「FRAME」 ――邂逅録2 弧愁編
「行け、命令だ、シロー」
静かに言われて、嫌だ、と首を振る。
「シェード、ダメだ、置いてなんか――」
「行け!」
びく、と士郎は肩を揺らす。
「伝えて、くれ、遅刻、する……って、な?」
途切れながら吐かれる声に、士郎はやっとのことで立ち上がった。
「生きろよ……シロー……」
微笑んだシェードはそのまま呼吸をしなくなった。
震える唇を噛みしめて、士郎は後退る。
「衛宮士郎、なぜ、お前がこんなところにいる」
「……仕事だ」
エミヤをちらと見て、ぽつり、と答え、項垂れる。
「とにかく、ここは危険だな」
ため息交じりに言ったエミヤが腕を掴んできた。
「行くぞ」
「え? ちょっ――」
腕を引かれた途端、背後に爆弾が落ちる。吹き飛ばされて、少しの間、士郎は意識を失っていたようだ。
目を開けると、右半身が重い。耳鳴りがして、頭痛が酷い。
「生きているか?」
声の方へ霞む目を向け、エミヤの確認に頷こうとして、痛みに呻く。身体の右側は瓦礫の下敷きになっていた。右目も痛み、血が目に入っているのか、右側が見えない。
瓦礫を除けようとしているのか、エミヤは真上で瓦礫に手を伸ばしている。ぽた、と頬に生暖かいものが落ちてきた。
「エミ……ヤ?」
見上げて目を剥く。
「ばっ、……っ、あ、ア……ンタ、何、してっ」
痛みに呻きながら、どうにか声を絞るが、見下ろすエミヤは表情を崩すこともなく、瓦礫を破壊し、士郎の上から排除した。
砂埃に噎せる士郎をエミヤは抱き上げる。
「アンタ、や、やめろ、よ! 血が!」
数歩走ったところで、エミヤは、かくり、と膝をついた。
「だ、だから、やめろって、言っただろ!」
自身の胸元を見下ろし、エミヤは初めて気づいたというように驚いている。
「お、下ろせって!」
まだ抱き上げようとしていた士郎を、エミヤはそっと下ろした。
「ああ、すまない、これは……、まずいな……」
胸元を貫く鉄筋に、エミヤは、残念だ、と苦笑する。
「なに……笑って……」
「ああ、お前を安全な所まで運ぼうと思ったのだが、どうにもできそうにないな」
「なんっ……で、そんなこと、するんだよ!」
「さあ、なぜか……。まあ、身体が動いたのだ、仕方がない」
淡々と答えるエミヤに、胸が詰まる。
「いいから、アンタは、自分の仕事を――」
「おおかた済んでいる。この分であれば、私が手を出すこともなさそうだ。したがって、前の男に頼まれたことをやっておこうと――」
「バカかよっ!」
「む。馬鹿に馬鹿と言われる筋合いはないぞ」
「アンタ、覚えてっ、ないんだろっ! なのに、なんでっ!」
「何を言うか、お前のことは覚えている。聖杯戦争の記憶は残っているのでな。お前と剣を交えたことも、お前が間違いではないと言ったことも……、衛宮士郎?」
こみ上げそうな嗚咽を噛みしめて、士郎は自由に動く左手でエミヤの外套を握る。
「……そう、か……、俺のこと……、覚えてるんだな……アーチャー……」
「その呼び方は改めてもらおう。それは、聖杯戦争のクラス名だ。私の名ではない」
「……悪い、つい、癖でさ……」
同じやり取りを半年前にしたとは言えず、士郎は俯いた。
「衛宮士郎、その傷を手当てすることは私にはできない。魔力を流して自力で動け。ここから、生還しろ。あの男のためにも」
「なに、を、偉そうに……」
「すまないな、安全圏までは、無理だ」
爆撃機の音が近づいてくる。爆弾が落ちた音も振動も徐々に近づいてくる。
「ダメ押しの空爆だろう。これが最後だ。あれが過ぎて、探査機が去れば、動きだせる」
「ちょっ、と、待てよ、アンタは、」
士郎の声は轟音にかき消された。エミヤが士郎を背に庇い、片膝立ちのままアイアスで爆風と瓦礫と焦熱を防いでいる。
「覚えてないんだろ……、あの時の記憶は、ないんだろ……、なのに、なんで、アンタ、俺を助けようとしてるんだ……」
士郎の声はエミヤには届いていない。爆音の中での声など、かき消されてしまっている。
轟音が止み、埃に包まれた中で、士郎はエミヤを見送った。
最後にエミヤは顔だけ振り返った。肩越しに見えた横顔は笑っているように見えた。
「アーチャー……」
砂埃がおさまり、あたりは静けさに包まれる。瓦礫だけがある、人が住んでいた名残も感じられない景色が広がっている。
エミヤがいた地面には血痕が残っていた。
そこにいたことを、その赤い痕が証明していた。
ぼんやりと空を見上げる。上空に機影を見つけ、それが無人探査機だとわかった。
地上に向けたカメラが取り付けられているのだろう、と士郎は左目に意識を集中させる。
「ふざ……けるな……っ」
探査機のカメラを睨みつけた。
「俺の仲間を、アーチャーを殺して……、ふざけるな……!」
無かった事になどしてやらない。
士郎は歯噛みする。
「ここにいた罪もない人たちを抹殺した奴らに吠え面かかせてやる」
探査機が何事もなかったように飛び去っていく。
士郎はエミヤに言われた通り、動かない右脚に魔力を流す。右わき腹から大量に出血しているため、そちらにも魔力を流してみると、治癒まではいかないが、血は止めることができた。
「こんな使い方もできるのか……」
魔術とは便利なものだ、と士郎は歩き出す。
今はただ、生き延びて、真実を世界に曝すことしか頭になかった。
***
「み……ず……」
乾いた唇から掠れた声が漏れる。
左腕と左脚で身体を引きずる。雨の匂いが身体を動かした。渇いた身体はとても素直に水を要求している。
ずずず、と身体を引きずり、軒の下から這い出る。ごろり、と仰向けに寝返ると、曇った空から銀の雨が降ってくる。
「痛い……」
右半身が疼く。最近気づいた、雨の日は、傷が痛むということを。
渇いた身体と喉に雨が沁み込む。
「ああ、俺……、まだ、生きてるんだ……」
雨が涙のように目尻を伝った。
「シェード、俺……まだ……」
生きろと言った。
あれが最後の命令だなんて酷すぎるよ、と目を閉じる。
自分だけが残って、どうやって、生きろというのか……。
ただ、士郎にはやらなければならないことがある。世界に真実をつきつけなければ、死ぬことも許されないという強迫めいたものがある。
「生きなきゃ……」
まだ死ねない。それは、まだ自分には許されていない。
不意に顔にかかる雨がやんだ。
目を開けると、黒い傘に曇天が遮られている。
水を飲んでいるのだから、邪魔しないでくれと思いながら眉根を寄せる。
「どうした? 坊主」
見下ろしてくる男はうっすらと笑いを顔に浮かべて声をかけてくる。アラブ系の顔にニヤニヤとした表情を浮かべた、三十代くらいの遊び人のような風情の男だった。
「水、飲んでる、だけ」
掠れた声で答えると、男はしゃがんで士郎の顔を覗き込む。
「それ、傷か」
右目のあたりに触れようとした無遠慮な手を弾いた。
「触るな」
手を引っ込めた男は、気を悪くするでもなく眉を上げる。
「おー、おー、ずいぶん、元気な野良猫だ」
ひひひ、と笑った男は、アランだ、と名乗った。
「訊いてない」
「そう警戒するな。来いよ、飯と宿くらいはある」
作品名:「FRAME」 ――邂逅録2 弧愁編 作家名:さやけ