってあるかもしれないでしょう?何でも一から全部一人でやろうとしないで、時には周りの声を参考にしてみてもいいんじゃないかしら。誰かの力を借りたって、それで征ちゃんの頑張りが消えてしまう訳じゃないんだもの。」
「実渕・・・」
 赤司は驚いたように目の前のチームメイトを見上げた。
「それに征ちゃんは心配しないでくれって言うけれど、それって私達が征ちゃんを信じていなきゃ出来ない事でしょう?なのに征ちゃんが私達を頼ってくれないなんて・・・」
「いや、それは違う。俺は決してお前たちを信頼していない訳では──」
 慌てて反論しかけた赤司だったが、その先の言葉は実渕の悪戯っぽい笑みに阻まれた。
「そーんな事、もちろん分かってるわよ。ただ、水臭いんじゃないかって言いたいの。」