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「FRAME」 ――邂逅録3 別離編

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 数日前からこの作業はエミヤの担当になった。士郎は拒んでいたが、エミヤの強引さと頑なさに士郎が根負けした。
 歪んだ右腕をさすり、肘のあたりで曲げる。ケガを負った後、士郎が右腕を動かそうとしたときには、骨が癒着し、関節が機能しなかったらしく、士郎は肘だろう箇所の骨を折り、無理やりそこを肘にしてしまっている。魔力を流さなければ動きもしないこの右腕と、眼球の潰れた右目は、士郎に残った特に重い傷だった。
「今日は軽い」
 士郎の呟きに、エミヤは頷く。
「天気がいいからな」
「残暑、厳しそうだな……」
 窓の外へ目を向けた士郎は、青い空を見ている。
「士郎、空を見るのは好きか?」
「え?」
 エミヤは窓の向こうへ目を向ける。
「私は、好きだな」
「エミ……ヤ……?」
「記憶というものは聖杯戦争のことくらいしかないのだがな、私は、いつも空を感じていたのだと思う」
 士郎が身体を起こす。士郎の左手がエミヤの腕を掴んだ。
「士郎?」
「あの、さ……」
 顔を上げた士郎は、今にも泣き出しそうに見える。
「士郎? どうし――」
「あのっ、」
 俯いてしまった士郎の手が震えている。痛いほどエミヤの腕を掴んでいる。
「士……」
 開きかけた口をエミヤは閉ざす。代わりに赤銅色の髪をそっと撫でる。
 士郎の言葉を静かに待った。
「アンタを……俺に、くれるか?」
 撫でていた手が驚きで止まる。鼓動が跳ねた。呼吸が乱れて、うまくできない。
「歩いて……みたいんだ、世界を……。アンタの、繰り返す殺戮の、ためじゃなく、アンタと見たい、光景のために……」
「見たい、光景……?」
「アンタと、世界が見たい。アンタには……迷惑でしかないだろう……けど……、そんな我が儘を言っていいか? 俺は……、アンタの掲げた理想を奪うようなことを言ってる……、間違いじゃないって言ったのに、俺は……」
 必死に言葉を紡ぐ士郎は、さらに項垂れていく。
 言葉が浮かばず、答えられないエミヤは、ますます頭を落としていく士郎をただ見つめていた。
 静寂に包まれる。
 どのくらい沈黙していたか、エミヤにはわからない。ただ、項垂れたままの士郎の身体が微かに震えているのは、答えを待つ間の緊張だけではなく、何かもっと別の理由があるのだろうとわかる。
(お前とそうやって歩けば、お前を理解することができるのだろうか?)
 エミヤはそっと士郎の髪を、また撫でた。
「……ああ、そうだな。歩いてみるか、ともに」



 魔術協会からの許可が下り、衛宮邸に帰ることを士郎は許された。
「何かあったら連絡して。その身体も、病院で一度きちんと調べてもらった方がいいわよ? リハビリとかそういうので、少しは動くようになるかもしれないから」
 ホテルから衛宮邸まで士郎とエミヤを送り届けた凛は、そう言い残して慌ただしく協会の仕事に戻った。
 彼女は魔術協会でトップクラスの魔術師なのだ。こういう案件に関わっている暇などないはずなのに、面倒見のいい彼女は、かつての弟子である士郎を放ってはおけなかった。仕事の合間をぬって時々ホテルにも顔を出し、送迎には常に彼女が付き添ってくれていた。
「遠坂には、感謝してる……」
 士郎は凛を見送って、そうこぼした。
 凛との関係は希薄にはなったものの、士郎にとっても彼女はやはり大きな存在なのだ、とエミヤは安堵した。ずっと士郎は凛によそよそしい態度で接していたので、士郎はもう凛とは関わり合いたくないのだと思っていた。
 単に士郎は、自身と関わることで、彼女の立場が悪いものになると、彼女の善意を拒んでいたのだとわかる。士郎から連絡を取らないのはそのせいだ。
 だが、凛はそんなことは気にしないと、そんなことで折れたりはしないと、胸を張って士郎に言い切る。それが余計に士郎を頑なに拒ませるとは知らずに。
「遠坂はさ、いい奴だから……」
 言いながら居間へと向かう士郎の後にエミヤは続く。
「ちょっと付き合ってくれるか?」
「何にだ?」
「うん、ちょっと……」
 はっきりした答えを言わず、士郎は居間に入り、エミヤと向き合って腰を下ろした。
「じっとしててくれよな」
 エミヤの胸元に左手を当て、士郎は目を閉じる。途端、魔力の流れが乱れ、驚いて士郎に目を向けると、その身体に、魔術回路が透けて見えた。
「な……」
 言葉に詰まって、エミヤは口を閉ざす。
 己の胸元についた左腕には数本の回路、右半身には残り全ての回路が向かっている。
(これで、腕と脚を……)
 士郎が魔力で動かしていると言っていたことを、エミヤは今、真実、理解した。話を聞いて知ってはいたが、果たしてそんなことができるのか、いや、そんな器用さが、衛宮士郎にあっただろうかと、どこかで疑っていたのだ。
(こんな芸当をやってみせるとは……)
 未熟者と言って馬鹿にもできない。エミヤは目を伏せ、笑みを浮かべた。
「よし、最終調整完了。エミヤ、問題は、ないよな?」
「ああ、いたって良好だ」
「ん。俺もまずまずだな」
 右腕を動かし、立ち上がって士郎は身体を確認している。
「エミヤ?」
 士郎を見上げていたエミヤを不思議そうに士郎は見下ろす。
「ああ、本当に、こんなことをやってのけたのだと思ってな」
「バカにしてるのかよ」
 目を据わらせた士郎に、いや、とエミヤは首を振る。
「頼もしい限りだ」
「だろ?」
 得意げに士郎は答える。
「旅をするのに荷物も持てない、などと言われても困るのでな」
 肩を竦めて立ち上がるエミヤに、
「心配しなくても、自分のことは自分でやるよ! アンタに迷惑なんかかけねえ!」
 エミヤの胸元を拳で軽く叩き、士郎は不遜に笑った。

 旅に出る準備を進めながら、衛宮邸で過ごす。
 台所に立つエミヤに、所帯じみている、と士郎がこぼせば、お前も似たり寄ったりだ、と反論が返る。
 士郎は笑っていた。
 時々、思い出したように苦しげな表情を浮かべるが、何かを吹っ切るように士郎はまた笑顔を浮かべる。
「士郎……」
 風呂上りに縁側で涼みながら寝てしまった髪を梳き、エミヤは口を突いて出そうな疑問を飲み込む。
 何があった、とは、いまだ訊けない質問だ。
 士郎と普通に過ごすことも、会話をすることもできる。だが、それは、なぜか上辺だけのやり取りのようで、エミヤは違和感を拭えない。
「なあ、士郎……、ともに歩いていこう、と言うのなら、教えてくれないか……」
 士郎の歩んできた道の全てを知りたいと思う。
「なあ……」
 湿った髪を梳き、エミヤは夜空を見上げる。
 星が見える。
「空は……青い……」
 言いたくないと言った士郎の理由が気になっている。
「これではまるで……」
 何もかもを知りたがる、その全てを欲しがっている、まるで秘密の多い恋人に悋気しているようだ。
「参ったな……」
 口元を片手で覆い、士郎に視線を移す。
 ため息をこぼして士郎を抱き上げ、部屋に入る。布団に士郎を下ろして障子を閉め、士郎の傍に戻った。
「何があったのかと、訊いてもいいか……?」
 士郎の髪を指先で撫で、頬に触れる。
「士郎……」
 薄く瞼が開いた。琥珀色が僅かに覗く。
「アー……チャー……?」