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「FRAME」 ――邂逅録3 別離編

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「士郎、お前の――」
「ありがとな」
 お前の求めるエミヤとは、と訊こうとしたエミヤの声を士郎の声が遮った。
 微笑んだ士郎が手の中で小さな刃を投影したのに気づく。
 魔術師たちは気づいていない。
(何をするつもりだ……)
 エミヤは動けないままで、気ばかりが焦る。
「遠坂、悪いな、こんな厄介な弟子でさ」
 士郎の謝罪に、凛は顔を背けた。
 魔術師たちを連れてきたのは凛だ。
 まともに動けないと言った士郎が旅に出ようとしていることを察知し、すぐに協会へと連絡を入れた。
 それは、どこかで士郎に裏切られた、という失望があったからだ。協会の人間だと自分が士郎に認識されていたことが、凛はやはりショックだった。
 相談してくれれば何かいい手を考えたのに、と凛が憤ったのも事実だ。だが、今、素直に士郎に謝られ、凛は何も答えられなかった。
「エミヤ、ほんと、ごめんな」
「士郎? 何を――」
 何をするのだ、と訊く前に、士郎の左目に刃が走った。ぱ、とエミヤの頬に赤い飛沫が飛ぶ。
 士郎を止める間がエミヤにはなかった。戒められていたこともあるが、士郎が何かをするとわかっていながら、止めることができなかった。
「し、士郎っ!」
 凛の悲鳴が響く。
「士郎……なんて、ことを……」
 エミヤは呆然と呟くことしかできない。魔術師たちも動揺している。
 右目を失っていて、さらに左目まで傷つけた。これではもう、士郎は完全に失明してしまう。
「これで俺は、目にも魔力が必要になった。普通に生きるだけでけっこうな魔力を使うことになる。二度と使い魔なんてもの、持てなくなった……。これで、満足だろう?」
 士郎は笑っている。だが、その魔術師たちに向けられた笑みは、どこか寒々しいものだった。
 エミヤはその笑い顔に既視感を覚える。見たことがある、とわかる。
 士郎の命を救えなかった光景、その時の彼が見せた冷笑。
 その記憶が無くても、エミヤはその感覚は覚えている。その、焦燥のような、憤りのような、手出しできない不甲斐なさ。
 ああ、とエミヤは嘆息する。
(私では救えないのだな、お前を……)
 胸苦しさに、エミヤは歯を食いしばる。ぎり、と軋んだ音を立てたのは奥歯なのか、苦しい胸の内なのか、判然としない。
 エミヤは次第に座に引き込まれようとしている。魔術師の戒めなど、ものともしない力で座に戻されていく。
「英霊をお前らのオモチャになんかしねぇよ」
 魔術師へ放った士郎のはっきりとした声が聞こえる。
「こいつは自分の理想を叶えるために、自分を捨てたんだ、お前らの勝手にできるような代物じゃねえからな!」
 魔術師に言い放つ士郎の凛然とした声には、有無を言わせぬ迫力があった。
 仲間を失い、傲慢な権力に抗い続けた士郎こその底力は、エミヤの知らない姿。己が士郎のことを何も知らないのだと、さらに胸が痛い。
 今、どうしようもなく知りたいと思った、士郎の歩いてきた道を。己とは違う、士郎の過酷な道を。何を思い、何に泣いたのか、ということを。
「エミヤ……」
 微笑んだ士郎の頬を、エミヤは両手で包む。血が涙のように士郎の頬を伝っている。
「“仕事”、がんばれよ」
 士郎の声がエミヤの胸に響く。
「士郎……、この、たわけ……」
 力ないエミヤの叱責に、士郎は笑った。
「ありがとな。アンタの気持ち、うれしかったよ」
 確かな肉体の形すらあやふやになるエミヤの頬に、士郎の左手が彷徨いながらそっと触れる。瞼を上げたそこには淡い緑光の瞳。
 魔力を左目に集めて、士郎は視力を補っている。
『士郎!』
 声が届いたかはわからない。エミヤの存在は、すでに士郎のいる世界からは、ほとんどが失われていた。士郎は笑っている、悲しげに。
(ああ、その顔も、覚えがある……)
 記憶ではない、胸の痛みが覚えている。
 記憶という映像ではない、胸の苦しさ、戸惑い、跳ねる鼓動、焦り、憤り、温かみ、楽しさ、うれしさ、様々な感情で、エミヤは士郎を覚えていた。
『士郎、私は……』
 謝らなければ、とエミヤは思う。今さら気づいたことに、こんな別れ際に、と。
 士郎は笑う。その姿も薄れていく。
 ――アーチャー。
 士郎の唇が、そう辿った。



***

 ――空は、青いな。
 エミヤは言う。
「どこで見上げても、雲の向こうの空は、青い。それだけは、変わらない……」
 そう呟いた横顔は悲しいわけではなく、寂しいわけでもなく、永い時を繰り返し殺戮に費やしていた怒りや憤りも感じられず、ただ真摯に受け止めている。
 純粋にその青さを、変わることのない空の光景を、エミヤはただ見ていた。
 それだけだというのに、士郎の胸は、ひどく打たれた。
 エミヤが見てきた暗い光景の中、唯一の光のようなその光景がただ一つの救いのようで、それだけがエミヤにとっての、よすがだとわかって……。
 その生き様を見た士郎は、羨ましいと思った。
 いつか自分もこうなりたいと思った。
 きっとエミヤは眉を顰めて、くだらないからやめておけ、と言うだろうとわかっていたが、憧れてしまったものは仕方がなかった。
(ああ、アンタは青空に救いを見たのか……。俺は、いまだに見つけられないままだ。いつか俺にもそういうものが見つかるだろうか? 英雄になどなれなかった俺にも、生きていれば、いつか……)

 薄く瞼を開けて、ぼんやりと思う。
 夢の続きが見たくて目を閉じていたが、かつての夢はもう戻りはしない。
 士郎は重い身体を起こす。
 身体を起こしてからは右腕をさすり、左手で曲げたり伸ばしたり、手を開いたり閉じたりする。次に右脚を動かしにかかる。
 動かない右の腕と脚を強制的に動かしてからでないと、士郎には立ち上がることも難しい。
「っ……」
 ベッドから下りようとした士郎は小さく呻いてしまった。
 身体の重さに舌を打ち、忌々しげに窓に目を向ける。
 士郎の予想通り、どんよりとした低い雲と、銀の雨が街を覆っている。雨の日は傷を負った箇所が重い。痛みや疼きはないが、どうにも動かすのが億劫になる。
「痛むのか?」
 かけられた声に、ひとりではなかったことを思い出し、士郎はこぼしそうになったため息を飲み込んだ。
「……平気だ、雨の日は、いつもだから」
 手を貸そうとしたエミヤを押し退けた手首を、エミヤに掴まれる。
「なんだよ」
 不機嫌な顔で士郎が振り仰ぐと、
「身体を温めれば、少しはマシになるだろう」
「は?」
 有無を言わさず抱き上げられて、士郎はバスルームへと連行される。寝間着を剥ぎ取られ、エミヤに抵抗するが敵わない。かろうじてTシャツとパンツだけは死守した。
「おい、勝手に、何してんだよ!」
「ここは紛争地ではない、ホテルだ。いつでも熱いシャワーを浴びることができる」
「だ、だからって、アンタ、」
「黙っていろ」
 鋭く言われて、士郎は口を噤む。
「……勝手にしろ」
 匙を投げて、エミヤに任せることにした。何を言ってもエミヤは引き下がらないと、このところの付き合いでわかっている。
 抵抗することも無駄に思えた。どのみち動き難いのはわかっていたのだ、楽にしてくれると言うのなら任せてみようという気になった。