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「FRAME」 ――邂逅録4 彷徨編

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 わめくものの、士郎はエミヤを押し返すこともできない。エミヤの胸元に左手を持っていかれたまま、コートのような手触りの衣服を握りしめている。
「士郎、ならば、契約をしてくれるか?」
 答えない士郎の顔をエミヤは覗きこむ。
 閉じられた瞼から、雫が一つ落ちた。
「士郎?」
 エミヤの声が促すように士郎を呼ぶ。
「も、もう! わかったよ、この、ワガママ英霊!」
 士郎は折れた。
 いや、はじめから士郎には断ることなどできるわけがなかった。こんな日を士郎こそが望んでいたのだ。士郎と出会った記憶を全て持つエミヤと会えることを、士郎は何よりも願っていたのだから。
 エミヤを離すまいとしている左手が何よりの証拠だ。口ではどんなに拒んでいても、エミヤを捕まえたこの手を、もう離すことなどできない。
 エミヤの胸元で握りしめた手を開く。士郎は改めて掌を、ひたり、と付けた。
「遠坂に喚び出されたのか……、あの、お節介……」
 エミヤに流れる魔力で、現況を士郎は読み取った。
「ほんとに、……いいんだな?」
「ああ」
 迷いのない答えに、士郎は頷き、左手に魔力を集めていく。
 凛の契約を破壊し、無理やりに使い魔を奪うことはかなり面倒だったが、凛にエミヤを引き留める気がないのでそれほど厄介ではない。
 士郎は魔術回路を駆使して自身の身体を動かしているため、回路を制する能力には長けている。それに、エミヤの回路は馴染みのあるものでもあり、さほどの時間を擁さずに契約は成された。
「どうにか、成功だ……」
 言ったと同時に、士郎は足元から崩れ落ちた。
「士郎!」
 エミヤに支えられて事なきを得たものの、士郎は立つことができない。
 空港に着くまでに体力と魔力を消耗していた上に、さらに契約の強制解除と再契約、そして、英霊という無駄に魔力を消費する使い魔へ魔力を送らなければならないために、士郎は疲労困憊だ。
「士郎、すまない……」
「謝って、ばっかだな……」
 休んでいれば治る、と士郎はベンチに沈んだ。
「今日のフライトは諦めるかな……、アンタのパスポートとかも用意しないと……」
「問題ない。凛からひと通りの書類は受け取っている」
「はは……用意周到……」
 笑いながら、士郎は意識を手放すことにした。
 このまま眠ってしまっても、エミヤがいるなら大丈夫だろうと確信していたから。

「ん……」
 身じろぐと、ずり落ちたらしい布が肩に引き上げられる。傾いた首を戻そうとすると、あたたかい手が髪を撫でて、もたれていたところに戻される。
 横になりたい、体勢を変えて身体を伸ばしたい、そう思いながら、士郎は瞼を上げた。
 目が開いたところで何も見えないが、見えていた頃の癖で、覚醒すると瞼を上げてしまう。
「士郎? 目が覚めたか?」
「ん」
 目を擦りながら答え、士郎は頷く。
「これ……アンタが?」
 膝の上にまとまった布地に触れ、士郎は右側にある気配に訊く。
「ああ。眠ってしまえば冷えるかと思ってな」
「さんきゅ……」
 士郎は俯いたまま、動かない。
「士郎?」
「契約……しちまったんだよな……」
「私が望んだのだ」
「うん……でも、さ、俺が……」
 それ以上の言葉が出ず、士郎はますます俯く。その頭を引き寄せられて、エミヤの肩に額がつく。
「エミヤ?」
「お前は何も悔いることなどない。お前は自分のことだけを考えていればいい」
「そんな生き方は……したこと……ないから……」
 聞き取れないほどに小さな声で言い訳を口にして、再び士郎は意識の底に沈んでいった。



 士郎がはっきりと目を覚ましたところは、ベッドの上だった。空港にいたはずなのにと、ぼんやりと考える。
「士郎?」
 その声に士郎は慌てて起きようとして、しくじった。寝返って、左腕で上体を支えながら、起き上がろうとする。
「は……、え? え? 俺……」
 まだ、状況がつかめずに混乱している。そっと身体を起こしてくれる温かい手を感じ、夢ではなかったと理解した。
「ここ、どこ……」
 魔術回路があちこち混線していて、腕も脚も動かない。かろうじて視力には持って行くことができた。
 ぼんやりとした視界が、何度か目を強く閉じて、ようやくはっきりとしてくる。
「エミ……ヤ……」
 すぐ傍らに微笑を浮かべたエミヤがいる。
「成都のホテルだ。日本からは出ておいた方がいいと思ったのでな。空港にいるのもどうかと思い、ホテルを取った」
「そっか……」
「士郎、その……、さすがに空港では、と思い、我慢をしたのだが……」
「ん?」
 目を伏せたエミヤの言葉の続きを待っていると、抱きしめられる。
「え? エ、エミヤ、あの、えっと、」
 慌てて身を捩ろうとすると、さらにキツく抱き込まれた。
「すまない、士郎、その……」
 言葉に詰まるエミヤに、士郎は戸惑いながら頷く。
「う、うん、わ、わかった」
 鼓動が速くなっていくのをエミヤに気づかれやしないかと、士郎は気が気ではないが、放してくれそうにはない。
 どうしようか、と迷いながら、エミヤの背に左手を回した。
 ぴく、とエミヤが反応したので、手を下ろそうと思ったが、一度触れてしまえば、もう離すことなどできなかった。
(アーチャー……)
 じわり、と滲んできた涙をギュッと目を瞑って堪え、震える唇を噛みしめる。
「士郎、会いたかった、会って、謝って、伝えたいことが、山ほど……」
 エミヤの苦しげな声が聞こえる。座に戻った時、記憶を取り戻した時に、エミヤは何を思っただろう。エミヤの気持ちなど士郎には、はかり知れないが、気分のいいものではなかったはずだ。
 士郎も謝らなければと思う。勝手を言って、勝手なことをして、と。
 何の相談も無く契約を切ったことが、エミヤを傷つけてしまったのではと、士郎は時が経つほどに後悔を深めていた。
「俺も、謝ろうと思ってた。勝手に契約を、切って、嫌な思い、させて、ごめんな。座に還って、記憶が戻ったら、きっと、アンタが嫌な気分になるってことまで、俺、気が回らなくて……」
「かまわない、士郎が謝ることなどない」
 エミヤは頭をそっと撫でてくれる。ますます泣きそうになって、エミヤの背中に回した手でそのシャツを握りしめた。
「士郎、やはり、目は、もう……?」
「あ……、うん。遠坂が治してくれようとしたけど、ちょっと、無理だった」
 目の周りの傷は治せたが、視力は戻らなかったと正直に答えた。だが、その後、病院に行くなどして、視力を戻す気はなかったとは言えなかった。エミヤがいないのなら、目など見えなくていいと思ったことなど、士郎には言えるわけがない。
「たわけ……」
 力ないエミヤの叱責に切なくなる。
 自分のせいだ、などと思ってほしくはなかった。これは自分でやったことだから、と士郎が何度言っても、きっとエミヤは責任を感じるのだろう。エミヤはそういう男だと、士郎は嫌というほど知っている。
 過去のことにうじうじと拘るよりも、士郎は前を見ようと、話を切り替える。
「あの、さ……、俺、行き先を、まだ決めていないんだけど……」
「だけど、なんだ?」
「うん、最初に、行きたいところがあるんだ」
 腕を緩めたエミヤに顔を覗き込むように見つめられる。