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「FRAME」 ――邂逅録3 別離編

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 浴槽の縁に士郎を座らせ、シャワーを右脚にかけながらエミヤは士郎の脚をさすり、リハビリを行うように曲げたり伸ばしたりを繰り返す。
「なに……してんだよ……」
「動かせば楽になるのだろう?」
「楽っていうか……」
 士郎は口ごもる。
 エミヤにこんな介助のようなことをさせたいわけではない。
 エミヤは自らの理想を追い求めて英霊となったのだ。それを、こんな、自身の身体の世話など、させていいわけがない。
 だというのに、士郎はどこかで喜んでいる。エミヤとまた会えたことを、今度は、契約をしたのだ、互いに納得のいくまで話をすることもできるし、士郎の微かな願いも叶えることができるかもしれない。そんな大それた期待まで持ってしまいそうになる。
「アンタ、ずぶ濡れだけど……」
「問題ない」
「いや……、そうだろうけど……」
 エミヤは今、概念武装ではない。普通の服を着ているので、濡れればやはり着替えなければならない。
 英霊であるため、風邪など引くとは思えないが、濡れたままで部屋にいられても困る。
 着替えもないのに、と士郎は目を伏せ、ズルズルと滑り下りて、エミヤと同じように浴槽に座り込んだ。
「士郎? 濡れるぞ?」
「アンタもだろ。どうすんだよ、着替え」
「なんとでも」
「……装甲は、あれだろ。バスローブでも着とけよ。洗濯か、着替えか、フロントに頼めばやってくれるだろ」
 不貞腐れて言えば、エミヤは目尻を下げた。
「なに笑ってんだ」
「いや、私を気遣っているのだな、と思ってな」
「……るせー」
 自分の身体を動かしてもらっているのに、エミヤだけが濡れているのは不公平だと思ったのだ。だから、士郎も浴槽に座り込んだ。
 強要したわけではないが、エミヤは士郎を気遣ってくれている。それに応えるのは当然だと思えるのだ。
 そして、その気持ちが、うれしいのも、紛れもない事実。
(だけど……)
 だが、やはり、こんなことをさせてエミヤを縛っているわけにはいかない。士郎は自身の願望を抑え込む。
「アンタ、いいのかよ、こんな、俺の介助みたいなこと、していて」
 エミヤは答えない。無言で士郎の脚と腕を優しく撫でて労わってくれている。
「……アンタは、英霊だろ? 守護者なんだろ? アンタは必要とされてるんだから、自分の仕事をやれよ」
「今は、これが私のやるべきことだ」
「何がだよ……」
「私はお前と契約した。お前を救いたいと言ったはずだが?」
「そん……っなこと……」
 頼んだ覚えはない。そんなことを願ったこともない。士郎は息苦しさに唇を噛み締めた。
「今、お前とともにいることが私には必要なことだ。お前が動きたいと思うのならその手助けを――」
 士郎は苛立たしげに、エミヤの襟を掴んで引き寄せた。
「んなことしてる暇があるんなら、さっさと還れ! あの組織は壊滅した、もうここに残ってる必要なんてないだろ!」
 胸ぐらを掴む士郎の手を一瞥し、エミヤは士郎を真っ直ぐに見つめる。
「いいのか、それで」
 射抜くような鈍色の瞳に、士郎は僅かに肩を揺らす。
「い、いいに、決まってんだろ! アンタには理想を叶えてもらってなきゃ困るんでね」
 乱暴にエミヤの襟を放して言い放ち、士郎はエミヤから顔を背けた。
 きゅ、と蛇口を閉める音がしてシャワーが止まる。
「……そうだな、私がお前と契約をしていると、お前はこういう状態だからな」
 しばらく黙ったエミヤが、ぽつり、とこぼした。エミヤに目を向け、その表情に士郎は、ぎゅ、胸の内を握りこまれた気がした。
「そ、そういうことを、言ってんじゃ――」
「そういうことだろう……。正直に言えばいい、身動きが取れないのはやってられないから早く消えろと」
「い、言ってないだろ! そんなこと!」
「言わずともわかる。今までできたことが満足にできなくなる、その不自由さにお前が苛立っていることくら、っ!」
 思わずエミヤの頬を殴っていた。拳に残る衝撃を士郎は握りしめる。
「ふざっ、けんな! 今さら、手脚失くしたって、どうってこともねえよ! 俺が今までどうやって身体動かしてたと思っていやがる! お前を維持するくらいで身体が動かないだと? 見縊るんじゃねえ! 慣れれば日常生活くらい支障なく過ごせる。今は回路に大幅修正をかけてるから、動かないだけだ!」
 エミヤは驚いた顔で反論もしてこない。
「では、魔術協会で言ったことは……」
「ああ? あんなの、出まかせに決まってんだろ。この先、ずっと監視下なんか、ごめんだからな!」
 ぽかん、としてエミヤは士郎を見ている。エミヤのそんな顔は珍しい。一度目の再会の時に、士郎は何度かこういう顔を見ている。それを思い出しそうになって、士郎は唇を噛んだ。
「士郎……、お前…………っくく」
 呆気に取られていたエミヤは、やがて笑いだした。
「な、なに、笑って……」
 山ほど何か言い返してくるかと思えば、エミヤは笑っている。士郎は驚いたままで言葉も出なくなる。
「ああ、いや、すまない、お前が、ずいぶんと、成長したのだと、思ってな」
 まだ笑いをおさめきれずに答えるエミヤに、士郎は“あの時”のエミヤを見た。
(ああ、アンタは……、やっぱり、アンタなんだな……)
 胸が熱い。
 こみ上げてくるものを必死に抑えこんで、士郎は口を開く。
「なあ……」
 鈍色の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。自らの理想を追い続け、戦い続けるその瞳が、あまりにも真摯で、怖気づく。
 士郎は言葉を飲み込んだ。
「士郎?」
「あ、いや、なんでもない……」
 言えるわけがなかった。
 探してくれないか、などと。
 “救われた”と思えるようなものを、一緒に探してくれないか、などという、我が儘を。
(そんなこと……言うわけに、いかない……)
 士郎はいつものように堪えた。



「遠坂から」
 凛から渡された、士郎の着替えと一緒に入っていた紙袋をエミヤに渡す。
 渡された紙袋をじっと見ているだけのエミヤに士郎は首を傾げる。
「どうした?」
「……いや、凛から、と言われると、躊躇する」
 困惑した顔で大真面目に言うエミヤに、士郎は目を据わらせた。
「アンタ、遠坂に何されたんだ?」
「い、いや、凛は何も……。ただ、気をつけろ、と私の身体が訴えている」
「っぶ!」
 士郎は吹き出してしまった。
「な、何を笑っている、真面目な話だ」
「アンタ、相当、遠坂にトラウマあるんだな!」
 腹を押さえて笑いながら、
「たぶん、俺もそうだ。あいつから何か貰うと、躊躇する」
「お前もか……」
 安心した、とエミヤは決心がついたようで、紙袋を開けた。中から出てきたのは、二人が“期待”するようなものではなく服だった。
「黒いのばっか」
 士郎が言うと、エミヤは、妥当なところだろう、と答える。
「そういえば、俺の荷物って、どこにいったんだ? 服も着替えてたし」
「荷物は、下水溝だろう」
「あ、そうか、空爆で全部なくなったか」
 たいしたものは入っていなかったが、携帯食器などはまだまだ使えるものばかりだっただけに、士郎は、少し勿体ないことをしたと思った。
「着ていた服は処分したぞ。凛がごみ袋を持ってきて、靴から何から全部捨てろと言って」
「全部?」