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「FRAME」 ――邂逅録4 彷徨編

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 酷い傷を負いながら、それでも立ち上がって、何度も何度も踏み躙られてきたのだと。
 そんな彼を、とても強く、そして高潔な人だと思う。
 僕など足下にも及ばない生き方をしてきたのだと、知った。
 そして、そんな彼が唯一望むものを、知った。
 使い魔を見つめる、魔力で補われた瞳は、淡い緑に光っていた。
 衛宮士郎の、その使い魔に対する想いは、相当に大きなものなのだと、僕にはわかった。
 自らを傷つけてさえ、あの使い魔の信条を崩させない。彼はあの使い魔を僕らから守りきった。
 人ではない使い魔でさえ、彼には助けたい対象なのだと、僕は気づいた。
 遅かったかもしれないけれど……。
 衛宮士郎は、あの使い魔を座に還したくなかったはずだ。だって、彼が唯一望んだのは、あの使い魔なんだ。どんなに無茶をしてでも、還したくなんてなかったはずだ……。
 あの監禁部屋で、使い魔に見せる衛宮士郎の表情が監視カメラの映像に残っていた。僕が何度も見返した映像には、彼の想いが滲んでいた。
 それを知っていたはずなのに僕は……。
 感情に流され、歯止めをかけることをしなかった。
 こんな強引なやり方をしなければ、まだ彼は使い魔を手放さずに済んだかもしれない。残った目を傷つけることはなかったかもしれない。
 今さら思っても仕方がないのだけれど……。
 魔術師たちは引きあげていき、縁側に座る衛宮士郎は、ぽつん、と全てから取り残されたみたいだった。
 仲間を失って、大切な使い魔さえ手放して……。
「あの……、土足で、失礼をしました」
 そんな言葉しか浮かばない。
「掃除は、しておきましたので……」
「あんたさ、なんで、敬語?」
「え……?」
「俺より三つ年上って、言ってなかったっけ」
 僕のことを知って……、いや、覚えている?
 眼中になんてなかった僕のことを、なぜ?
「あれ? 三つじゃなかったかな」
「あああ、い、いえ、三つです、三つ。確かに三つ上、です」
「だから、なんで敬語……」
 不思議そうな表情で、衛宮士郎は首を傾けている。
「あ、えっと、癖、みたいなもので……。比較的、年上の方と仕事をすることが多いので、あまり年齢を気にしたことは、ありません」
「へえ……」
 衛宮士郎は空を見上げるように顔を上げた。
「お世話になりました、調査員さん」
「い、いえ、こちらこそ」
 軽く会釈して玄関へと向かう。
 靴を履きながらハッとする。
「ああ、僕は……」
 今さら気づく、彼に名乗ってすらいなかったことを。
 けれどもう、僕は彼とは関わりのない人間だ。
 彼の大切なものを奪った人間の一人だ。
 もう会うこともないだろう。
 彼はここでひとり、静かに暮らすはずだから……。



 画面を睨みつけていた目を閉じ、深く息を吐く。
 ようやく僕は、キーボードを叩きはじめた。
 おそらく99ナンバーのファイルでは唯一の、十ページ以下の報告書になる。
 僕は事実のみを記す。
 彼らの真実なんて、誰も知らなくていい。
 知る必要も、知る権利もない。彼らの真実は、彼らだけのものだ。
 そして最後の言葉は決まっている。
 衛宮士郎――彼はもう魔術師ではない、ただの人間だ、と。

 〈調査課 主任調査員の独白〉



***

「士郎!」
 その身体を抱きしめようとして、空虚な腕の内に愕然とする。
「く…………っ…………」
 エミヤは座に還っていた。
「士郎!」
 憤って拳を乾いた土に叩きつける。
「お前は、なぜ……」
 記憶が怒濤のように溢れてくる。今の今までなかった記憶がエミヤを飲み込んだ。
 何度も出会い、その都度、己が士郎を傷つけていたことを知る。
 ただ記憶がない、それだけのことで。
 次に会っても覚えていないんだな、と悲しげに言った士郎の姿が、胸に痛かったことがある。士郎が笑っていても、いつも寂しさを滲ませていたのは、己の記憶が無いからだと、今になってわかる。
「何も言わずに、お前は……。何度も会って、私に言いたいことが、山ほどあっただろうが!」
 砂礫に拳が埋まるほど叩きつけた。
「士郎! なぜ、何も言わなかった! くそっ……、どうしてだ!」 
 二度と会うことはない。出会えたとしても、また己は士郎を覚えていないのだ、士郎はやはり辛そうに笑うだけだろう。
「お前は私を救ったというのに、私はお前を救うことも、ただお前を覚えていることすらできない……」
 士郎は、エミヤのために目を傷つけたも同然だ。
 魔術師にエミヤが囚われる前に、士郎は契約を解除し、座に還らせ、自らはもう使い魔など維持できないと、身をもって示した。
「私と殺戮のためではない光景を見たいと言ったくせに!」
 失明してどうやって、と拳を握りしめる。
 しかし、視力云々の問題ではないことは明らかだ。もう士郎には会うことも叶わない。
「私とは……もう……」
 可能性がないわけではない。何かの偶然、もしくは誰かの思惑が重なれば……。
 だが、あり得ないのだ。
 広い世界、いくつもの平行世界、その中のたった一人の衛宮士郎を探し出して、ピンポイントで召喚に応じるなど、エミヤにはできない。
「っは……、っ、く……っ、そ……」
 今、記憶があっても仕方がない。
 今、士郎と過ごした日々を覚えていても、座に在る限り、どうしようもない。
(士郎には私を召喚する気はないだろう……)
 召喚しても記憶がないとわかっている上に、使い魔として維持することができないのだ。そんなことを士郎がするわけがないとわかる。
(何かの手違いで、士郎とまた会うことができて、契約ができたとしても士郎の目はもう……)
 打ちつけた拳に血が滲んでも、エミヤは振り下ろすことをやめられなかった。

「士郎……」
 乾いた土に脚を投げ出したまま、寒々しい風の吹く空を見上げ、ただその名を呟く。
「会いたい、士郎……、会って、謝りたい……、士郎……、会いたいんだ……お前に……」
 瞼を閉じて、士郎の面影を思い浮かべることしかできない。
(何度も傷つけたというのに、私のために自らの光を絶って……)
 暗闇の中で残る生を生きる士郎のことを思うと、憤りに、己への怒りに、やるせなさに身が焦げつきそうだった。
 いっそ何もかも焼け焦げて、こんな感情などというものも忘れられたら楽だと思える。
「…………士郎……、士郎……」
 壊れたようにその名を口に乗せる。
(どうすればいい……)
 記憶を持ったままで召喚に応じることはできないのか?
 そうすれば、士郎と出会っても覚えている。
(そうすれば、そう……すれば……)
 エミヤはそんなことばかりを願う。
「ああ、無駄だ」
 そして、打ちのめされる。
(士郎にはもう、私を召喚する魔力はない。片腕、片脚、視力を失い、日常の生活を送るだけでも魔力を消費するのだ、余力など、残っていない……)
 わかっていても願うことをやめられない。
「士郎……」
 どうすればいいだろうか。
 エミヤは懊悩を深める。
「お前に会いたい、お前に会って、謝って、それから、お前が願っていたことを、叶えたい……、士郎……」
 歩いてみようか、と答えれば士郎は笑った、それでいて泣き出しそうだった。