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美月~mitsuki
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時津風(ときつかぜ)【三章】

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 素直な気持ちだった。口にした瞬間、何故か心の奥がくすぐったく、それと同時にじわりと暖かくなった。そんな赤司の顔を見ていた彼女も嬉しそうに目を細める。
「あなたがそう感じてくださったのなら、私も嬉しいわ。」
 屈託なく笑うその笑顔が中庭からの陽の光に透けた。この位の歳の女性は皆こんな風に笑うのだろうか。微かに記憶に残る母の笑顔を思い出しながら、赤司は自分の心が急激にほぐれてゆくのを感じる。
「高校二年生とおっしゃったわね。地元の方ではないようにお見受けしましたけれど、京都にお住まいなのですか?」
「はい。実家は東京ですが、今は市内の高校で寮生活をしています。」
「まぁ、そう。では今日はお独りでわざわざ写経をしに?」
 咄嗟に赤司はどう答えるべきか迷った。いつもなら言動には慎重で、初対面の人間に私的な話は極力しない。だが今はそれもいいのではないかと思った。写経をしている時にも感じたが、ここはさながら?時間を外した場所?だ。流れに身を任せるのも悪くない。それに赤司はもう少し、この目の前の女性と話がしたかった。
「実は来週、母の七回忌を迎えるんです。亡くなってから数年は毎年命日を迎える頃に写経を行なっていたのですが、ここ最近はそれが叶いませんでした。今日は所用でこちらに伺ったので、丁度良い機会だと思い写経を。」
「そうですか、それで写経を・・・。」
 赤司の答えを聞くと彼女は僅かに眉尻を下げた。知らぬとはいえ、亡くなった母親の話題に触れてしまった事を申し訳なく感じているのかと赤司は思ったが、どうやらそうではなかったらしい。彼女は赤司に笑顔を向けると言った。
「それは何よりの御供養ね。お母様もきっとお喜びでしょう。」
 トン、と胸を突かれたような感じがした。彼女の放った一言が一滴の雫のように胸の中に波紋を作り、広がってゆく。
「──そうだと、良いのですが。」
 言いながら赤司はその口の端を微かに上げ、きれいに微笑みを作ってみせた。初対面の人間相手でも落ち着いて振る舞う事が身に沁みついた、一見ごく自然な笑みだった。だがそれに反して赤司の視線は自分の膝の辺りに落ちた。黒い茶碗に陽が当たり、飲み口の縁に出来た光の粒がチリチリと瞬く。彼女はそんな赤司の横顔を黙って見つめていたが、やがてゆるりと中庭に目をやると独り言のように呟いた。
「私も写経は久し振り。嫁いだ頃はよくこちらに足を運んだのですけれど──」
 嫁いだと聞いて思わず赤司は顔を上げた。どこか年齢が掴めない印象があったが、落ち着いた物言いや佇まいを考えれば、結婚していたとしても不自然ではない。赤司の視線が反射的に彼女の左手の薬指に向けられる。そこには確かに銀色に光る結婚指輪が嵌められていた。赤司は自分が今まで彼女の指輪に気付けなかった事が意外だった。彼女の視線は庭に向けられたまま、まるで目に見えぬ風をその目で追っているかのように空を見ている。不思議な人だなと赤司は思った。こうして黙っていると物静かな印象なのに、彼女が話す言葉はどこか強い力を秘めている。少なくとも今の赤司には、彼女の言葉の一つ一つがとても意味深いものに感じられた。こうして空を見上げている彼女の瞳は何を映しているのだろう。赤司は彼女の横顔を見ながら思った。
「久し振りの写経は如何でしたか?何か以前との違いは感じられて?」
 そんな赤司の視線を感じたのか、彼女がついと赤司の方に顔を向けた。その仕草が一瞬赤司の記憶の中の映像と重なった。だが彼の思考は既に彼女の問い掛けの方に向けられていた。
「そうですね・・・」
 赤司は考え込むように口元に手をやった。そうしている間に自分の感覚を表すのに最も相応しい言葉を吟味するかのように、ゆっくりと呟く。
「とても感覚的なものなので、どう表現したら良いのか・・・強いて言うなら、自分の心の向きが変わった・・・とでも言うのかな。写経をする自分の身体、心、文字を書く一瞬一瞬。そのどれもが当たり前ではないのだと思い、自然と感謝の気持ちが湧きました。今自分がここにいる事も、目にするもの、聞くもの、その他の全ての要素がどれ一つ欠けても『今と同じ今』は無い。そんな事を考えていました。それに比べ初めての写経は僕にとってある意味、苦痛でしかなかった。あの時僕は・・・生まれて初めて『ままならない』という事を知ったような気がします。」
 彼女の視線がひたと赤司に注がれる。それを感じながら赤司は言葉を続けた。
「心が動くのも、身体が苦痛を感じるのも、そして人が死んでゆくのも───全ては自分の意思ではどうにもならない。」
 赤司の瞳は真っ直ぐ正面を見つめ、中庭に注がれる。彼のやや色白の横顔は夏の陽の光を受けて明るく輝いていたが、不意に空を過った鳥がそこに一瞬影を落とした。
「初めて写経を経験したのは母が亡くなった時、僕は小学五年生でした。お恥ずかしい話ですが、それまでの僕はこの世は全て自分次第で如何様にもなると思っていました。頑張れば頑張っただけそれに見合う結果が得られ、自分の努力次第で望むものは何でも手に入るのだと。だから勉強もスポーツも、習い事にも一切手を抜かなかった。無論、書道もそのうちのひとつで、あの晩までは筆を握るのを辛いと感じた事はありませんでした。それにも関わらず、写経を続ける事がとても困難に感じられた。心が乱れて集中出来ず、背筋を真っ直ぐにしている事さえ辛かった。今まで当たり前に出来ていた事が何一つ出来ず、自分がどこかへ行ってしまったかのようでとても戸惑いました。」
 幼い頃。何をしても、少し頑張ればすぐに上達した。一つ出来るようになると、また別の新しいものが与えられた。次々とこなすうちに、それが当たり前なのだと思うようになった。自分にはそれだけの力があるのだと。トップを目指すのは造作もない事だったし、父も、周囲の者もそれを望んだ。だが日々与えられる課題を黙々とこなす自分に、母だけは時折心配そうな顔を見せた。どうしてだろう、そう思った。母のその表情の意味が俺には分からなかった。ただ、母の喜ぶ顔が見たかった。
 やがて俺がバスケットをするようになると、母の心配そうな顔を見る事は減った。嬉しかった。何より俺はバスケットが好きだった。自分と誰かが共に笑顔になれる事、それがバスケだった。
「僕は湧き起こる感情を抑えつける事は出来ても、心が動く事は止められなかった。心や体が何かを感じる事も、人の死も、全て自分の意思ではどうにもならない。言いようのない不安に駆られました。ままならない状態に陥った時に自分がどうなるのかを、あの時僕は知ってしまった。あんな風になる自分が怖かった。こんな弱い自分のままでは母が成仏できないのではないかと考えた程です。」
 赤司はそこで言葉を切ると、そっと息を吐いた。どうしたというのだろう。考える間もなく言葉が口をついて出て来る事にいささか驚く。この話は今まで誰にもした事が無かった。今日ここに来る機会が無ければ、こうして誰かに話す事もなかっただろう。
 軒先から鳥が数羽飛び立った。バサバサという羽音に我に返り、赤司は隣に座る彼女に目を向けた。
「あ・・・」
 しまった、とその瞬間赤司は思った。