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「FRAME」 ――邂逅録3 別離編

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 色々と愉しむ術を知っているのだろうと言ってしまった。そんなことはない、とエミヤは否定してほしかった。あれでは、自分は色々経験してます、と認めているようなものだ。
(そんなわけがないと、お前だけだと、私は言ってほしいのか?)
 もう頭の中がめちゃくちゃだ。エミヤは混乱している。ただ、士郎をもしかしたら傷つけたのかもしれない、との考えがよぎった。
(本気で傷つくと言ったのではなかった。あの時、士郎は茶化しながら話していた。そんなはずはない、あんなことでも平気でやっていたのだぞ、士郎は……)
 短い煙草をふかして、興味なさげで、口淫する男を見てもいなかった。その冷めた横顔が思い出される。そんな士郎がキスごときで、とエミヤは思うのだが、口づけた時の間近に見える琥珀色が、確かな熱を秘めていたことを知っている。
(どうする……)
 こんな経験はない。戦うこと以外、己はやってこなかった。士郎は傷ついたのか、それとも、ただ気分を害しただけか。
 あの下水溝でふしだらに生きていたのだとしても、今は、そんなところは微塵もない。
 薬を飲まされてあんなことをしたが、あれ以外で士郎が誘ってくることも、魔力供給以外で濃厚に口づけてくることもなかった。むしろエミヤがキスをしかける回数の方が多い。
「っ……」
 すぐにエミヤは台所を出た。足早に士郎の部屋に向かうと、士郎はすでに、布団に入っていた。
「士郎?」
 返事はない。寝ているかもしれないとは思うが、このままうやむやにはできない。
「士郎、その……」
 何を言えばいいかわからず、エミヤは士郎の肩を揺する。
「なんだよ」
 不機嫌な声にエミヤは目を伏せる。
「士郎、……その……」
 先の言葉が何も浮かばず、エミヤはただ士郎の肩を揺するだけだ。
「だから、なんだよ!」
 振り返った士郎に睨みつけられたが、すぐに士郎は、はっ、と笑う。
「士郎?」
 身体を起こした士郎がエミヤの頬を両手で包んだ。
「士郎、そ――」
 士郎のキスで声を飲まれ、エミヤは呆然と間近の隻眼を見つめる。
「俺は好きって言ったろ、キス」
 士郎はにっこりと笑って言った。
「……私も、だ」
「違うって言ってなかったか?」
「ただのキスは違う」
「ん? よく、わかんねぇ」
「お前とするのが、だ」
 目を丸くした士郎が、やがて吹き出す。
「おい、何を笑っている」
 ひとしきり笑って、士郎は顔を上げた。
「そっか、アンタも好きなんだ。おんなじだな」
 士郎は微笑んでいる。
 だが、エミヤは胸が痛い。
 どうしてこんな痛みを感じるのか、どうして士郎の笑顔はいつも寂しさと悲しさを秘めているのか……。
 エミヤにはわからない。士郎の全てを知りたいと思うだけで、何も訊けずにいるエミヤに真実は見えてこない。
(いつか、訊けるのだろうか?)
 旅を続ける中で、士郎とともに歩けば、いつか士郎の全てを知ることができるのだろうかと、士郎を抱き寄せたエミヤは、己の不甲斐なさを噛みしめていた。



 朝食の後片付けを終えたところだった。
 今日は携帯食を買うために、新都へ行こうという話をしていた矢先、衛宮邸の緩い結界が揺れた。
 エミヤが概念武装に切り替えて片膝立ちになったところで、数人の魔術師たちがどかどかと居間へ入ってくる。
 旅に出る準備をはじめていることを勘付かれたらしい。
 魔術師たちは即座にエミヤを戒めた。そうなっては士郎も手出しができず、ムッとしたまま腰を上げることもなく、魔術師たちを見据えるだけだ。
「……どいつもこいつも、勝手ばかり押し付けやがって」
 士郎が低く呟く。
 魔術師たちが、びくり、と肩を震わせて士郎に目を向ける。
 エミヤは動けない。下手に動けば魔術師が士郎に何かを仕掛けるはずで、魔術で戒められたエミヤは、この状況では固有結界を発動するような無茶はできないと踏んだ。
 歯噛みしながら現状を打開する術を探す。
 背後に庇った士郎の手が肩に置かれ、動きにくい首で振り向く。
「人の家に土足でずかずか上がり込んで、勝手ばかりを言って、自分たちが正しいと、お前たちのかざすことが正義だとでも言うように……」
 士郎の唸るような声が聞こえる。その声には、ここにいる魔術師だけに対するものではない憤りと怒りが滲んでいるとエミヤには感じられる。
(お前は、今まで、何と闘っていたのだ……)
 エミヤが士郎に訊けないたくさんの疑問の答えは、そこに、すべて集約されているとわかる。士郎が何を思い、何と闘ったか。
 ただ、聞かずとも想像がつくこともある。士郎は今までずっと、こういった一方的に権力をかざすものを相手に闘い、そして、踏みつけられてきたのではないか、と。
「お前らみたいな奴の、そんなくだらない矜持のせいで、いくつ命が消えたと思う! なんでもかんでも押し付けることしか知らないお前らが、奪っていることにも気づかないで、踏み躙っていくものの尊さにも気づかずに! いつまでもそんな大事なことに気づかないままじゃ、どのみちお前ら魔術協会なんてものも、消えて無くなっちまうだろうな!」
 魔術師たちは士郎の剣幕に反論できないようだ。いや、剣幕だけでなく、その内容にも。
 自分たちが間違っていないと心底思っているのなら、強く反論なり反発なりしてもおかしくない。だが、彼らにも何かしら疑問に思うことがあるのだろうか、何も言い返さない。
「っく……」
「エミヤ?」
 エミヤを戒める魔術が強くなった。士郎を留めることも目的だが、それよりも魔術師たちにとってはエミヤを捕えることの方が重要なようだ。固有結界などを扱う使い魔など許しておけないということなのだろう。
「お前ら、なに勝手なことやってんだ!」
 士郎が腰を浮かせてエミヤの両肩を支えると、さらにエミヤの戒めがキツくなり、エミヤは畳に手をつく。
「エミヤ!」
 士郎が心配そうに肩に触れた手を、胸元に、ひた、と付けてくる。
「エミヤ、ありがとな。俺の我が儘に応えようとしてくれて。だけど、さ……、俺、やっぱり、あの時のエミヤじゃないとダメなんだ……。ごめんな、アンタじゃダメだから、還すよ。我が儘ばっかで、ごめんな……」
「し、士郎……?」
 一瞬、何を言われたのかを理解できなかった。いや、エミヤは理解したくなかったのかもしれない。そして、やはりそうか、と諦めが俄かに湧いてくる
 エミヤは言いようのない悔しさに顔を歪めた。
(どこかでわかっていた……)
 “あの時のエミヤ”とは聖杯戦争の時のことなのか。
 己もエミヤだというのに、何が違う、何が不満だ。
 そんな憤懣をぶつけたところで、士郎の心が動くわけがないのをエミヤはわかっている。だが、わかっていても、そんな簡単に溜飲が下りない。
(士郎は私ではない者を求めているのだと、士郎に必要なのは、私ではないのだと……。そんなことは知っていた。それでも、私は、士郎とともに探せるのなら、士郎が見たいと言った光景を、探して歩んでいくことができるのなら、ともに、何かを掴めるのならと……)
 畳についた手を握りしめる。
「そんな顔、するなよ……。アンタが悪いんじゃない。世界との契約が……、悪いだけだろ……」
 言って、士郎はエミヤとの契約を解除した。