「FRAME」 ――邂逅録1 不易編
はじめはドラッグのやり取りかとも思ったが、そういうものとは違うように思えてくる。
下水溝を利用した、ある組織の拠点。
この組織を潰すことが召喚されたエミヤの“仕事”だ。
現界した場が鼻を突く酷い臭いの下水溝で、少々やる気が失せていたのは否めない。
人の気配を探りながら、真っ直ぐ立つこともできない下水溝をしばらく歩いていた。
(こんな場所に召喚する意味がわからない!)
忌々しさに、つい心中で文句を言ってしまう。
そのうちに大きな下水溝に突き当たり、やっと普通に歩くことができる、とエミヤがほっとしたのも束の間、人の気配を察知し、静かにそちらへと向かう。
下水溝の合流地点のようなところには、暗いものの灯りが点いていた。コンクリートの壁に身を潜めながらエミヤが様子を窺っていたところに、前の二人が現れたのだ。
この組織の本部の場所か何か、実のある情報でも話さないだろうかと思い、気配を殺したエミヤは、決して明るいとは言えないランタンの灯りの方へ顔を向け、目を凝らした。
目に入ってきた光景に、一瞬、眉を上げ、すぐに顔を戻して呼吸を止める。そのままそっと息を吐いて、うんざりと湿ったコンクリートの天井を見上げた。
下水溝を利用したこの組織の隠れ家は、やたらと湿気ている。
(まあ……、捌け口がないのだろうが……)
気分の悪くなるようなものを見てしまったと、ひっそりとため息をついた。
ランタンの灯りが置いてある机にもたれ、一人は短い煙草をふかし、紫煙をくゆらせている。もう一人はその男の前に跪いて、煙草をふかす男の股に顔を埋めている。
何をしているかわからない、などという潔癖さは、とうの昔に擦り切れた。
(上の者に尽くして口淫とは……。この組織もどのみち自然崩壊だろう……)
いくら反政府組織だなんだといっても、規律の整った一団にこんな光景はない。上の者が、下の者にこういうことを強要することなど、ほぼ見られない。あったとしても、合意の上のことだろう。
濡れた音が、否が応にも聞こえてくる。耳を塞ごうかとも思うが、重要な情報を話すかもしれない。こういう時に、ぽろり、と喋ってしまう者は多い。
望みは薄いと思いつつ、それを期待して動くわけにはいかないので、我慢して待つに留まる。
「なんだ、興奮してるな、今日は」
下卑た声が聞こえる。年嵩の方の声だ。
「……別に。いつもと変わんねぇよ」
淡々と答える声に聞き覚えがある気がして、エミヤは眉間に皺を刻んだまま再びその光景に目を向けた。
「反応がいいぜ? いつもは、もっとカラカラになるまで、硬くもならないのにな」
「ふん、たまたまだろ」
エミヤはその様子を見て、意外だと思った。
(年上の者が、奉仕している?)
声を聞いている限り、立っている男の方が若い。ならば、立っている若い男の方が立場が上か。
いや、話しぶりはそうでもない。口ぶりは対等のようだが、これは、咥えている年上らしき男の方が、ご執心という感じだ。げんに、立っている男は興味なさそうに煙草をふかして、跪く男を見てもいない。
「っん! ちょ、っと、やめ、痛い、だろっ」
「ハハ、いい声が出てきたじゃないか」
「余計なことしゃべってんなら、やらせねぇぞ」
奉仕を受けている男の声が冷たさを纏った。
「わ、悪い!」
跪いた男は慌てて謝っている。
(確実に、咥えさせている方が上位に立っている……)
その奇妙な光景から目を逸らすことができず、エミヤは様子を窺うことにした。
ランタンの灯りは立った男の背を照らしているだけで、顔は見えない。だが、その声にはどこか聞き覚えがある気がしている。
「も、いい、だろ、放せよ」
少し弾んだ声で若い方の男が身を捩った。コトは終わったようだ。
「待てよ、なあ、そろそろ、いいだろ?」
立ち上がった年上の男は甘い声で、奉仕していた若い男の腰を抱き寄せる。
「やめ、ろよ」
若い男は放心でもしているのか、抵抗している様子だが、力が入っていない。
「お前も、待ってんだろ? 焦らすなよ」
「なに言ってんだ、頭沸いたか?」
ムベもない言いようで、若い男は抱き寄せる男の腕をすり抜けようとしたが、
ガタタッ!
木製の粗末な机に乱暴に押さえつけられ、両腕を戒められ、若い男は圧し掛かられてしまった。
「!?」
エミヤは目を疑った。
ランタンに照らされた、その若い男の顔に見覚えがある。
(あれは……、まさか……)
ゾッとした。
(赤銅色の髪、琥珀色の瞳……)
今回、壊滅させる集団に、己がルーツがいることに、背筋が寒くなった。
いや、それよりも、今、目の前に繰り広げられる状況にもだ。
(何をしている、あの、たわけ!)
飛び出しそうになるのを堪え、エミヤは歯ぎしりする。
過去の自分が何をしようと、今、エミヤはその過去から切り離されているモノである。それに文句をつけることも、そこにいる過去の自分がどんな災難に見舞われようと、関わり合うことはない。
だが……、とエミヤは思ってしまう。
再びまみえることとなった愚かな自分の姿に、やるせなさを感じないわけではない。
あの聖杯戦争から己は再び英霊として存在することができた。ひとえに、あの少年に救われたと言っても過言ではないのだ。
それが、こんな愚かな行為に耽る大人に成り下がっているとは、と気が滅入る。
「てめ、なに、しやが、った!」
ハッとして、その声に顔を上げる。エミヤは知らず俯いていたらしい己に舌を打つ。
粗末な机に押し倒された若い男――衛宮士郎は、さらに抵抗する力を奪われていた。すでに衣服がはだけ、白い肌がオレンジの灯りに浮かんでいる。
「気持ちよーくなる薬だって、害はねーよ。はは、にしても、ひっでえ傷だよなぁ」
圧し掛かる男の口端がいやらしく吊り上がった。
「このっ、やろ、クスリなんか、使い、やが、って!」
声が途切れるのは、息苦しさからなのか、士郎は必死に逃れようとしている。
「両手塞がれてりゃ、銃も使えねぇだろ?」
「ひっ! やめろ!」
圧し掛かる男の右手が、細い腰にまとわりつき、そのまま尻の方へ滑り落ちていく。
エミヤは呆然としていた。その光景を、どこか現実感なく見ていた。
(ああ、まあ……、そうだな……)
そんなことを頭の中で呟き、何かがふっと切れた。
下水溝の壁の陰から、ざっと足を踏み出した。音を消すことも姿を隠すこともなく歩き出す。下水溝の底に溜まった排水を踏みしめる足音が響いていることにも、ランタンに照らされた二人はまだ気づかない。
これほど、あからさまに現れたというのに、とエミヤはため息をつく。口元まで覆っていた生成りの外套を引き下げ、下水の臭いが漂う澱んだ空気に顔を顰めながら、息を吸う。
「お取込み中、悪いのだが……」
バッとこちらに顔を向けた男の前頭部を、がしっとエミヤは片手で掴んだ。
「な、何、者だっ!」
そのまま持ち上げられた男は、足をぶらぶらとさせ、エミヤの腕を握り、その手を放そうと躍起になっている。
「何者、とは……、答える義務はないな。貴様こそ、オレの身体に、何をしてくれているっ!」
ゴッ!
作品名:「FRAME」 ――邂逅録1 不易編 作家名:さやけ