時津風(ときつかぜ)【最終章】
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校舎のすぐ裏手の敷地内に白地に薄いブルーのジャージを着た男子高校生達が集まっていた。長身揃いの彼等は皆一様にその肩からスポーツバッグを提げ、幾人かはバスケットボールを携えている。きちんと整列して前を向いている彼らの傍らには、大型のバスが停まっていた。
「全員揃っているな。」
長身揃いの彼らの中では比較的小柄に見える少年が、その横に立つチームメイトに声を掛けた。周りの少年達に比べると背が低いせいか一見華奢だが、近付いてよく見ればそのジャージの下には引き締まった鋼の様な身体が潜んでいる事に気付かされるだろう。すっと伸びた背筋の先には真っ直ぐに前を向いて顎を引いた端正な顔がある。女性的な印象を受けるその顔の中で、歳に似合わぬ鋭さを放つ目が印象的だった。
「チェック完了。全員揃ってるわよ、征ちゃん。」
手元のチェックリストに再度素早く目を走らせ、彼に問われたチームメイトの実渕玲央がそう答えると、少年、赤司征十郎が頷く。
「よし。じゃあ、行こうか。」
その一言に、集合していた生徒達はバスに乗り始めた。
全員が座席に着くのを見届けてから、乗降口側の一番前の席に赤司と実渕が並んで座る。
実渕が運転席のバスの運転手に『お願いします』と声を掛けると、バスは程なくして出発した。
「ほい、レオ姐。マイク。」
通路を挟んで隣の列、運転席側の一番前の席に座っていた葉山小太郎が実渕に車内用のマイクを渡す。葉山の隣には同じくスタメンの根武谷栄吉が窮屈そうに座っていた。
「サンキュ、小太郎。」
実渕が葉山の手からマイクを受け取ると、根武谷が居心地の悪そうな顔をこちらに向けて言った。
「おい、赤司。補助席が空いてるならそこに座らせてくれねぇか。」
身長も高く、筋肉質でがっしりしている根武谷にとってバスの座席はどうやら窮屈らしい。赤司が根武谷の方に顔を向け口を開こうとしたが、その前に実渕がそれを一蹴した。
「何言ってんのよ、永吉。どうせ両側の席はみんな埋まってるんだから、補助席に座ったって状況は一緒、むしろもっと窮屈なくらいよ。それに、どうせそうだろうと思ってわざわざ征ちゃんがあんたの隣を小太郎にしたんだから、そこで妥協して頂戴。」
葉山もこの部内では比較的細身なほうだ。わざわざ赤司が配慮してくれたと実渕に聞かされ、根武谷が申し訳なさそうに赤司を見る。すると、それまで黙っていた赤司が口を開いた。
「一つだけ単独で座れる席があるぞ、根武谷。お前がどうしてもというのなら、座れるよう交渉してみる事も可能だが。」
「え?そんな席あんのかよ?」
訝しむ根武谷に赤司は頷くと、黙って自分の前を指さした。正確には斜め前下。最前列の赤司の席からだと、そこはもうバス乗降口だ。戸惑う根武谷に赤司が大真面目な顔で言う。
「今日の行程にガイドは付かないからね。そこなら終日空席だし、誰も隣に座らない。」
その言葉の意味にようやく気付き、根武谷は顔を赤らめた。
「何言ってんだ、赤司!俺はバスガイドじゃねえぞっ!」
「ああ、やはり駄目か。そこならお前でも比較的ゆったり座れると思ったんだが・・・。」
ひどく残念そうに肩を落とす赤司。その様子に根武谷がどう反応を返せば良いものかとオロオロしだす。見兼ねた実渕が口を挟もうとした瞬間、それまでの表情をガラリと変え、さも可笑しそうに赤司が笑いだした。
思わずぽかんとその様子を眺めていた三人が、ようやくそれが赤司の冗談だったのだと気付く。分かりづらい上に笑えない冗談。根武谷は盛大に困った顔をし、葉山は目を丸くしていた。だが、じわじわと後から込み上げて来る別の笑いが葉山を襲ったらしい。彼は自分の席に座りこむと腹を抱え始めた。
「い、今の赤司のがっかり顔・・・!わざわざあんな顔して見せる赤司の冗談とかっ・・・超レアじゃね?逆にマジ、ウケるっ・・・!!!!」
「せ、征ちゃん・・永吉のゴネなんていちいち拾わなくていいのよ・・・?」
実渕が冷や汗を掻きながら、慌てて持っていたマイクを赤司に差し出した。どうしちゃったのよ、らしくないわねと半ば動揺しつつ赤司を見ると、当の赤司はちらりと悪戯っぽい笑みを実渕に返して来た。彼の不慣れで微妙な冗談は意図的なものだったのだと気付き、実渕はハッとする。根武谷にそのつもりは無かったのだろうが、実渕が妥協して欲しいと言った事で結果的に根武谷がゴネた形になってしまった。その事に赤司は気を回したのだ。
それに気付いた実渕は、赤司を見上げた。
「征ちゃん、あの・・・」
自分に配慮が足りなかった。根武谷とは気心が知れている分、ついそのままを伝えてしまったが、自分がもう少し別の言い方をしていればこうして赤司に気を遣わせる事も無かった筈だ。部内の雰囲気作りやクッションの役割を担うのは本来、副主将である自分の役目なのに。
口を開きかけた実渕に、赤司はやんわりと首を振ってその先を制する。
「気付いた者がやればいいんだ。そして、気付いたら変えていけばいい。お互い様だよ、実渕。」
その言葉に、実渕は先ほどとは別の類の溜息をつく。
───ホント、征ちゃんには敵わないわね。
根武谷は気が抜けてしまったらしく、そのまま黙って元の席に落ち着いた。葉山の提案で、根武谷が通路側に座ることで少しは窮屈感を和らげる事にしたようだった。
実渕からマイクを受け取ると、赤司はその場に立ち上がった。今日は監督とは試合会場で合流する事になっている。部員に申し送りをするのは主将である赤司の役目だ。
「皆に伝えておく事がある。」
一瞬で赤司の表情が変わる。
凛とした張りのある声はつい今までチームメイトに冗談を言っていた少年とは思えない程、迫力のあるものだった。それまでざわついていた車内がとたんに静まり返り、部員達の視線が一斉に目の前に立つ主将に集まる。
「これより予定通り練習試合に向かう。だが今日の試合を練習だなどと思うな。WCを控えた今、如何なる試合も全て公式戦と同様と心得ろ。一瞬たりとも気を抜く事は許さない。なお今回の試合は控え、ベンチに関わらず、このバスに乗っている全ての選手がコートに立てるよう対戦校と協議のうえ調整をした。実力があると判断した者は速やかに取り上げ、実力の伴わない者は容赦なく降格とするのでそのつもりで臨め。くれぐれも洛山の名に恥じる様なプレイはするな。いつでもコートに立てるよう、会場に到着次第、各自速やかにアップを済ませるように。いいな!」
「はい!」
「俺からは以上だ。何か質問のある者はいるか。」
赤司はバスの中を見渡す。質問の意思を告げる者が居ない事を確認すると、赤司はそのまま席に着いた。
「実渕、マイクを返すよ。ありがとう。」
使い終えたマイクを実渕に手渡すと、赤司は今日の対戦校のデータに目を通し始めた。クリップボードに挟まれた紙を捲る姿を、実渕が隣からじっと眺める。
「・・・何か言いたそうだね。」
実渕の遠慮の無い視線を感じながらも、赤司は紙面から目を離さない。データの文字を追いながら尋ねる赤司に実渕は声を弾ませて言った。
「調子良さそうね、征ちゃん。何かいい事でもあったの?」
作品名:時津風(ときつかぜ)【最終章】 作家名:美月~mitsuki